Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

寝腕ニミミズ

2005-04-24 23:40:47 | その他
朝、目覚めて最初に見たモノが、右の二の腕に浮き出た弾力のある線だった。
まだ眠りから完全に抜けきれないでいる脳細胞は、これを「血管」だと誤認し、
触りごこちまで"血管である"と信じ込んだ。
それから確認もせず、夜になって「血管」を思い出す。見てみると、みみず腫れだった。
乾燥しているから、夜中にかきむしった跡だろうとは思う。しかし、こんな場所が痒かった試しがない。

たまに部屋をクモが徘徊するので、夜中に二の腕を這ったのだろうか。それで爪を立ててひっかいた。
それが仮説1。

こないだ亡くなった前ローマ法王への聖痕なのだ。偉人を失った悲しみが、二の腕に形となって・・・・、
などと書くと冒涜になってしまう。仮説にもならない。
じゃ、一ヶ月ほど前に亡くなった、マーティン・デニーへの・・・・、・・・もういい。

寝相がよくなく、誰に披露するわけでもなく様々なアクションを実はキメているのだが、
そのモーション中に二の腕を枕の角へ強くこすりつけてしまった。
これが仮説2。

誘拐されたのだ。発光する空飛ぶ乗り物を駆る未知の知的生物に誘拐された証拠なのだ。
記憶こそないが、二の腕に刻まれた動かぬ証拠とこの日のための知識が、
その空白の時間帯での出来事を示唆しているのだ・・・・、これもいい・・・。
現実から飛躍するのもいいところだ。だいたい、語尾に「~のだ」と続けたところで、
腹巻をしたおっさんのキャラと被っている。それに、知識なんか無いじゃないか。

単に、たまたま痒くて、たまたま引っかいたのを覚えていないだけ。
仮説3。


いずれの仮説のどれかは正解しているのかもしれないが、
これ以上考えようとも突き詰めようとも思わない。
みみず腫れは事実であり、その原因を抽象化して表すならば、
夢でも幻でもなく、「現実」ということだ。
「現実」が切りつけた、噛み付いた、跡だ。

普段あまり気にもかけない類の現実とは、常にそういうものだと思う。自然は特に。
わからなくても、想像してみると、理屈がついたりするものだ。

月は昇り、星は瞬き、雲は流れ、犬は吠え、車の陰に黒猫は隠れ、僕の二の腕にみみず腫れは出来た。
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ノーチェック

2005-04-20 23:37:16 | 一言。
そういや、チェックしていないのだけど、
ビョークの『メダラ』って良いのかな?
買いそびれたまんまなんですが。
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Parolible

2005-04-19 23:33:52 | その他
最近、カテゴリ「Fish On The Boat」の類を書いていない。
これはどういう位置付けのものかは明かさないけれど、わかりやすいっちゃわかりやすいかも。
元ネタみたいなのから、ほとんどヒネリがないから。

カテゴリ「days」とかでもそうなんだけどさ、こうやってブログを書くことが、
脳とかの健康上いいわけ。同じ部分の脳ばかり使うのはよくないでしょう。

もうね、「パワーだ!」とか「スピードだ!」とかってのは持ち込みたくない。
大体さ、パワーって言葉に弱い人って、ちょっと笑えるしね。こないだそういう話で友達と
笑いあったことがあった。

パワーとスピード重視って、イタリアの未来派かい、と。
あれはあれで、関連の記事なんかを読むとおっかしいんだけどね。
未来派の偉い人が演説すると、最後は乱闘で終わるそうだ。
その偉い人は、それを実は好んでいるとか。
で、そのイタリア未来派の流れからイタリアのファシズムが生まれたみたいな話もあったんだよね。

まぁ、この未来派を扱った、坂本龍一さんの「未来派野郎」というアルバムは良いアルバムなんですが。
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転寝ノ夢

2005-04-19 01:08:52 | days
おなじみ、うたた寝の夢。

webでただブラウズするだけじゃなしに、例えばブログ作ってたり自分のwebsiteもってたり、掲示板に書き込んだり、
チャットしたりなどの、ネット世界のコミュニティっていうのかね、繋がりを持つ人々の一覧図を見る
夢をみた。
膨大な数の人の名前。すべてハンドル。それが、路線図みたいにわーっと網の目に表されている。
相当な細かさ。
どれどれ、僕も載っているかなと探すと、いた。前によく行っていたチャットのメンバーの固まり
があって、僕の位置付けを確認する。
あー、こういう位置付けだったんだと。客観的に。
点と線で現されているんだけど、その点の大きさや線の間隔が何かを意味しているようだ。
こういうの、あったらあったで面白いよな、と思って目覚めた。
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シェリル・クロウ

2005-04-17 23:59:58 | その他
ここのブログのタイトルなどで曲名を拝借したりしているのだけれど、
シェリル・クロウという女性歌手がとても好きなのです。

