「このブログ、終わっちゃうんだ!」とびっくり。数日ほど前でした。
gooブログさんには長いことお世話になりました。発表、表現、楽しみの場として(ときに愚痴をこぼす場として)おおいに活用させていただきました。数えると20年くらい続けてましたね。ありがとうございました。感謝です。記録や思索の場としても活用できたし、よき仮想スペースだったなあ。
そんなわけで、なかなかの量があるこれまで書いた記事たちをどうするかと考えていました。引っ越しデータを作っていただけるということなので、それはマストで作っていただこうと計画していますけれども、それとは別に、「カテゴリ映画」「カテゴリ考えの切れ端」「カテゴリ読書」の記事はとっておきたい。
読書記事はすでにブクログを利用していまして、ここの記事と同様のものを数年前からアップしていました。ただ数年前より以前のものは抜粋だったりブクログだけのものだったりするので更新しなきゃと思っています(試しにほんの少しだけやりましたが)。このブログに書いた読書記事数がちょうど1000で、区切りがいいなあと思いつつも作業を思うとおののいております。
で、とりかかっているのが「カテゴリ映画」の記事たち。これをパソコンのテキストファイルにコピペして残しておこうと。で、ちょっとやってみると、初期の頃の映画記事は文句ばかりです(苦笑)。「いいとこもわかっているはずだから、それを書きなさいよ、昔の自分よ!」と心のなかでツッコミながら作業をしています。
たぶん完璧主義がでてるからだと思うんだよね。作品なんてものは粗のない状態じゃないといけない、という思い込みが強かったんだろうなあ。いいとこがどうこうよりも、失敗がまず皆無じゃないといけないっていう。ここらへんは、生まれ育った家庭の気風がそうなので、完全に影響されていたことがわかりました。
それにしたって、「主演女優が老けた」とか「主演女優が綺麗じゃないし」とか、今じゃ言わないどころか思いもしないだろうことを書いているのだよ。というのもこの頃は人間嫌い(今もその傾向は強いけれど)で友だち以外は敵(今はそう考えてはいません)だったからだ。狭い世界を閉じるようにして生きて、また絶望もしていた。そうであればこういう文章を書く。
一時期よく「若い頃の自分を叱ってやりたい」「若い頃の自分と出会ったら殴ってやる」という先達の言葉と出くわすことがありました。ゆえに、僕はそういう局面に立つことになってもあえてそうはいわず、若い頃の自分を排除しないでいようと決めたものだから、あえてあえて否定はしないでいようと思う。
あと、人に読まれると思って書いてないんだな。
狭い世界に閉じるかたちで順応するとこうなるんです。その当時の僕が立ち、見えていた世界に順応しながら、なめられないように、いじめられないように、と考えて生きるとこうなるんですよ。世界と自分とは相互作用して影響を与え合うものだと思いますけれども、自分の態度を周囲を見て決めて、周囲よりかはちょっとマシだと思って振舞っても、やっぱり悪い態度なので周囲はそこから受け止めるものに反応する形でまた悪い反応を返したりする。それをみて僕は、やっぱし世界はこういうものだと思い込んで順応する、というのがあったと思うなあ。
で、何が足りなかったかって、愛とか情とかです。愛とか情とか、もっというと詩とかにふれる経験が足りなかった。なので、「若い頃の自分を叱ってやりたい!」と叱ったとしたって、叱ってどうこうなるものじゃないしかえって逆効果にだってなりそう。
あと、こう思うんだけど、「若い頃の自分を叱ってやりたい」「若い頃の自分と出会ったら殴ってやる」は、要するに今の自分の保身でしょ(猛毒)。
人間ってのは難しいものだねえ。ただ、こうしてこじれたりしていても、なにかがきっかけで少しずつ、または瞬間的に大きく、修正が効いたりもするんだと思います。
さて。
本ブログをいつ終了するか。サービス消滅の期日までやり通すのかどうか、まだ決めていません。ただ、読書更新はブクログで、考えの切れ端更新はnoteでやろうと思います。ということで、今後はこういう無駄話的更新のみになりそうです。あしからず。
ブクログは
ここ
noteは
ここ です。
よろしければ、アクセスをよろしくお願いいたします。楽しんでいただけるととてもうれしいです。
本日はここまでということで。