今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

290 高尾山(東京都)・・・三ツ星の高尾の山でヤッホッホー

2010-08-08 18:14:45 | 東京(都下)

フランスのガイドブックが三ツ星をつけるのは勝手だが、日本人が何もそれをありがたがって大騒ぎすることはあるまい・・と私などは思うのだけれど、そのことで高尾山はこのところ、大変な賑わいなのだと聞いた。しかし私たちの場合は「だから行こう!」となったのではなく、久しぶりにちょいと自然の中へ、という気軽な気分で電車に乗ったのだ。何しろ家を出て1時間も経ずに、ケーブルカーの乗り場に並んでいる至便さなのだ。

高尾山で最も特筆すべきことは、この「至便さ」についてか、それとも「豊かな自然」か。人口1200万の巨大都市の、生活過密圏に隣接してこれほどの豊かな自然が残っている・・おそらくこの2点の合わせ技が高尾山なのだろう。植生や野鳥などの知識に乏しいものだから、その有り難みはよく分からないのだけれど、山腹に高速道トンネルが計画されるや大きな反対運動が起きるほどなのだから、その自然学的価値は高いのであろう。

横浜の街にとっては丹沢、大阪は生駒、神戸は六甲、京都は鞍馬・・といったあたりだろうか。ある程度の人の暮らしがまとまっている街には、その近郊におおむね高尾山のような「場」があるものだ。市民が手軽に自然を味わう憩いの場であり、小学生の遠足適地のことだ。中京圏は地理不案内だから知らないが、名古屋近郊にもきっとあるはずだ。私が生まれ育った新潟市の子供にとっては、さしずめ弥彦山がそうした役割りを担っている。

都市の利便さに普段は忘れているけれど、都市で暮らす人は、ガラス張りの摩天楼や蛍光色の陰影を美しいと感じている間はまだ都市人間である。しかしやがてガソリンが尽きるように、人工的な直線や曲線による構造美が疎ましくなり、自然の中に身を置きたくなる。それが本来の人間性を取り戻した姿で、計算によらない方向に枝を広げた樹木を眺め、無法則な山道を踏み、地殻変動と雨と風が削った不揃いな山の稜線を遠望したくなる。

そこで「ちょいと電車に乗って、高尾山に出かけてみるか」となるわけである。とはいえ高尾山口で電車を降りて、ケーブルカーの駅まで土産物店が並ぶ舗装道路を行き、鉄の函で山頂に引き上げられ、薬王院の参詣道を再び舗装の道を通って登る。杉の巨木が並んでいて、確かに空気はうまくなったようだ。時おり展望スペースが現れて、新宿の構想ビル街らしきあたりが霞んでいる。

薬王院の裏からは、ようやく山道らしい剥き出しの土を踏むことになるが、それもせいぜい15分だ。広場に出て、それ以上登り道が無いことで頂上と知れる。近所の公園より大勢の人がたむろしていて、山の中に踏み入ったという気分にはなれない。遠い稜線の向こうに富士のシルエットが浮かんで感激していると、駆け込んで来た小学生の集団が「ヤッホー」「ヤッホー」と叫び出した。こうした風景には「ヤッホー」と叫ぶのが礼儀らしい。

余りに至便な自然体験で気が引ける。やはり登山道を歩いて登って来るべき山なのだろう。私事で恐縮だが、わが愚息が10代の終わりころだったろうか、足繁くここにやって来ていたらしい。親には干渉して欲しくない思春期の感傷を、密かに駆け上って晴らしていたのだろう。東京の子供には、高尾山はそうした場になっているようだと、うかつな親は後々知ったのだった。
            
薬王院で精進料理をいただく。修験の今に触れた味わいがあったが、そばつゆの濃さには閉口した。(2010.4.30)
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