暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

新・釜師長野家の初釜 (2)

2012年01月12日 | 茶会・香席
初炭が始まりました。
ご亭主の長野新さんは表千家流です。
初掃きの羽根の扱い、炭の数や置き方などに違いがあり、
久しぶりに表流の炭手前を拝見させて頂きました。

湿し灰を撒きだすと、彫金家K氏から
「その黒いものは何ですか?」
「湿し灰と言って灰を湿らせたものです。
 これを周りに撒くことによって空気の対流がおこって
 炭に火がつきやすくなること、
 湿し灰のうつろいの風情を愉しむことでしょうか」
みんなで口々に上記のようなことを説明したような・・・。

お茶をなさっている方には湿し灰は当たり前のことですが、
K氏の質問はごもっともであり、とても新鮮でした。
「その白いものは何ですか?
 どうして一本なのでしょうか?」
炭の上に置かれた枝炭を指しての質問です。

「枝炭(えだずみ)といいます。
 細い炭に胡粉(ごふん)を塗って白くしてあります。
 熾きている赤い炭、これから熾きるであろう黒い炭、
 白い枝炭を入れることで景色になり、その風情を愉しみます。
 二本(裏千家では五本)のうち、一本を残すのは亭主の奥ゆかしさ・・・
 と伺っています」

               
                 (長野家のものとは違いますが、向う右側が枝炭です)

今度もみんなで口々に上記のようなことをお話ししたような・・・。

ご亭主、正客、連客がみんなで頭をひねりながら
K氏にお答えするということで、座が一気になごやかになり、
一座建立の連帯感のようなものが漂った気がしました。

香合の拝見をお願いしました。
手に取るとずっしりと重みのある金物の合子です。
蓋の表に品よく華やかな模様が彫られていて、字のようです。
裏にも小さく「和」とありました・・・もしや?
 
「六客にお座り頂いている彫金家・鹿島和生先生のお作で、
 「楽」でございます」とご亭主。
「茶席で自分の作品がどのような役割を果たしているのか、
 気になって、今回初めて茶席へ入らせていただきました」とK氏こと鹿島氏。

炭が置かれると、膳や酒が運び出され、一家総出でおもてなし頂きました。

                            

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新・釜師長野家の初釜 (1)

2012年01月11日 | 茶会・香席
1月9日、釜師・長野新さんの初釜へお招きいただきました。

釜嫁こと、茶友の長野珠己さんからお電話を頂いたのは11月の関西旅行中でした。
「来春の初釜の一日を私たち夫婦でやらして頂くことになりました。
 京都へ行く前に、是非初釜へいらしてください」

釜師・長野家の初釜(2010年1月)に伺った時から、
いつか長野新夫妻の初釜が行われ、その席へ招かれることを夢見ていました。
その夢が現実になったのです。
喜び勇んで・・・と言いたいところですが、正客・・・でした。
お酒の強い席主夫妻に対してお酒が飲めない正客なんて・・・
と役不足を自覚しながら、その日を迎えました。

せめて連客様(総勢11名)の名前と特徴だけでも覚えよう・・・
紹介文とにらめっこしながら桶川駅まで電車に揺られて行きました。

長野家の待合で皆さまと顔を合わせ、お話しすると、
次客のYさんはじめ7名の方が真ML茶の湯コミュニティ-の会員
であることがわかり、少し安心しました。
ヨットマンS氏、茶席がはじめてという彫金家K氏と友人S氏など
多彩なお客様の顔ぶれで、どんなことになるやら・・・ワクワクしてきました。
「楽しいお席にしたいのでご協力を宜しくお願いいたします」

                   
                          (待合)

席入すると、床にユーモラスな絵が描かれた軸がかかっています。
お福百態図(?)とでも名付けたいような、たくさんのお福さんが登場し、
江戸末期の年中行事や暮らしぶりが漫画チックに生き生きと画かれていて、
思わず「長野家のお福さん」の珠己さんが頭をよぎります。

大きな晩白柚(ばんぺいゆ)の正月飾りが設えてありました。
晩白柚は熊本県八代産で、ミカン科でザボンの仲間だとか。
初めて拝見する豪快な晩白柚に思わずお釜の形を当てはめていました・・・。

さて、いよいよお釜登場です。
前礼の手紙にも
「初釜にどのようなお釜が掛けられるのか、今から楽しみで、
 あれこれ想像しております」
縮緬肌の古典的な天命かしら? 
斬新な面取り釜かしら?
それとも・・・?

