拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ウィーン、合唱団対決(国立歌劇場VS楽友協会。ゴジラVSコングの公開も間近)

2021-06-17 09:14:42 | 音楽
去る月曜夜の同時刻帯、地上波ではつるべの家族に乾杯、BSではきたきつねの家族を追うドキュメント。この「家族対決」は私的にはきつねの勝ち。きつねを視聴(動物好きなので。人間も動物だけど)。対決と言えば、私が音楽好き少年だった頃(「だった」(過去形)は「少年」のみにかかる。今でも音楽好きの青年です)、アンチ・カラヤンはみんなベームに流れたから、ベーム対カラヤンの構図であった。これは同時に、ウィーン・フィル対ベルリン・フィルの対決であり、さらに、同じウィーンの国立歌劇場合唱団VS楽友協会合唱団の対決でもあった。この二つの合唱団については、一般に、国立歌劇場は声量があるが細かい表現が苦手、そこが得意なのは楽友協会合唱団だと言われていた。なるほど、である。例えば、第九の「vor Gott」の「t」は、国立歌劇場の場合はいくつも聞こえる(トゥ、トゥ、トゥ……)。対して、楽友協会はそもそも「t」が聞こえない(カラヤンの趣味かも知れない)。ミソソレの「in gloria dei patris」も、国立歌劇場は「イィィィーン、グロッオッオッオッオッオッリア……」って感じに力み返ってるが、楽友協会は「イーーーーングロ~~~~~リア」って具合になめらか。私の愛聴盤はベームだったからデフォルトは前者だが、こういう歌い方をすると古楽の世界では人格を認めてもらえない(生まれながらに人権を有する人とは見られない)。私の場合は室内合唱団在籍の4年間で徹底的に牙を抜かれ、卒業時にはすっかり後者の人になり、前者を野蛮と思うようになった(最近、後者があまり野蛮に聞こえなくなってきた。少し戻ってきたか)。この二つのうち、生で何度も聴いたのは国立歌劇場合唱団。オペラを何度も見に行ってるから。その中で一番印象に残ってるのはパルシファル。第1幕の大詰めで合唱がアカペラで歌うところがある。オケが抜けたとたんに音程が下がってきた。それも個々に下がるのではなく、全体で、「一糸乱れず」に下がるのである。やばいっ。最後にオケが入る。聴いてる方がどきどき。そしてカタルシスが起きた。楽友協会合唱団の一番の思い出は、これは生ではなくレコードなのだが、カラヤンのマタイ受難曲を聴いたときのこと、普段より明らかに合唱の声量がある。カラヤンだから、楽友協会合唱団に違いなのにどうしたんだろう、と思ってジャケットを見たら、ベルリンドイツオペラの合唱団が混ざっていた。水増し効果はてきめんである(ベルリン・ドイツ・オペラの合唱団は、日本で「神々の黄昏」のとき生で聴いた。このオペラはドイツ分断当時は西ベルリンにあって、東ベルリンにはベルリン国立歌劇場があった。私が、生涯で一番どぎもを抜かれた合唱団はこの東ベルリンの合唱団である。曲はマイスタージンガー。第3幕の「Wachet auf」は鳥肌が立った。これに比べると、ミュンヘンオペラの日本公演のマイスタージンガーは、ソリストは超弩級であったが、合唱はまったくもって貧弱だった。後でドキュメンタリーを見たら、合唱団は日本の学生による水増しだった。こっちは、水増し効果は散々だった)。因みに、日本のあちこちの都市に、「○○楽友協会」と称する団体がある(そのうちの一つは、私が高校のとき在籍した吹奏楽部のOBOGが作ったものである)。かように、日本人のクラシックファンは「がくゆうきょうかい」の響きが大好きであるが、ネーミングの元になったのは、ウィーン楽友協会合唱団に違いない。ほかに、日本で有名な「がくゆうきょうかい」なぞない。そして、彼ら(各団体の創立者)がその名前を知ったのは、(彼らが私と同年代だとすると)もっぱらカラヤンのレコードにおいてである。いっとき、ウィーンの楽友協会合唱団はあまり聞かなくなった。カラヤンの最晩年においては、カラヤン同様、合唱団の団員も歳をとって声がすかすかになったという評判だったし。カラヤン後、アバドがベルリン・フィルの指揮者になると、アバドが使ったのは他の合唱団だった。だが、最近、また、CDのジャケットでその名を見るようになった。

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