拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

カウンター・テナーを歌うワケ

2018-07-16 07:20:28 | 音楽
人に、なぜカウンター・テナーを歌うのか?と聞かれた時は必ず「上から下まで同じポジションで歌えるから」と答えている。そう、テナーだと途中に声部の転換点があるし、バスは……そもそもバスの声じゃない。その同じポジションで歌う声域の拡大が永遠のテーマである。上は亀の歩みではあるが確実に広がっている(根城にしている某合唱団の人手不足のせいで「逃げ隠れ」ができないのが効を奏している)。問題は下だ。「男」だから下が出るでしょ?というのは大きな勘違いで、ファルセットで下を出すのは大変。カウンター・テナーは実は低い音は苦手である。私はそこのところを克服しようと自転車に乗りながら日夜おえーおえー(えづいてるのではない)とやっているうちに(足立区でちゃりに乗ってる人は大体奇声を発している)大分下が響くようになった。まだまだこれからである。残りの人生あと40年(一応百まで生きる気なので)、飽くなき研鑽に励み続ける所存である。すると、「同じポジションで下も出すんだったら、その感じでテナーを歌えないのか」と言った人がいる。うむ。ルネサンスの曲を、うーんと少人数で、ろうそくの灯りのもとで(意味はない)、ひっそりと歌うんだったらできると思う。音の厚いところだと、とたんに脳が反応して強い声を出そうとする。すると「同じポジションで」というわけにいかなくなる。因んだ話その1。「ろうそくの灯り」といえば、大昔、ワインの仕事をしてたとき、デカンティングをするのに昔の人をまねてろうそくを立ててやったことがある。だからどーってことはなかった。その2。こんだけ人々が私に「バスは無理」と言ってるにもかかわらず、学生んときの歌仲間のB子は自分が主宰する同期会にバスがいないもんだから、なんだかんだ言って私にバスを歌わせようとする。あのね。「無理」って言われてるんだよ。必ずよいところを見つけては褒めて下さる優しい優しいBお姉様ですらあのいつもの優しい声で「バスは無理ですね」とおっしゃるくらいである。事実を直視してほしいんだよね。私にバスを歌わせるってぇのは、足を洗った昔の仲間に再び金庫を開けさせるようなもの。だんなー、そんなことをさせちゃぁいけませんぜ。といくら言ってもB子はなかなか納得しない。こないだみんなで歌った時の音源を配信してくれたとき、「ね?いーじまくん、上から2番目(アルト)が大きいでしょ?そんたくしようね」というコメントを付けていた。しかし、どう聞いても一番大きいのは上から1番目(ソプラノ)のB子である。と、ここでぐだぐだ言っていても、B子の前ではおびえてしまって反論できない私である(私が学生指揮者のときB子はソプラノのパートリーダー。力関係は後者の方が上である)。B子、読むかな、この記事。あ、あのー、以上は愛情の裏返しだからね(って必死のフォロー。なにしろ怖いから)。

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