Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『在宅介護』

2017-02-26 00:21:59 | 読書。
読書。
『在宅介護』 結城康博
を読んだ。

介護士のひとだとか、主介護者じゃない介護者のひとだとかが、
介護をざっくりと勉強するのにはいいかもしれない読み物です。

介護関連について知りたいひとは切羽詰まったひとが多いと思うから、
わかりやすく階層化されていて参照しやすい構造の本が喜ばれると思う。
その点で言うと、本書はちょっと難しくてシンプルではないかなあ。

在宅介護や施設介護の例を紹介しつつ、
特別養護老人ホームや有料老人ホームなどなどについてのこと、
介護保険サービスはどんなものなのか、
その使い方や実はけっこう複雑なシステムなどについて、
いろいろと書いてあります。

最近は、入院してもすぐに退院させられたり、
医療費の節約のための入院90日ルールと呼ばれるものがあるようですが、
医療療養病床や介護療養病床を備えている病院ならば、
それ以上の長期入院が可能なのだというのを知りました。
このうち、介護療養病床は廃止されるようです。

グレーサービスや劣悪な施設などについても、
ページを割いて説明していました。
やっぱりたくさん、人権を無視したような施設はあるようです。
そして、経済的にも体力的・精神的にも追い込まれた家族なんかが、
そういうサービスでもしょうがなく被介護者を
入所させたりしちゃうんですね。
ほんと難しいんですよ、この介護という事象は。

最後の方では、
介護士の賃金が安すぎることにもふれ、
その打開策を探る部分もあり、
また、ベトナム人を例に、
外国人介護士にしてみれば、
日本人には安い賃金も大金だったりすることも
明らかにしています。

2025年には、
現在10兆円規模の介護保険給付費が、
二倍の20兆円規模まで膨らむと考えられているそうです。
団塊の世代が75歳以上になるからなんですが、
またそこで、人材不足の問題もあり、
たとえば40年後などには、
はたして介護の分野は破たんしていないかと
著者は心配しています。

介護士の賃金が低すぎること、
介護サービスの事業所の経営が成り立つこと、
介護保険の費用を国民の大きな負担にしないこと、
安価で上質の介護サービスが多くのひとに与えられるものであること、
そういったことを顧慮するには、
財源をどうするか、という大問題から目をそらすことはできません。

介護保険料をあげすぎずにやっていくには、
消費税をもっと上げるだとか、
インフラに投資する何割かを介護の分野に回すだとか、
著者はいろいろと提言していますが、
なかなか難しそうな印象を受けましたね。

社会の有りようが変わっていくこと、
それも低成長時代に突入したこの時期に、
ブラック企業やニートや少子化などなど、
僕にはそういうことも絡み合っているように思えてきます。

まああれこれ書きましたが、
この一冊でかなり介護の分野を知ることができます。
以前、講談社新書の超高齢社会についての本を読んで、
ここでも紹介したのですが、
併せて読むと、奥行きのある
「介護について」の知識が得られると思います。

市役所に相談するなり、
ケアマネージャーに相談するなり、
もはやそういう状況のひとにも役に立つと思います。

それにしても、
デイサービスやショートステイって便利なんですけども、
介護しているうちの母は病状や薬なんかの関係で、
これらを利用できずにずっと家で見てなきゃならないのが
大変なんです。
親父のタガがたまにはずれて、
それはやめろといっているんですけども、
そうなる一因に、こういう状況もあるんですよね。
難解な問題ですよ、本当に。

ぼくは椎間板ヘルニアがあるからそういう仕事は無理ではあるんですが、
意欲的に介護の仕事をされているひとを知ると、
すげえなあと感謝と尊敬の念を持ちます。
光が射せばいいなあという分野です。
なにか力になれるアイデアなんかがでてこないかなあ・・・。


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『おとなになるってどんなこと?』

2017-02-22 10:22:00 | 読書。
読書。
『おとなになるってどんなこと?』 吉本ばなな
を読んだ。

すんなりあっさり読めてしまえる分量の本ですが、
読者のこころやあたまには
ちゃんとした質感のモノが残ることうけあい。
ばななさん、実に正直に、実にオープンに、
さまざまな人生の根っこ付近の問いについて答えてくれています。

