Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『日本占領史1945-1952』

2016-05-26 00:11:02 | 読書。
読書。
『日本占領史1945-1952』 福永文夫
を読んだ。

第二次世界大戦終結後、
連合国(実際はアメリカ)に占領された日本の政治史の本。

日本国憲法に関しては、
GHQにおしつけられたものだとする言説があるけれども、
そういう面はたしかにあるが、
天皇制を象徴天皇としてでも存続するために世界から承認を得るのには、
戦争放棄、軍隊放棄といった決めごとを持つことが必要だったようですね。

いまの憲法は天皇制を救うため、
世界にたいして酷いことをした(侵略して虐殺虐待など)日本が、
限りなく譲歩して認めてもらったものだということでした。
そのために、ときの役人・政治家たちが知恵を絞っている。
また、官の憲法案より民(東大の教授ら)の憲法案のほうが、
今の憲法の土台になっているのがわかります。

まあ、認めてもらうというよりか、
これだけのことをいう憲法ならば、
天皇制を護っても世界から文句は言われないだろう、
というような体裁のものになった。

講和(ほんとうの戦争終結を決定する取り決め)の部分では、
講和する時期がちょうど朝鮮戦争と同時期なためのせいか、
アメリカは日本の再軍備の意志を探っていたようだ。
日本が再軍備してアメリカの軍事行動に随伴することを
望んでいたようだった。

最終的には吉田茂首相は、
アメリカにおされるような感じで保安隊の創設を口にするけれども、
軍国主義者がまた権力を握る危険性などを考えて、
再軍備はしないという憲法の方針のままを貫こうとする。
でも、アメリカは将来の軍備も容認するという
寛容な講和条件をだすんですよねえ。

ということは、
いままで日本が軍隊を持たずにやってきたのは、
なにもアメリカによる圧力によるようなものではなくて、
日本人たちが自ら戦争の放棄を護ってきたことの表れなんですよね。
まるで、再軍備しない要因がアメリカなどの西側諸国にあるかのような
言説もあったように思うのだけれど、そうではないみたい。

日本の再軍備に反対していたのは
オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンといった国々だったと。
なるほどね。
それでいまや、韓国や中国なんかが警戒しているってことなんだけれど、
アメリカは日本の再軍備を容認の姿勢のままなんだろうか。
別段、気にしてなさげではありますが。
やっぱり、日本の周辺国が、
かつてのように軍国主義化、全体主義化、帝国主義化した日本が、
侵略をはじめて、虐殺をしてまわることを不安に感じているというのがあって、
そこを考えて軍備しないというのはあるのでしょうが、
この占領当時から、日本国憲法にしても、
牧歌的なものだとアメリカの官僚なんかは言っていたみたいです。

終戦後のインフレをおさえたのが
ドッジというひとによるドッジ・ラインだったけれど、
それが景気をよくまではしないから民衆の不満も高まっていく。
吉田首相もこれで困っていたところで朝鮮戦争が勃発して、
アメリカからいろいろ発注が舞い込んで景気が回復。
歴史っていうのは(現実っていうのは)そういうもんだったりする。

朝鮮戦争は、北朝鮮にすぐさまソウルを陥落されたり、
米韓が反撃して逆にピョンヤンを落としたり、
はたまた中国が北朝鮮に援軍をだしてソウルを再陥落させたり、
シーソー・ウォーでいやになる感じです。

話は初期の占領期に戻るけれど、
それにしても、初期のGHQ、
マッカーサーの力はすこぶる強大だったようです。
途中からワシントン(アメリカ政府)の力が
GHQに負けじと強くなっていくのだけれど、
マッカーサーは相当がんばって政府にまで対抗して
支配者然としていたみたいだ。
そして昔堅気みたいな感じの気むずかし気なところも。

朝鮮戦争時の最高司令官に任命されていたマッカーサーが、
「このまま中国まで攻め入る」的な発言がもとで罷免されるのですが、
日本を去る時には、道端で見送る政治家たちなどが大勢いて、
しまいには「マッカーサー元帥、万歳」という唱和まで生まれたとのこと。
このへん、マッカーサーと日本人のあいだには微妙な感情があったようです。

また、終戦までの激戦から、
終戦以降本土と切り離された沖縄の様子が大変でした。
住民のひとたちは終戦直後の本土のひとたちより苦労しています。
占領された上にずっと戒厳令をだされているようなもんですし、
長いこと配給だし、その配給も足りないし、
戦時中がずっと続いている感じがしました。
さらに、サンフランシスコ講和条約が締結されて、
本土の占領が終わったときに、沖縄が本土から切り離されて、
琉球政府というアメリカの統治下の政府を作ることになるのですが、
沖縄では、その4/28日を「屈辱の日」として記憶することになったそうです。

けっこう、感じが多くて、教科書みたいな本です。
それでも、占領時の政治史がわかって、なかなかにおもしろかったです。
民衆の様子、文化の様子こそがおもしろいとは思うのですが、
たまにはこういうのも勉強になりました。


