令和5年6月25日(日)に社中M氏の「水無月の茶事」にお招きいただきました。
「水無月」の「無」は「の」を意味していて、水が無い月ではなく雨が多く水が溢れる「水の月」を表わしているそうです。
暁庵をお招きくださったM氏は長年の茶道精進の甲斐あって昨年目出度く準教授を坐忘斎お家元から拝受し、そのお礼の茶事に招いてくださったのでした。
翠滴る山懐に抱かれた箱根湯本の仁庵へ次客YKさま、詰KTさまと3人でいそいそと出かけました。
紫陽花が鮮やかに咲き乱れる仁庵へ伺うのも5年ぶりでしょうか?
広間の待合には煙草盆が美しく調えられ、床に「喫茶去」の横物が掛けられていました。御筆は紫野弧蓬庵・小堀卓厳師です。
大好きな禅語「喫茶去」が嬉しくも、厳しくも心に迫って来ました。きっとご亭主は万感の思いで美味しい御茶を練ってださると思うし、御茶を頂戴する客もそのお心にしっかりと応えなくてはなりません・・・ね。
詰KTさまが板木を打つと、半東T氏が紅い切子のグラスに冷たい飲み物(梅ワイン?)をお運びくださり、腰掛待合へご案内頂きました。冷たい梅ワインが乾いた喉をゆっくりと潤してくれ、期待で胸を膨らませながら腰掛待合へ向かいました。
腰掛待合で辺りの風情を楽しみながら待っていると、ご亭主M氏が水桶を持って現われました。ご挨拶を交わし、緑の苔に覆われた露地を通リ、蹲で身を浄めてから仁庵(四畳半台目席)へ席入りしました。思いがけなく立礼席になっていて温かなご配慮を感じ、嬉しかったです。
床の御軸は「無明払暁」と何とか読め、米寿大龍と書いてあったような・・・。
相国寺・有馬頼底師の八十八歳の御筆だそうで、「無明払暁・・無明の中、今ここから始まる」を意味するとか・・・。
(「無明払暁」と書かれた御軸)
「無明払暁」と伺って、以前訪れた直島(香川県香川町)の「家プロジェクト」の一つ、「南寺」(ジェームス・タレル)をぼんやり思い出しました。
一足中へ入ると、そこは漆黒の無明の世界でした。暗闇の中を不安、恐れ、期待を感じながら壁を伝って進んでいくうちに、身体に染みついた常識や不要な感情がそぎ落とされて、本来の人間の持つ感覚だけが研ぎ澄まされていくようでした。
ベンチに座り、しばらく無明の世界へ身を置きました。すると、闇に目が慣れたのでしょうか? 一筋の光明が見えてきて、次第に目が明るさをとらえていきました・・・。
私には難しい仏教的な意味合いはわかりませんが、これから切り開いていかれるM氏の茶の世界への光明(道しるべ)を示しているように思われ、心の中で応援の拍手をしました・・・。
(仁庵にある道しるべ)
懐石になり、仁庵・調理長心尽くしの懐石を感激しながら賞味しました。特に湯葉しんじょう水無月の煮物椀が絶品!でした・・・。
記念に献立の写真を掲載します。 つづく)
箱根・水無月の茶事に招かれて・・・(2)へつづく