ひとりのひととして、
その裡に濃い内容を宿していないとここまで書けないし、
言語化や表現力の修練がかなりできていないと
ここまでのくだけたわかりやすい文章にはできないと思う。
出し惜しみなし、されど、
まだ表に出てきていない豊饒さまでをも感じます。

たとえば、「生きることに意味はあるの?」
という問いへの著者の答えは、
ぼくのおぼろげながら持っている答えと
著者の答えはちょっと違うのだけれど、
そういう捉えかたもありますよね、
という感じに腑に落ちるんです。

そういう、対等な立場で話をしてくれているような、
それもこっちが話を聞かせてもらっているのに、
著者が上からでもなく、
強いて言えばちょっと下からかなという立位置で、
ほんものの経験からくる言葉を聞かせてくれるところは、
敬意をありがとうございます、な気持ちになります。

作家友達ならば、
お互いの作品を読めば深い理解を持ちあうことになる、
みたいなところがあったんだけれど、
これは深いコミュニケーションだなあと思った。
僕の場合だと、けっこう綿矢りささんの作品に
そういう理解なのか誤解なのかを持ちます。
そこには怖さも含めて、ですね。

しかし、もしも吉本ばななさんが僕のことを見たとしたら、
たぶん、なにやってんの、もっとがんばりなさい
と喝をいれられそうな気がするんですよね。
それだけ、僕はまだまだ、よくないなだとか、
そう見えてくるんですが。

まあ、内省するだとか自分を否定してみるだとかって、
そのようにしてみて
最終的に自分を肯定できるようにするのが目的ですから、
この『おとなになるってどんなこと?』を読んで、
だめな部分がちらと見つかっても、
見つかったらそれで光の射すほうへ向けるのだ
と捉えるのがいいだろうと思いました。

誤解のないように言えば、
本書は読者を責めたり説教したりは一切していない本です。
著者の経験を例にして
いろいろな人生の問いに答えてくれる本でした。
中高生にはすごくいいかもですよ。

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『ハムレット』

2017-02-21 23:39:44 | 読書。
読書。
『ハムレット』 シェイクスピア 福田恆存 訳
を読んだ。

有名な古典劇の戯曲で、ジャンルは復讐劇の悲劇です。
シャイクスピアのものを読むのは
『ロミオとジュリエット』以来の二作品目になります。

ぼくは演劇をよく知らないので、
他の比較してどうだとか、
現代劇と比較してどうだとか、
まったくわからないのですが、
この『ハムレット』に関していえば、
ストーリーのスピード、セリフの質などから、
「勢いがあるなあ」と思いました。

また、
「悲しみというやつは、いつもひとりではやってこない。
かならず、あとから束になって押しよせてくるものだ」など、
名言、警句、機知に富んだ言い回し、多様な比喩、
アンバランスな狂気の言葉がちりばめられていて、
シェイクスピアはめちゃめちゃ攻めています。
そして磨いていて鋭さもある。
攻めて磨かれた言葉たちなんですよね。

そして、それらによって、
熱狂というか、「熱」を生みだしているように感じました。
舞台で演じられているさまを想像しても、
観客の頭に「熱」が生じる感じです。
アドレナリンがふつふつと湧いていくるような快楽が
「熱」という形でやってくるとでもいえばいいのでしょうか。

いかに昔のひと(16~17世紀)の書いたものでも、
表現力と洞察力のすごさにはやるなあと思います。
未来永劫名前が残るひとってのはこういう高みある、
それも攻めの高みです。

原文で読めば、韻を踏んでいたり、
リズム感だったり、そういうところのすごさもわかるんだろう。
解説によれば、日本語にすることで、
シェイクスピアのよさは9割減になっているらしい。
それでも、早口でセリフを言うことで、
シェイクスピアのよさをちょっとは表現できるんだっていう話でした。
やはり、そこは、つまりシェイクスピアのよさっていうのは、
「熱」なんだと、僕は思うんです。

あとは雑学めいた話になるんですが、
「明日は14日 ヴァレンタイン様よ」という
オフィーリアのセリフが出てきた。
ヴァレンタインズデイはそんなに古くからあるのですか。

それと、
シェイクスピアのお嫁さんの名前、アン・ハサウェイっていうんですね。
これを知ると、現代のアン・ハサウェイに、
そういう由来だとか色付けを感じるわけです。
というわけで、wikiを調べてみると、
「名前の由来は劇作家ウィリアム・シェイクスピアの妻からである。」
と書いてありました。
ハサウェイ家に生まれて、ご両親がしゃれてたのかな。

