伊良湖岬のある渥美半島には前に勤めていた会社の保養所兼研修所があった。研修担当者として様々な研修をやっていたが、その一環として「座禅」なども行なった。
曹洞宗医王寺の座禅堂で朝の45分間を研修生とともに参禅するのだが、研修生は長くても1週間程度の宿泊で終了する。しかし、私は研修のたびに参禅することになり、延べ日数で100日程度は行なったかもしれない。
参禅中は様々な思いが次から次へと脳裏を駆け巡り、とても「無」の心境にはなれなかった。「無」になろうと思えば思うほど様々な雑念が脳裏を駆け巡る。時には警策で打たれ、毎回足も痺れ、従って「只管打座」の境地にも至らなかったが、朝食前の参禅は気持ちの良いものだった。
座禅堂の隣は墓地になっていて、毎朝早くから近所のおばあちゃんたちがやってきて世間話をしている。そんな声が座禅堂の中までよく聞こえてくる。墓地には新鮮な花が常に供えられていた。その花の多さには住職も「誇れる檀家です」といっていたほどだった。もっともこの地方の農家の平均年収は2000万円ということだから、毎日花を供える余裕があったのかもしれない。
今は会社も「フラワーセンター」も無くなってしまったが、社会人一年生として様々な新入社員研修を受けた後輩にとっては思いでの地として残っていることだろう。ちなみに「教育」ではなく「共育」が一つの方針でした。
曹洞宗医王寺の座禅堂で朝の45分間を研修生とともに参禅するのだが、研修生は長くても1週間程度の宿泊で終了する。しかし、私は研修のたびに参禅することになり、延べ日数で100日程度は行なったかもしれない。
参禅中は様々な思いが次から次へと脳裏を駆け巡り、とても「無」の心境にはなれなかった。「無」になろうと思えば思うほど様々な雑念が脳裏を駆け巡る。時には警策で打たれ、毎回足も痺れ、従って「只管打座」の境地にも至らなかったが、朝食前の参禅は気持ちの良いものだった。
座禅堂の隣は墓地になっていて、毎朝早くから近所のおばあちゃんたちがやってきて世間話をしている。そんな声が座禅堂の中までよく聞こえてくる。墓地には新鮮な花が常に供えられていた。その花の多さには住職も「誇れる檀家です」といっていたほどだった。もっともこの地方の農家の平均年収は2000万円ということだから、毎日花を供える余裕があったのかもしれない。
今は会社も「フラワーセンター」も無くなってしまったが、社会人一年生として様々な新入社員研修を受けた後輩にとっては思いでの地として残っていることだろう。ちなみに「教育」ではなく「共育」が一つの方針でした。