拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

悲劇

2022-11-24 12:03:48 | 日記

日本が「ドーハの歓喜」で沸き立つ一方で、ドイツのニュースは「riesige Enttäuschung」(ものすごい落胆)と報じ、喜ぶ日本のファンの様子を紹介しながら「kaum jemand gerechnet」(ほとんど誰もが(日本の勝利を)予想してなかった)と付け加えていた(W杯)。

「ドーハの歓喜」と言えば、かつて日本は「ドーハの悲劇」に見舞われていた。あれはもう30年くらい前になるのか。だが、この「悲劇」の呼び名はどうも私にはしっくりこない。私のイメージでは、「悲劇」とは本人にはどうにもならない運命にもてあそばれて被る惨事。だが、「ドーハの悲劇」は、別に誤審があったわけでも、相手のファウルがあったわけでもなく、それまでリードしていながら最後に相手にセンタリングを上げられて(カズがボールに足を伸ばしたが届かなかった)、それを頭で合わせられて同点に追いつかれ、それでW杯に行けなかったという話である。これが外国だったら「なにやってんだっ」となるところ、「悲劇」と名付けて選手をいたわるのだから、つくづく日本は優しい国である。それに対し、昨夜の勝利は、これは実力で勝ち取ったものだから「歓喜」は当然である。その「歓喜」に沸き立つ若者が渋谷で電柱によじ登り、降りて来させたおまわりさんに食ってかかっていた。外国だったら即逮捕のところ、注意だけで済むのだから、この点も日本は優しい国である。

因みに、「悲劇」の反対は、演劇やオペラでは「喜劇」だが、今回の快挙を「ドーハの喜劇」と言ったら意味が違ってくる。それから、ニーチェの著作に「悲劇の誕生」ってぇのがあるが、その内容は、悲しい出来事がどうやって起きるのか、ではなく、芸術作品である「悲劇」がどうやって生まれたかを論じるものである。まだニーチェがワグネリアンだった頃の作品であり、当時の彼にとっては、「悲劇」=最高の芸術作品=ヴァーグナーのオペラ、であった。

因みの因み、上記のカズは当時20代。つまり、今は50代。それで現役を続けてるんだから驚異である。走り回るサッカーの消耗度は他のスポーツの比ではない。30年経った今、私がもっとも尊敬するスポーツ選手の一人である。


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