なかなかおもしろかったので、
またいずれ、シェイクスピアのものに触れたいと思います。
悲劇ばかりじゃなくて、喜劇もあるそうなので、
次はそっちがいいかなと思っています。


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『橋本奈々未写真集 2017』

2017-02-19 11:22:46 | 読書。
読書。
『橋本奈々未写真集 2017』 橋本奈々未 撮影:今城純 
を眺めた。

NYで撮影された
乃木坂46・橋本奈々未さんの最後の写真集。
彼女は2月20日にグループを卒業して、
芸能界を引退されます。

ななみんが引退を発表して、
それからどんどんきれいになっていった。
先日のSHOWROOMでの、
写真集発売記念&ソロ曲MV発表WEB生放送での彼女の姿を
見た方もいらっしゃるでしょう。
美しくて、全盛時をむかえ、
あるいはこれから全盛時が待っているひとが表舞台から去っていく、
そんな気持ちになりました。

写真集のななみんも、
すごくきれいでしたよ。
『やさしい棘』に続いて、セクシーな下着ショットもあります。
乃木坂のメンバーの生駒ちゃんならば、
「ななみんの写真集は今回もエッチだ」っていいそうです。
そういうセクシーなところだけじゃなしに、
美しい写真にもこころをわしづかみにされる。
見終わったときには、
これで最後なのかぁ、と
悲しくて切ない気分になりました。
この最後の写真集を何度も見返して、
彼女のことを忘れないでいようと思いました。

もうさ、
めいっぱい悲しんでください!ってななみんがいうんだから、
どうしようもないね。
健康な悲しみに目いっぱいひたります。
ありがとう、ななみん。
卒業まであとわずかだね。 
お元気で。


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『ぽてんしゃる。』

2017-02-18 18:57:47 | 読書。
読書。
『ぽてんしゃる。』 糸井重里
を読んだ。

イトイさんがほぼ日やツイッターなどで書かれた
2012年分のなかから選りすぐって編集した本です。
小さなことばシリーズ第7作。

やっぱりおもしろいです。
だけど、すべての言葉にうんうん肯いて
「そうだなあ、そうだなあ」とはならないんです。
7作目にしてぼくがアンチテーゼに入ったというわけではないでしょう。
内容と同様のことをぼくも考えるように
自然となっていたりする、そういうのが影響していると思う。

また、本書だけに限らなくて
これまでの(比較的最近ですが)
イトイさんのほぼ日やツイッターの文章などを
読んでいてもそうなのだけれど、
うちのうるさい親父をずっとみてるせいか
イトイさんが言っていたり仮定しているより、
こじれていたりドツボだったりすることを知っている場合があって
イトイさんの考えでもまだうまくないって思ったりする。

それと、
イトイさんが「こういうのはいいね」って言っているようなところに
ぼく自身が当てはまってるところがあったりするんだけれども、
それがさ、重々考えたうえで確信的にそっちの道を選んでいるんじゃなくて、
ふわっとだったりなんとなくだったり
無意識的に決まっいった道がそうなんです。
まったくもって、紙一重。
このまま歳を重ねていけたら、
もっと意識的に自分の歩く道を選んだ理由を
手に掴むようになれるんだろうか。

後半には、吉本隆明さんに関する
興味深い文章が続くところがあります。
2012年は吉本さんが亡くなられた年でした。

「対象に働きかけるということは、
対象の側からの反作用を受けているんですよ。
必ず、そうなんです」(吉本隆明)
深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗くっていうのに
似ているような言葉です。
今のぼくならば、乃木坂46にのめりこんでますから、
乃木坂の側からなんらかの影響を受けるかもしれない。
かわいくなったりして。……違うかな。

ブックインブックの部分の味わいもとてもよかったです。
そこは、おいしい、おいしい、読みものぶぶんでした。

このシリーズはほぼ日の永田さんが編集されているようです。
フォントの形や大きさや配置も決められているんだろうなあ。
デザインの部分、編集の部分、選別の部分、
いい仕事をされてますよねー。

このシリーズは、
疲れ気味だったり、
ちょっと「キーーッ!」とした気分が続ているうちのある時だったり、
そういうときに読むと平常に近づいたり戻れたりするんじゃないかなぁ。
プラスして、気がつけば「光の射す方」を向いているようになりますよ。