その釜は、優しい形を持ち、温かなぬくもりを感じる釜でした。
梅が飛び、胴には蔓のような文様の帯が入り、全体を引締めています。
鐶付は松ぼっくりでした。
「使い込んでいるみたいだけれど古いお釜かしら?」と思いました。

あとで伺うと、長野新造の「鶴首釜」。
すっきりしたつまみは、古典的な雰囲気を持つ釜と対比して
現代的にシンプルなつまみにしたそうです。
「古いお釜のように見えました」
と思った通りに言うと、ご亭主はとても嬉しそうでした。

和づく釜は使うことによって錆が生まれ、釜肌を包み込み、
落ち着いた好い味わいになっていくそうですが、
「釜を育てる」のは手間暇がかかり、とても大変なのです。
きっとせっせと使い込んで釜を育てていることでしょう。

     新・釜師長野家の初釜  (2)へつづく         


師走の月釜 

2011年12月30日 | 茶会・香席
12月27日に都筑民家園の師走の月釜へ出掛けました。

今年3月、大震災のあと、外出を敬遠気味だったIさんをお誘いして
月釜へ出掛けたのが最初でした
ご亭主と半東さんのお二人だけで、濃茶と薄茶のおもてなしをしてらして、
あたたかい雰囲気がお気に入りでした。

毎月いきたい・・・と思ったのに、6月に一人で伺って以来
なかなか行くことができません。
今年最後の月釜へIさんと伺いたいと、10月末に予約を入れました。

広間(待合)の輪亭前の池には厚い氷が張って、鈍色の光を反射しています。
第一席のお客は五名、着物のせいか、正客をおおせつかりました。
蹲をつかい、にじり口より三畳台目の鶴雲菴へ席入しました。

              

床には、太玄和尚筆の「無事」、瓢花入に白侘助が清々しくも一輪。
点前座を拝見すると、炉には優雅な釜が掛けられ、湯気を上げています。
炭火にジョウが厚く付いていて、早くから炭を熾し、湯を沸かし、
部屋を暖めてくださったご亭主の心遣いが伝わってきました・・・。
兎の耳が付いた水指が興味深く、あとでお尋ねしてみましょう。

お菓子が運ばれました。
銘は「冬籠り」、青年部の友人の作だそうで、
栗と黒餡が白い薯蕷(?)で巻かれていて、雪国のかまくらを連想しながら、
美味しく頂戴しました。

美丈夫なご亭主が茶碗を運びだし、いよいよ濃茶点前です。
丁寧な所作で茶入、茶杓が清められ、茶碗へ湯が注がれます。
釜の湯がたぎっていて、熱い濃茶を練ってくださいました。
香りや色を愉しみながら、素晴らしい萩茶碗(十二代休雪作)で頂戴しました。
甘みのあるマイルドな濃茶は九州の八女茶だそうです。
茶入は丹波焼の肩衝、森本陶谷造です。

半東さんが運んでくださった干菓子は新潟・大和屋の「越の雪」。
和三盆の純粋な甘みと舌に転がる触感が印象に残りました。
小振りの三嶋の茶碗で、薄茶をたっぷり頂戴しました。
五人とも違う茶碗で薄茶を頂き、お茶碗を拝見しながら
しばしお話に花が咲きました。
Iさんと私以外は毎月いらっしゃる方たちで、月釜で仲よくなったそうです。

            
            
                (都筑民家園のひだまり)

薄器は吹雪、塗師は不明ですが円能斎の花押がありました。
茶杓は黄梅院の太玄和尚作「埋み火」です。
気になっていた水指ですが、玄々斎お好みの兎耳水指でした。
ユニークな兎耳、源氏香の優雅な絵柄、傘を連想する形は
現代にも通じる斬新さで、玄々斎に思いを馳せました。

最後になってしまいましたが、
師走の月釜に掛けられた釜は天猫の甑口釜。
地紋は遠山ということですが、山が地紋にみつからないそうです。
「変わったカン付きの形が山を表わしているのではないか?」
というご亭主のお話(推理?)を興味津々で伺いました。

あわただしい師走にもかかわらず、
ご亭主はじめ、半東さん、Iさま、ご連客の皆さまと一座建立、
師走の月釜で今年を締めることができ、お茶のご縁に感謝いたします。

「師走の釜を無事に迎えることができました。
 心を新たにして来年の月釜にのぞみます」
・・・というご亭主に心より応援の拍手を送ります。 

来年もどうぞ宜しくお願い致します。

             
               (かわいい門松  都筑民家園にて)

 

当ブログもこれにてしばし正月休みに入ります・・・・
皆さま、佳いお正月をお迎えください!
                   
