今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

329 八王子(東京都)・・・賑わいの夢から覚めて高齢期

2011-04-03 19:33:03 | 東京(都下)
街にも成長期や円熟期、そして老年期というものがあるのだろうか。東京の真ん中をひたすら西に延びて行く中央線に乗り、二つの駅に降りてそんなことを考えた。八王子と立川である。江戸開府とともに関東を束ねる代官所が置かれた八王子は、400歳にもなろうかという街である。片や立川は、市域の中心を占める米軍基地が返還された1977年を新生立川の誕生年だとすれば、30代を迎えたばかりの若い街ということになる。

江戸期を通じて甲州街道最大の宿場町だった八王子は、生糸が日本の外貨獲得戦略商品となった明治以降、空前の繁栄期を迎える。こじつけながら甲州までを「金の道」と呼ぶならば、上州―秩父―横浜をつなぐ「絹の道」がクロスする八王子の賑わいは、想像し難いほどだったろう。成長期から円熟期へ、八王子は不動の多摩代表であり続けた。だが近代化とともに宿場は役割りを終え、繊維産業も衰退、繁華を極めた街は空襲で灰燼に帰した。

戦後は多摩の中心として、首都の人口爆発の受け皿となり、丘陵部に次々とニュータウンが建設された。街は「文教都市」に将来を懸け、多くの大学を誘致した。市の人口は50万人を超え、中央線は依然として「新宿の次の街は八王子」だったのである。しかしニュータウン建設は都心へのアクセスを増やすことであり、新住民も学生も、気分は八王子市街より都心に向いていた。

JRの駅コンコースに「八王子讃歌」と題する陶板壁画が飾られている。光り輝く街の記憶らしいのだが、昇る朝日が残照のように見えて来るのは、節電のための照明不足のせいだけではなさそうだ。壁画の隣りは八王子に唯一残ったデパート「そごう」の入口で、社員が東日本大震災の募金を呼びかけている。その「そごう」も来年1月に閉店する。街は衰退期に入ったのだろうか。

駅前から放射状に、歩行者専用のショッピングモールが延びている。結構な賑わいだが、地方の大きな商店街にやって来たような鄙びさも感じる。乱立する看板を眺めると、居酒屋やドラッグストアなど全国チェーンの見慣れたロゴに混じって、昔ながらの地元商店らしいすすけた看板が混在している。若者は振り向きもしないだろうが、お年寄りには暮らしよい商店街ではないか。

モールの終点が大通りになって、銀行や電力会社のビルが並ぶ歩道に「甲州街道中 八日市宿跡」と彫られた碑が建っている。このあたりが江戸開府とともに八王子城下から街が移転して来た現八王子の中心域で、往時は本陣や問屋仲買の大店が並んでいたのだろう。いまではホテルやマンションの殺風景なビル街になり、それらのビルのわずかな隙間で、狭い間口に長い奥行きというかつての地割りをよく残した商店が営業を続けている。

創業は慶長年間で、多摩地区最長寿の商店だという鰹節店などで雑談していると、そごう撤退は市民にとってなかなかショックなことらしい。大丸、京王、伊勢丹、西武に続く事態で、これだけの規模の街にデパートがなくなってしまう。「暮らしいい街なのに、どうして寂しくなるのだろう」「旦那衆が保守的過ぎて、街づくりが遅れたのだ」「ヘンなハコものばかり造って・・」

街が人と違うのは、老齢期だからといってめったに死なないことである。賑わいは伸び盛りの街に奪われても、暮らしやすい成熟した街を創ることは可能ではないか。何やら日本が歩むべき道のようでもある。(2011.3.30)



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