アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

待つ

2009年03月26日 | 絵 その7
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太宰治の作品で「待つ」という小作品あります。
(青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2317_13904.html )

5分位で読めてしまうのですが、20才の女性がホームで何かを待っている。
それは得体の知れないもので、いつ来るのかもわからない。

なにかしらの衝動が、そのような行動をさせ、「待つ」という行動に走らせる。

待つということは、何もしないということではなくて、「待つ」という行動があるのかもしれない。
僕は、どこで待っていればいいのだろう。


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放浪家

2009年03月26日 | 絵 その7
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新聞に載っていた種田山頭火を描きました。

少し前の公共放送の「熱中時代」という番組で、女性が野宿をしている場面に出くわしました。
5分くらいしか見ることはできなかったのですが、お寺の軒下にマットを敷いて寝袋に入って寝入る姿は放浪家の一端を見たような気がしました。

放浪家は家はないけど、なになに家という家持ちですから、どこか達観した姿を連想します。

その女性は、やはりというべきか、どこかに刺激を求めていて、それはテントという簡易住宅さえも拒む。
まったくの無防備の中で、原始回帰を試みる。

どんな夢を見るのだろう。

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坂本竜鹿 他

2009年03月24日 | 絵 その7
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「春ぜよ・・」

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2009年03月23日 | 日記
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箸というのは、毎日のように使うものでありながら、僕はあまりにも無頓着でありました。

親指と人さし指を直角にして、その距離を「あた」と呼ぶそうです。
箸の長さは「ひとあた半」(1.5倍)が理想とされているそうです。

日本人にとっては、
「箸は万(よろず)の神に近い神聖な存在なのだ。山の幸海の幸を大切に箸でつまみあげ、口に運ぶ。箸が、万物の宿る神とひとを媒介している。」(「平松洋子の台所」より)

箸置きは、その先端を穢れから守るという意味があるそうです。

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人生は楽ガキ(落書き)だあ! 48

2009年03月22日 | 絵 その7
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ネットで坂本竜馬の写真を何点か見てみると、豪放豪快というイメージは持ちづらいなあという印象を持ちました。

小林秀雄の「無常という事」の中に、川端康成が小林秀雄に語った逸話が出ています。
「生きている人間というものは、どうも仕方のない代物だな。
何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出かすのやら、自分のことにせよ他人事にせよ、解ったためしがあったのか、観賞にも観察にも堪えない。
そこへいくと死んでしまった人間というものは大したものだ。
何故、ああはっきりとしっかりとして来るのだろう。
まさに人間の形をしているよ。
してみると、生きている人間とは人間になりつつある一種の動物かな」

竜馬の豪快なイメージは、もしかしたら内に秘めた闘志の部分であったのかもしれない。


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