                  やっと今年最後の 


観月茶会(2) 月に逢う  

2011年10月07日 | 茶会・香席
お茶の郷・友賢庵の観月茶会(三席目)は18時30分からはじまりました。
遠州お好みの友賢庵は長四畳台目で、一席七名でした。

寄付の縦目楼(しゅうもくろう)は、遠州が住んでいた伏見奉行屋敷と、
松花堂相乗が住んでいた石清水八幡宮滝本坊を合わせたもので、
寛永時代の建築物を図面から起し、復元しています。

俳画が掛けられていて、月との最初の出逢いでした。

               
             「花なくて 明けてもみなん けふの月」(たぶん・・・)

縦目楼の奥の臨水亭(伏見奉行屋敷の鎖の間ゆらい)が点心席でした。
床には「掬水月在手」、紫野寛道和尚の筆です。
こちらで水に映る月に出逢いました。

書院の窓にはススキ、月見だんご、衣かつぎ(里芋)が飾られています。
ライトアップされた観月台や池庭が幻想的に浮かび上がる様は、
夜の茶会ならではの醍醐味でしょうか。
松花堂弁当、吸い物、一献を頂戴しました。

点心のあと、提灯を持って庭をぐるっと巡り、小間席へ。
広い庭は小堀遠州作の仙洞御所東庭を五分の一に縮尺した回遊式庭園で、
直線と曲線を巧みに組み合わせた作庭がお好みだとか。

縦目楼の反対側の庭へ出ると、やっと月が見えました。
三日月が澄んだ夜空に神々しく輝いています。
「満月も好いけれど三日月もまた佳きかな・・・」
と、三人で妙に納得して見入りました。

               
               

   野に山にうかれうかれて帰るさを
       寝屋まで送る秋の夜の月   蓮月

友賢庵の床に大好きな蓮月の歌が掛けられ、四つ目の月に出逢いました。
長四畳台目席にゆったり七人が座り、点前が始まりましたが、
私の席から点前は見えず、水指の後姿だけが見え気になっていました。
あとで席主から耳付水指は利陶造の志戸呂焼と伺い、嬉しい出会いでした。
菓子「野辺の秋風」と薄茶(地元のオリジナル)を美味しく頂戴しました。

最後にもう一つ、月を見ました。
一瓢造、秋草蒔絵の棗にうっすらと蓋表に月が・・・。
とても暗かったので席主に言われて気が付きました。
たくさんの月との出逢いを楽しんだ観月茶会でした。

               

帰りにはいくら捜しても雲に隠れ
「さっきの美しい三日月は幻だったのかしら?」

                     
     (観月茶会(1)焼津へ)      (観月茶会(3) 蔦の細道へ)

観月茶会(1) 焼津へ

2011年10月05日 | 茶会・香席
島田市お茶の郷博物館の観月茶会へ一泊で出かけました。
前回、お茶の郷博物館の茶室を見学した時に観月茶会のことを伺い、
「ぜひ行ってみたい!」と思ったのです。
10月1日(土)の第三席へ三名で申し込みました。

10月1日の朝、熱海行きの鈍行へ乗り、電車を乗り継いで
11時40分頃焼津駅に到着しました。
途中で、同行のHさんと合流しました。
大学時代からの親友Mさんが焼津駅まで出迎えてくれて
焼津魚センターと小泉八雲記念館へ案内して頂きました。

焼津漁港から水揚げされた魚たちが美味しそうに並んでいます。
キンメダイ、キンキ、カマス、アジ、イカ、タチウオ・・・。
遠洋漁業の基地でもあるので、魚センターの寿司屋おすすめの
中トロ海鮮丼で舌鼓です。
明日の朝食に、シラスの大根おろしとカマスの塩焼きを
Mさんにリクエストしちゃいました・・・秋ですね。

               
                  ( 小泉八雲がスケッチした焼津の海 )

焼津小泉八雲記念館(焼津市三ケ名)へ寄ってみました。

展示によると、小泉八雲が松江、熊本、神戸を経て東京に住んでいた頃、
毎年夏になると、魚屋・山口乙吉さんの2階を借りて避暑に訪れたそうです。
1897(明治30)年の8月に初めて焼津を訪れてから
1904(明治37)年9月26日に54歳で亡くなるまで
6回の夏を焼津で過ごしています。
深くて荒い焼津の海と山口さんら土地の人との
あたたかく素朴な交流が気にいっていたとか・・・me,too.

東京のセツ夫人や子供たちへ宛てた手紙が展示されていました。
文豪・小泉八雲のイメージとは違う、子煩悩な父親の姿が
日本語で書かれた行間から滲み出ていました。
焼津の夏の日々を書いたという著書「東の国から 心」の
「夏の日の夢」を読んでみたい・・と思っています。

               
               

宿をお願いしているMさん宅で小休止してから着物に着替え、
「いざっ! 観月茶会へ」繰り出しました。
途中、Kさん(Mさんのご主人)が曼珠沙華がきれいだという場所へ
案内してくれました。

大井川支流の土手に赤と白の曼珠沙華がまっさかりでした。
この花は赤だけだとどぎつく感じるのですが、白い曼珠沙華がほどよく緩和して
こんなにきれいな群落は初めてです。
夕闇迫まる川辺を四人で散策しながら夢中でシャッターを切りました。


        (観月茶会 (2)へ)