拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

腸活/ドーリア旋法

2022-06-20 09:26:06 | 音楽

お陰様で、私の胃腸は極めて規則正しく動いている。そんな私の腸が活動を止める(BEMPIになる)ときがある。一つは風邪薬の銀のベンザ(のど風邪によく効く)を飲んだとき。もう一つは、気を入れていたイベントが終わって、ふ~と一息ついたとき。これは極めて面白い現象である。気が抜けると、体中が活動を止めるらしい。よく、仕事命の人は休みになると風邪をひくという。大昔にのど自慢を担当していた某アナウンサーは、休みになるときまって風邪をひかれていたという(実は、大学生のとき、アンケート調査のアルバイトで、この方のお住まいに行ったことがある。まさかそうだと思わなかったが、アンケートに応えてくださった奥様から聞いて知った。学生アルバイト相手でも丁寧に応対してくださる優しい奥様だった)。私の場合は、風邪をひく代わりに腸が止まるのである。昨日がそうだった。一昨日のシュッツの会が盛況のうちに終わって一息ついたのだ。因みに、昨日は数人とネットでやりとりしたが、声帯は一言も発してない。たくさん歌って反省会でたくさんしゃべった後のよい喉の休養である。

そのシュッツの会で、「Die mit Tränen säen」が何腸……ではなくて、何調か?って話になった。もともとこの時代は調性が確立していないが、しいて言うなら、ということである。分かりにくいのは、その楽譜がドーリア調で書かれているから。ドーリア調とは古い教会旋法の一つで、第一旋法とも言われている。レを起点とする「レミファソラシ」の音階である。この「レ」は絶対音ではないから、他の音を起点とするドーリア調も可能である。例えば、ド(C)を起点とすると、「ドレ♭ミファソラ」となる。ミが♭なので今日の短調っぽいが、ラがナチュラルであるところが独特である(グリーンスリーブスの感じ)。さらに話をややこしくしているのは、シュッツの頃になると、今日に通じる調性の意識がかなり浸透してきていて、調号についてないラの♭を臨時記号で付けている点である。これが100年後のバッハになると、調性は今日と同じになってきているのに記譜はドーリア調にこだわってるもんだから、すべてのラに臨時記号で♭を付けている。だったら、最初から調号に♭を一個足しとけよ、って話である。その顕著な例がマタイ受難曲の終曲。調号の♭が二つだが、あれをト短調という人はいないだろう。みんなハ短調だと思っているだろう。いや、「ト短調という人はいないだろう」と書いたが、ときどきいる。もしト短調だとすると、出だしの階名は「ファーソラソファミレ……」となる。まさにドーリア調である。古楽を中心に歌っていて、ドーリア調が心の故郷になっている人にとっては、短調の階名は「レミファソラ」なのである。

話はつながるもので、今朝の「古楽の楽しみ」では、17世紀の鍵盤音楽を紹介していて、その中に、第1旋法のなんたらって曲があった。レミファソラと来て、ナチュラルのシを期待したら♭が付いていてずっこけた(ウソ。布団に入って聞いていたから)。時代はシュッツよりも前である。


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