この数年、年二回の彼岸、正月とお盆には、
都心に居を構える兄の車に同乗して帰省している。
と言うことで今日がその日だった。
田舎の家の前に広がる稲田。
下の写真の右半分が昔は畑で、
トマトや胡瓜、小麦などを作っていた。
土地の歴史は意外と新しく、
徳川吉宗の時代に大きな沼を干拓して作られた新田で、
今でも住所名は「○○新田」となっている。
下の写真の家々の先には、広大な稲田が広がっている。
私は見たことはないが、
当時干拓に参加した武士達の血判状も残って居るという。
上の写真は住宅地に隣接した自家消費用の畑の端から撮ったものだが、
その反対側には、柿の木やブルーベリーの木が植栽されていて、
そのブルーベリーが、食べごろになっていた。
お土産として、採取したものを戴いてきたが、
明日にはジャムに加工する予定である。
ほかに、茄子、スモモ、枝豆、大葉、ハグラ瓜なども戴いてきた。
全て採れたてなので、弾力がありパキパキだった。
白雲が夕焼に染まる頃、生家を後にしたが、
秋の彼岸はあと1ヶ月少々、そのころには新米が出来る頃で、これも楽しみである。
下の写真は家の前庭から西の空を撮ったもの。
写真中の電柱は、Googleマップの「ストリートビュー」にも写り込んでいる。
巻頭の写真のシルエットの建物は、豪農の隣の家で、
老いで農事が出来なくなった農家の田畑を借りあげるなどして、
10町歩(1町歩=10反=3000坪)で稲作等をしている。