最初はね、「THE GLOBE SESSIONS SPECIAL EDITION」というアルバムを
バイトの友達に借りて聞いたのだけど、どうもちょっとしっくりこなかった。
聞いたことがある曲があっても、曲に隙間が多いように感じてたのです。
僕はよくやるんだけど、曲をききながらその曲の構造にツッコミをいれます。
ここは音を減らしたほうがいいだとか、すんなりサビに行き過ぎだとか、
そこでリフいれたら良かったな、だとか。
だからといって、MIDIファイルをこしらえて実験してみたりはしていないです。
それに、やってみたらやってみたで、やっぱり元のほうが良かったってことになるような気もします。
ツッコミは一回性に近いものです。
それからしばらくたって、ふと思い立つというか、セルフタイトルアルバムを衝動買いしました。
それも、最初はなじめなかったんです。
しかし、聞く耳が成長するのか、自分の変化に耳も変化するのか、いつしか自分にとって
重要なミュージシャンになっていたんですよ。
テクノ系を聞いていたからわからなかったかもしれないけれど、
音の隙間も音楽なんですよね、たぶん。隙間も表現なわけ。
(※「隙間も表現」といっても、僕のブログの更新隙間には意図した表現はないといっていい)
実に素晴らしい女性ミュージシャンだと思って、友達にも勧めましたね。
勧めたっていうか、洋楽聞かないし何聞いていいかわからないっていう人に、
僕の好きな曲をセレクトしてCD焼いて、聞いてもらったんです。
その中には、トッド・ラングレンやU2やクランベリーズなんかも、またジ・オーブやエイスオブベース、
「17歳のカルテ」でのウィノナ・ライダーとアンジェリーナ・ジョリーが歌う「DownTown」なんかも
ちょっとおふざけでいれてあったんですが、その人もシェリル・クロウをかなり気に入り、
その頃まで発売されていたアルバムをコンプしたと言っていました。
やっぱ、いいのよ、シェリル・クロウ。

で、後に気づいたんだけど、バート・バカラック関連のライブCDを持っていたわけ。
彼をトリビュートするライブテレビ番組?をCD化したものだったかな、それを持っていた。
その一曲目の「One Less Bell To Answer」という切なーい曲が昔から好きで、
ここの記事にもこれをモチーフにしたものを、さーっと書いたことがあるんだけど、
それを歌ってたのがシェリル・クロウでした。なんか書きたくなるような切なさを持ってるのね。

昔から切ない曲が好きなんだけど、それって、小学生時に聞いていた渡辺美里さんの影響なのか、
その後聞き始めた坂本龍一さんの影響なのか、たぶん、坂本さんだななんて思うのだけど、
それよりもっと遡って、ピアノ教室に通っていたころはどうだったかっていうと、
最後の発表会に選んだ曲が、たぶん今思えば9thとか11thとかくっついた和音をかきならす、
構造も前衛的な曲なもので、それほど切ないものは好んでいなかったよな、なんて思う。
ドナドナ嫌いだし。荒城の月をリコーダーで練習するのはいやだったし。
きっとね、坂本さんの「セルフポートレート」って曲が一つ何かを呼び込んだかもしれない。
「バレエ・メカニック」もだ。アルバム「メディア・バーン・ライブ」を聞いていたその頃が
小6か中1かだった。オンタイムではありません。
そういえば、このアルバムに収録されている、YMOの「Ongaku」って曲は、坂本美雨さんのために作られた
曲だったとか。能天気で明るくやさしい曲なんですよね。この親心は、美雨さんの1stアルバムでも
発見できます。
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再会ノ機運

2005-04-12 23:46:04 | days
元バイト仲間とメールしてて、飲み会を企画してと冗談半分に書いておいたら、なんと実現しそう。
回ってきた回覧メールには、僕の提案でと断りが入っている。責任の所在。
まったく、みんな集まるくせに、言い出したがらないでよー。
しょうがなくさー、みたいな言い訳においらを使うなよな。ま、いいんだけどさ。
それに、どんな集まりになるかもわからないし。

発起人になっておきながら参加がけっこう難しそう。
遅刻決定で出席としておいたけど、大丈夫かなぁ。
でも、みんなの顔をみたいし、話もしたいしね。

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WARNING

2005-04-11 19:42:56 | days
今日はひっさしぶりに鼻血がでました。
エッチなこと考えてたんじゃないよ。けっこう真面目なこと考えててだよ。

そして、帰宅後、ハサミを使ってたらハサミの柄が折れました。
こんなの初めてだー。ハサミを無くすのはよくあったんだけど、折れるなんて。
エドワード・シザーハンズだったら、腕が折れたようなものだよ。
そして僕はこのエドワード・シザーハンズが好きなんですよ。自己投影しちゃいそうなくらいに。

凶兆だ、凶兆。


初めてと言えば、一昨日初めて、信号が黄色の点滅に変わる瞬間を見ました。
赤信号で止まってたら、フッと全消灯して、停電かと思ったら、黄色の点滅を始めました。
左右の安全確かめて直進です。
気分的に青っぽいけど黄色の点滅なのだな。