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『二都物語 上下』

2017-02-16 23:43:58 | 読書。
読書。
『二都物語 上下』 ディケンズ 中野好夫 訳
を読んだ。

フランス革命の前後の時期、
イギリスはロンドンと、
フランスはパリの二都市を舞台に進む物語。
ひとりの女性を愛するふたりの男。

18世紀のイギリスやフランスの大衆の様相を読み知ると、
今よりも「世も末」感を感じます。
すさみ方がすごい。
イギリスは追剥だとか夜盗だとかが跋扈していて、
また、ちょっとした罪でも、死刑になる裁判が大流行り。
裁判で死刑判決が出るところを見に来る、
地に飢えたような大衆も大勢いる。
フランスは王侯貴族の権力が強く、
民衆は虫けらのごとく扱われて、
また、密告などにより罪のない人たちが
厳しい監獄送りにされていたりする。

フランス革命はそんな王侯貴族中心の国家体制への
強烈なしっぺ返しだった。
根こそぎに、根絶やしにする暴力でもって、
暴走ともいえるような革命がなされたのだった。
王侯貴族は、たぶん全部が全部ではないのだろうけど、
庶民を虫けら扱いし命をも軽んじた。
その結果、根絶やしみたいになって滅ぶ。
「少しでも疑わしきは罰する」の精神で、
粛清が進むくらい、その反動は大きかったみたいです。
フランス革命の根絶やし的暴力性は、
この革命時に生まれたギロチンそのものが象徴している。

そんなものすごいエネルギーの暴走の中に生きている主要人物たち。
フランス人はすべて、時代のうねりに翻弄されないことはまずない状況。
イギリスはイギリスで荒んでいるし、
そのなかでの美しさを読者は主要人物たちに見るのだけれど、
社会が悪いから美しいわけで、嘆きの美しさだ。

残虐シーンも容赦ないですが、
小説自体が猟奇的ってわけでもなく、
微笑ましいところやユーモラスなところもある。
『クリスマスキャロル』以来二作品目のディケンズで、
でも、ディケンズの深い温かみみたいなのを裏に感じはするんです。

名前は出てこないで王妃とされていたが、
監獄にいれられて髪が真っ白になって
ついに処せられたマリー・アントワネット。
絶対大丈夫だ、この栄華は永遠のものと信じきっていたのかなあ。
驕慢はおそろしい。
いや、でも、無垢なだけだったのかもしれない。

と、時代の状況にばかり目が行ってしまいましたが、
ストーリーも登場人物たちも魅力的な小説でした。
1967年の翻訳版で読んだので、
よく辞書を引きながら読みましたが、
そういう難しい単語をのぞけば、
外国大衆文学の金字塔とも言えそうです。
翻訳者の解説によれば、
手厳しくも「傑作ではない」と書かれていましたが、
楽しむつもりで、冷笑的にならずに読めば、
おもしろくて没入する読書体験になるでしょうし、
僕の読んだところでは娯楽作品として一流でしたよ。

群像劇ですが、
主要の二人の男のうちのひとり、
シドニー・カートンがよかったですね。
僕自身が彼になったかのように感情移入して読んでしまいました。

上下巻合わせて800ページもなんのそのでした。
続きを読むのが楽しみでならない感覚です。
いまは、同じ新潮文庫から新訳がでているようで、
そっちは700ページもなくて一冊の分量だそうです。

演劇になったりもする名作です。
じっくり物語にハマりたい方は、どうぞ。




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自己ベスト246

2017-02-11 18:08:46 | days
おとといの晩になりますが、
今年初のボウリングに行ってきました。
冬期間、家事手伝いの身であることなどから、
いっしょに行った従兄が奢ってくれた。

それで奮起したのかもしれないです、
恩返しとばかりに自己ベストを更新です!




