『私の人生観』 小林秀雄著
「今日天職というような言葉がもはや陳腐に聞こえるのは、
今日では様々な事情から、人が自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業を見つけることが大変困難になったので、
多くの人が職業の中に人間の目的を発見することを諦めてしまったからです。
これは悲しむべきことです。」
「平和というような空漠たる観念のために働くのではない、働くことが平和なのであり、働く工夫から生きた平和の思想が生まれるのであると確信した人。
そういう風に働いてみて、自分の精通している道こそ最も困難な道だと悟った人。
そういう人々は隠れてはいるが到るところにいるに違いない。
私はそれを信じます。」
(以上本文より)
この本によると、「観」という言葉は仏教の思想であり、日本人独特の語感があると書かれています。
昔の日本人は。「観」という思想があり、自らの一生も「観」という目で眺めていたのであろう。
この前、読んだ本の中に、バーテンダーは天職率が高いとありましたが、そういうものに就けた人(あるいは見つけた人)は幸運であるに違いない。
幸運で片付けてしまうのは、その幸運を手にした瞬間から世界がガラっと変わってしまい、努力、知性、教養が自然と身についてしまうからである。
今日の不幸は、そういった幸運を見つけることができず、物事を優位性でしか判断できなくなってしまったことだろうか。
追記
この講演は1948年のものです。(49年に文章化)
今読んでも、まったく古さは感じられず、これが戦後歩んだデモクラシーって奴ですかねえ~。
「今日天職というような言葉がもはや陳腐に聞こえるのは、
今日では様々な事情から、人が自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業を見つけることが大変困難になったので、
多くの人が職業の中に人間の目的を発見することを諦めてしまったからです。
これは悲しむべきことです。」
「平和というような空漠たる観念のために働くのではない、働くことが平和なのであり、働く工夫から生きた平和の思想が生まれるのであると確信した人。
そういう風に働いてみて、自分の精通している道こそ最も困難な道だと悟った人。
そういう人々は隠れてはいるが到るところにいるに違いない。
私はそれを信じます。」
(以上本文より)
この本によると、「観」という言葉は仏教の思想であり、日本人独特の語感があると書かれています。
昔の日本人は。「観」という思想があり、自らの一生も「観」という目で眺めていたのであろう。
この前、読んだ本の中に、バーテンダーは天職率が高いとありましたが、そういうものに就けた人(あるいは見つけた人)は幸運であるに違いない。
幸運で片付けてしまうのは、その幸運を手にした瞬間から世界がガラっと変わってしまい、努力、知性、教養が自然と身についてしまうからである。
今日の不幸は、そういった幸運を見つけることができず、物事を優位性でしか判断できなくなってしまったことだろうか。
追記
この講演は1948年のものです。(49年に文章化)
今読んでも、まったく古さは感じられず、これが戦後歩んだデモクラシーって奴ですかねえ~。