ま、いずれにしても、
凶兆だ、凶兆。

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後日談

2005-04-11 00:55:35 | days
法事の件。体調の不良と祖父の法事を繋げて書きましたが、
その法事後、体調は上向き加減。ウソみたいな本当な話。
しかし、その法事の日ってのが、朝5時半起き6時出発でね、僕が疲れきってる様子を
親戚中が察してたと思うね。従兄の双子がさ、そのへんに敏感なんだよ。
で、彼ら、とくに片割れのほうなんかよく気を使う男だし、話し上手だし、
たぶんめちゃめちゃモテるタイプなんだよ。
あやかりたいよな(とか言う)。
その日、帰ってきて疲れてたので、7時頃にもう横になったのだった。
それが良かったのかもしれない。過労っつー概念が無かったからな。
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構造解釈

2005-04-07 22:59:25 | 考えの切れ端
日本の音楽にはリズムが無い、というのを読んだか聞いたかしたことがある。
古来よりの、和の音楽についてだ。

音楽自体へは右派であるよな僕の、自分が好み紡ぎたい音楽はリズムに欠けるものだった。
ニッポン人としての血の濃さがうかがえるものだ。

構造は力を生むという。構造自体が力を作る。
日本人として、日本の構造による力に動かされているのはどんな部分でだろうかと、ふと思う。
言語の構造的力もあるだろうし、風土によるものもあるだろう。
どんな音を日常聞いているか。どんなものを見ているか。味覚や嗅覚にどんな刺激を受けているか。
伝達手段、表現手段の構造的特性による思考回路の構築のされ方。
また、共同体においては、それらが集合体と化して力を増すんじゃないか。常識という形だとかで。
そういった、実は形式的とも言える「器」の中で、人がはぐくまれる。
適応という形で、「器」からの力を受けざるを得ない。
そうやって、リズムは育たないのだが、マス・メディアの発達で変わってくるわけで。
各人によって、器が変わってくる。器を作る技術をある程度持てるようになってきたわけだ。


ま、これは鎖国終了までの話なのかもしれないけれど、なんとなく頭打ち感を感じるのでね、
確認したいことなんだ。


「器」の選択が多様になる、はずだった。しかし、その選択肢すら、多様というにはほぼ遠い、
少ないものだった。個人で全部ひっくるめられちゃうような。あるいは、それまでの「器」が
強大で、新しく入ってきたものを全て侵食するくらいの力をもっていた。
オルタナティブなものが無かった。
オルタナティブなものを理解する術を持たなかった。
オルタナティブなものを、「器」の力がはねのけていた。

しかし、時間は細分化と多様化を加速させていく。
一番の土台であった、日本の「器」の上に新たな「器」が出来て、そのまた上に新しい「器」ができていく。
そうやって、血が薄まっていくように、元々の「器」の力は弱まっていくはずだ。
だけど、日本人が古来から黄色人種であることが変わらないように、
日本という言語や風土からの影響力を受けなくなることはないと思う。

しかし、風土だけを言えば、それは土地が「表現」しているものと捉えることもできる。
「表現」の解釈は、一つの答えしかない試験問題ではなく、いろいろな捉え方があって良い。
多種多様でいいのだが、もっともらしい唯一的解釈を見つける人もいる。
文明開化の時代まではぐくまれてきたものっていうのは、優れた感性を持つ先達が同じようなものを
見出してきたからなのだと思う。
ただ、それは、受け手としてのスタンスが強かったんじゃないだろうか。
そこは、現代に比べて科学の力が弱くて、宗教の力が強かったことに理由があるかもしれない。

現代は風土や言語に、いろいろ持ち込むことが出来て、クリエイトできる。
それが構造を変化させるチャンスなんじゃないかな。構造変われば、受ける影響も変わるわけで。
よりよい方向へ導けるヴィジョンを持ち、それを実現するために、言語や風土に何を持ち込めば良いか
をわかり、実行できる人ってすごいなぁと思うのです。
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リスニング

2005-04-04 21:09:55 | その他
こないだテイ・トウワの新譜とベックの限定版CD+DVD、そして、常々気になっていた
リンキンパークのアルバムをやっと購入。

しかしだね、テイさんの新譜に「BIANCO」って曲があるんだけど、あれはずるいと最初感じてさ、
まぁ、聴いてるうちにいいかと思えてさ。なんか左脳的にきこえるんだよね、あの曲。
最後の曲がまさかの「マイ・シャローナ」。カバーの仕方がテクノ的に王道+ちょっとヘンな感じかな。
バッファロー・ドーターが歌ってるからか。

リンキンパークは思ったよりも若さを感じる音楽。
音楽性云々よりも、その訴求力を聴いておこうかと思う。

ベックは円熟味がでてきて回帰した感じかな、まだよくきいていない。
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