写真がピンボケですが、246点です。
ちゃんと下二けたを46でまとめるところが乃木坂好きらしいでしょ(たまたまやん)。
それで、このゲームが終わったときには、
となりのレーンのひとが、「ナイスゲーム!」と拍手で讃えてくれました。
ゲーム清算時にも、店員さんがおなじく「ナイスゲーム!」と言ってくれて、
「今度、大会にでてください」なんて誘いもしてくれました。

こういう高得点のビッグチャンスは一年にあるかないかくらいです。
200点はけっこう超えるんだけど、
220点以上が、ぼくにはむずかしいのです。

今回はたぶん、投げていてゾーンにはいりました。
これがまさしくゾーンならば、
ゾーンに入っているときは、プレイがイージーに感じられますね。
ちなみに、アメリカン方式で投げていました。
右のレーンで投げるときは、パワーを控えて投げたのが吉と出たんですよねー。

ああ、うれしい。

自慢になってしまいましたが、
こういうの滅多にないもので、、、

ボールは以前使っていたソースレッドをまた使用して、でした。
ゼログラビティグリップが
持っている中でいちばん新しいボールなのですが、
曲がるようにドリルしてほしい、とドリルしてもらったら
えらく投げるのが難しくなってしまったんですねえ。

まあ、それはいいとして。
気持ちのいい夜でございました。
えへへ。

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都市と地方---知性中心主義の否定から考えて。

2017-02-04 22:11:17 | 考えの切れ端
知性中心主義は、
言うまでもなく、頭がよくて勉強ができるひとが素晴らしいとして、
ひとの価値を頭の良さで順列する考え方。
似たものに、お金中心主義がある。
それはさておき、ぼくは知性よりもお金よりも大事なものはあるし、
それに順列して階層化することもないだろう、と思うひと。

だから、知恵や知識をたくさん蓄えねばならないんだと、
多くのひとが本を読んだりして、
そうしないひとを見下すようなのはまったくの間違いだと考えている。
いろいろ考えたけれど、
娯楽以上の知識の付け方は学者だとか
専門家にまかせたほうがいいのかもしれない。

みんなが政治やら科学やら倫理やらのエキスパートレベルにあって
「これが民主主義」だって誇れるくらいになるのは
スタートレックの世界くらい夢想の世界の物事でありはしないだろうか。
というわけで、最低限以上の勉強を放棄しても
できるだけ迷惑をかけないスキルを持てば許される世界がひとつの理想。

だけど現実として、
科学が進歩して、
燃料が水素になるだとかAIの進化が著しいだとかビットコインだとか
もうほんとうにいろいろ新しいものがでてきて知識をつけることを強いられるし、
せっつかれて勉強をしないといけなくなる
(常識をつけないといけなくなる)。
ここが不幸のポイントだと思うのだ。

なんでも知識をつけること、
知恵をつけることが大事に思えるから
(そりゃ大事ではあるんだけれども。金儲けにも騙されないためにも大事だ)、
この社会は知性中心の世の中で、それは絶対的なものだと錯覚してしまう。
知性中心なんて当たり前だね、と思ってしまう。
お金が一番なんて当たり前だと思うのと同様に。

まあ、いまって、
お金と知性とが両輪で回っている価値基準の力が強いのかもしれない、と思っていて。
やっぱりこういうのって、
ディストピアを念頭にした強迫観念からきているのかな。
機械に支配される、
宇宙人に支配される、
どこかの秘密結社や悪の組織に支配される、
そういうのに対抗しなきゃ、自分だけでも助からなきゃという。

それで、お金と知性中心主義ってやっぱり都市部からでてくるでしょう。
都市部からは、エコだとかスロウだとかそういうコンセプトが出てきますが、
バブルだとか不寛容も出てきます。
こういうのは一部ではありますが、
当然、都市は全能ではないということです。
同様に地方にもいい面と面倒な面がある。

均質化せずに、混ざりあえるところは混ざりあえばいいんですよね。
むずかしいかもしれないけれど。
都市部と地方で対立することはないです。
都市部の便利なところなど地方に対して融通してもらえれば融通してもらい、
地方の時間感覚や自然なんかだって必要なものだから都市に融通する。
今だってそうなってはいる。

温泉やスキー場に地方を利用し、
病院や娯楽なんかで都市を利用する。
そういうのはあるけれども、
人間単位でもお互いによく知りあえば
双方にプラスにはたらくものはあると思います。
なんでも区分けして、あっちこっち分けたがる風潮ってあるように思いますが、
自ら亀裂をこしらえることはないのでは。

トランプ大統領がメキシコとの間に壁をつくることに反対するひとは、
壁という存在が、人間間に亀裂を作るからだと言ってはいないかな。
ぼくはうっすらとしか考えてなくて発言するには申し訳ないのだけれど、
壁は亀裂だと思った。