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『プレイヤー・ピアノ』

2016-05-12 19:59:47 | 読書。
読書。
『プレイヤー・ピアノ』 カート・ヴォネガット・ジュニア 浅倉久志 訳
を読んだ。

1952年に書かれた近未来小説。
現代を言い当てているようなところだとか、
現代からつながっていく近未来を感じさせるところもあります。
全体としてはレトロな未来ですけどね。
たとえば、個人のもつIDカードがパンチカードだったりする古さがあるし、
半導体はでてこなくて、真空管がでてきます。

駒を動かす盤ゲーム(チェスみたいなものかな?)
で人間を負かすための機械がつくられたり、
機械に仕事をとってかわられてリストラされたり、
格差のある階級社会になっていたり、
21世紀を予見している(洞察している)ところがでてくる。
内容そのものもとてもおもしろいです。

また、
AとBという対立があって、
たとえば作者はAの意見に同調しているとすれば
Aの意見をいうひとの描写やセリフはかきやすいのだろうけど、
ヴォネガットくらいになるとBの描写やセリフも卓越している。
敏腕弁護士以上に、
いろいろな立場や主張を理解してくみあげて表現する力があるよなあ、
と思いました。

この時代であっても、
機械に仕事を取って代わられないことが大事なんだよ、
という見抜きがあります。
社会に参加して役に立つ喜びややりがいは、
これからAIや機械が発達しても、
人間からむしりとられるべきではないのでしょうね。

作中にありましたが、ひとは、
二流の機械になるか、
機械の被保護者になるかの二者択一におちいるべきではないのです。

今後どういう形で機械が発達していくかわかりませんが、
そういうところは押さえないとおけませんね。
MITなんかじゃ、デジタルの次はバイオだ、と
もっと遠くを展望して未来を見透かしていたりするようですが、
いやはや、どうなることやら。

非常におもしろく読めました。


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労働賛歌!

2016-05-08 19:46:11 | days
GWから、地元の観光施設ではたらいています。
やっとみつかった求人でした。

ぼくは、母親の介護の関係で家事をまかされている部分があるから、
週5のフルタイムでははたらけません。
親父がそれでなくても疲れたーとぴーぴー言っていて、
さらにそれで怒鳴り散らすようになるために、
家の事や母の事をまかせきれないんですよ。

それで見つけたのが、週2~3回、20時間までのアルバイト。
これだと親父の家事もそうだけど、
ぼく自身も長らくはたらいていなかったから
(昨年の12月に久しぶりにちょっとはたらいた程度)、
ならし運転にちょうどいいかなと思って応募して、
そのまま採用してもらったのでした。

しかし、採用人数まで応募がなかったためか、
GW過ぎの明日からは、週3~4で、すべてフルタイムのシフト。
それでも、親父なんかは、ぼくがはたらくようになれば自分も頑張れるんだ、
などと、子どものこねる理屈のようなものを言いだしていました。
よって、そこまで言うならやってもらおうじゃないか的な、
突き放す感じで、そのシフトの条件をのみました。

この観光施設は、多くの北海道の観光施設と同じように、
雪が溶けてから雪が降るまでの間の営業です。
約半年ですかね。

当初は、通信費関係を稼ぐだけで、
小遣いまでは見込めないかなと考えていたのですが、
シフトが変わるとなれば小遣いまで稼げそう。
そうはいっても、冬場にはまた職を失うから無駄遣いは出来ません。
このあいだ『自助論』で読みましたが、節約は大事なひとつの自助です。
今年からは節約をちょっとこころがけてみよう。

そして、こうやって仕事をしていると忘れてしまうのが、小説の応募です。
『オール讀物』に応募すると決めて、
応募券のついている号も購入済みなのです。
今週は水・木と休みだから、どちらかに送ってしまいます。

なんだか急に忙しい。
なかなか本を読み終えることができないし、
次の小説の案や設定決めにもとりかかっていない。
少しずつ、変化した生活に慣れていきながら、
やりたいことはやっていこうと思っています。

夏の熱さがきっと大変な職場です。
いまのところ冷房なしの小屋の中にいます。
このあいだ雪が降ったときには、外にいました。
ふるえました。

自然を肌で感じながら、
こういう世界に住んでいるのだなあということを
実感する年になりそうです。
熱中症だとか、倒れることはないように気をつけたいところです。

観光施設っていうのは、
お客さんに楽しんでもらって、
明日への活力を得てもらうようなところだと思うんです。
ひとが元気になる助けを、お金をもらってしているのだ、
そう考えてはたらくとなかなか楽しいものです。

なんのために働いているかわからずに、
とにかく利益をだせとやっていると荒んできますよね。
どうやらこの施設では、ぼくは意義を見つけることができましたから、
妙な疲れ方をすることはないんじゃないかと思います。

まあ、あとは職場の人間関係ですか。
アルバイトのひとになんでもかんでもおしつけるような感じだと
大変になります。
そこは駆け引きみたいなのが必要なのかなあ。

がんばります。
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