港区まち創り研究会(まち研)ブログ

港区まち創り研究会の活動の状況やまちづくりについての様々な情報をお伝えします。
海外の街あるきの報告もあります。

一郎・と志 書簡集「馬橇の鈴の音」第2回

2014-08-18 08:28:11 | 一郎・と志書簡集から
父から母への手紙の返信で、東京の様子が描かれている。


終戦直後の東京の様子  昭和20年8月16日

今日15日付の速達が2通、ハガキ、16日の娘の手紙が本日着いた。
娘の手紙「センソウニマケテクヤシクテタマリマセン」という文句で、涙が出てしまった。
子どもたちは一体どう感じているのか、本当に可哀想と思う。
 東京は今日から燈火管制が中止になって、夜は明るくなった。何もかも夢のようだ。やはりみなこの先どうしていいのかわからないので、ぼんやりしている。あるいは惰性で仕事を続けているようだ。学生は動員解除になって帰ってきたが、どういうところに希望を持っていいのかわからんと言っていた。お百姓たちも全くだまかされたようだろう。落ち着かぬのも無理はないと思う。東京は一般には静かだが、兵隊の中には抗戦派もあって、何かしらひと波乱あるかも知れぬ。どうも新政府にくみするものもあるし、又和平反対のもあるし、まちまちだが、今のところ、そちらで想像するほど乱れていない。もう少し戦ったらと誰もが思う。しかし、内情は我々のしらない以上に窮迫していたのかもしれない。
 我々には分からないところが随分あるらしい。敵の進駐にはまだ間があるかもしれない。停戦協定は25日だといううわさがあるが、これも真偽、見定めにくい。とにかく、慌てる必要はない。まだ、そちらにいるつもりで、十分落ち着いて今までの計画通り進んでゆき給え。食糧もなかなか大変らしいができるだけのことはしておくこと。
15日以後、十日市も八戸もまた変わるだろう。段々疎開者も帰家すると思う。応召兵や徴用工が解散になるから、田舎も人が増えるし、色々な変化がくるだろう。しかし、いろいろ民需の必要上、一般に物資が回ってくるかも知れない。魚など産地に近ければ手に入るだろう。やはり当分は田舎の方がよい。内乱的な抗争があったり、敵の進駐軍との小競り合いがあったり、不逞の輩が横行したり、輸送の途絶で食糧が窮屈になったりすることを考えるとやはり帝都や大都市に遠ざかっていた方がよいと思う。ただ冬になると寒いだろうと思い、それだけが心配だ。こちらの家のことも考えないではない。荻窪もひとつ、渡辺君にも家のことを頼んでおいた。
しかし、地方疎開者は当分都市の転入を認めないことになったから、これが許されるまで待たねばならない。それに敵進駐後の東京の状態を見定めよう。とにかく、我々は負けた経験がないから、皆目わからない。動ぜず落ち着いているのがよい。お互い気を付けていれば、きっとまた皆が一緒に暮らすときが来るであろう。これを楽しみにしているしかないね。

 当時、東京外語大に勤めていた父にも、全く戦争の状況が伝わっていないのはおどろくべきことである。後になって、なんであんなバカな戦争をやったのだろうと何度も言っていた父でさえ、終戦直後はもう少し戦ったらと思っていた。
 父らしい冷静、慎重な判断でそれぞれ現状維持の結論を出したのは正しかったのだ。早く、家族が一つになって暮らしたいという強い思いは父も母も同じだったのに、じっと我慢した。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一郎・と志 書簡集「馬橇の... | トップ | 一郎・と志 書簡集「馬橇の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

一郎・と志書簡集から」カテゴリの最新記事