こういう考えの根本には、
できるだけ「生きやすい社会」を、というコンセプトがあります。
いらんストレスはいらんし、
差別やいじめも少なくなっていけばいいし、
当たり前だけれど暴力も減って、
人々がフェアにそして自由に暮せると一番いいなと思っている。
そういう理想に近づけばいいなあ、と。

最近、録画していたアドラーの番組を見て、
それで再確認したのですが、
アドラーの考えを知れば、
劣等感や優越感というものは無くならないもので、
ひとはそれらを用いて成長していくとしているのがわかった。
劣等感や優越感も生きづらさを生みますが、
そこらはダイナミックに考えるといいんだろうなぁ。
大きく見て、生きやすさと自由に繋がれば、取り入れるべきなんだろう。

話が逸れてきたからこのへんで。
ヴォネガットの『プレイヤー・ピアノ』は好きだったな、
というところにも結び付く、
反・知性中心主義の話でした。
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『原発事故と放射線のリスク学』

2017-02-02 01:09:12 | 読書。
読書。
『原発事故と放射線のリスク学』 中西準子
を読んだ。

環境問題や化学物質のリスク面について考えてこられた著者が、
東日本大震災によって発生した福島第一原発事故によって生まれた、
除染問題や放射線の低線量被曝のリスクなどに取り組まれた一冊です。

第一章ははっきりいってむずかしい。
でも、そこをどうにかくぐりぬけると、
比較的わかりやすく福島原発事故の放射線関係の案件について、
まともな知見が得られます。

こまかく理由を追っているのを読者も追っていって
理解することになるのですが、
どうやら甲状腺がんについては大丈夫そうなんですよねえ。
一部マスコミが不安を投げかけるのも、
この本を読んでいたら出てこないと思われもする。

その甲状腺被ばくについて。
チェルブイリでは3000ミリシーベルト以上の甲状腺等価線量だったのに対して
福島では35ミリシーベルトだったと。
これが50ミリシーベルトだとか
100ミリシーベルトだとかを超えると
要注意という世界的な共通認識があるという。

福島のひとたちを見捨てたり差別したりしないために、
本書は多くの人が(みんなが、といいいたいところ)読んだらいいなあ。
まあ、仮に大きなリスクがあったとしても、
差別だとかするべきじゃないのですけど。

また、除染については、
除染って二兆円規模だったんだなあと知りました。
それも、ストレートに除染できていなくて、
紆余曲折を経た後にやりすぎとも言えるくらいの厳しさでもって規定された
○○マイクロシーベルト以下っていうのを遵守する方向でやったから、
本当に莫大な費用になっている。
住民の心情ってのもあるし、むずかしい。

その心情の面では、
サイエンスとメンタルの間で綱引きして膠着するんですな。
メンタルってのはやっぱり人間だからすごく強い。
サイエンスなんぞ信じられない、理解できないというくらいに。
そして、そういう人間心理の土壌に建設された原発であった。
この文脈で言えば、原発的なモノってたくさんでてくるのではないかな。
なんて考えてみたり。

純粋を求めそれをよしとすることと、
リスクゼロを求めそれをよしとすることは、似ていないかな。
リスクを考え、これだけ小さいけれどリスクがあるとわかって
それを背負うことが現実では大事で、
リスクゼロを求めるのは不毛だったりする。
リスクと安全の間はグラデーションで、
そこにこそ現実がある。

リスクと利益を天秤にかけて、
これだけの利益を得たいからこれだけのリスクを背負う
と判断することはとても現実的。
でも、リスクをゼロにしようと躍起になって
ずっと頑張るのはちょっと意味がない。
こういう、リスクと利益で考えるリスクトレードオフという考えは
ほんとうにそうだなぁと思う。
本書では例として2006年に限定的な使用で復活したDDTを例に
リスクトレードオフを説明してくれています。
マラリアで死ぬリスクを考えたら、DDTで病気になるリスクのほうが低いから、
DDTを使おうっていう考え方です。
DDTは強い殺虫剤で、環境問題になった薬です。

というわけですが、
誤植が多いけれども、
ぼくはそういう種類のことはほとんど気にしない性質なので、
その興味深さやおもしろさにひきつけられっぱなしで読んでいました。
良書でしたよ。


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