今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

740 暮坂峠(群馬県)像のない牧水まつり名も哀し

2016-11-08 12:35:56 | 群馬・栃木
いつもはひっそり閑としている暮坂峠が、10月20日だけは賑やかになる。1922年(大正11年)のこの日、峠を越えた詩人・若山牧水は、2年後に発表した「枯野の旅」で「上野の草津の湯より澤渡の湯に越ゆる路名も寂し暮坂峠」と詠った。土地の名を美しく広めてくれたと地元の人々は感謝の詩碑を建立、毎年この日に「牧水まつり」を催して今年で60回になる。詩碑の前で詩吟や合唱が披露されている。ところが牧水の像が無い。



暮坂峠は群馬県北西部の中之条町にあって、旧六合村との境の標高1086mにある。峠西側の花敷温泉から東側の沢渡温泉へ道を急ぐ牧水一行は、「やがて広々とした枯芒の原、立枯の楢の打續いた暮坂峠」の大きな澤に出る(みなかみ紀行)。峠は今、茶店が1軒営業し、県道を挟んだ雑木林に詩碑が建っている。その碑の上に、37歳旅姿の牧水の銅像が建っていたのだ。ところがこの夏のある夜、足首を切断され、持ち去られてしまった。

(2012年写す)

犯人は神奈川県の2人組で、間もなく逮捕されたのだが、像はすでに金属商に売られ、海外に流失した後だった。どこか寂しくなった詩碑を前に、牧水詩碑保存会の会長は「本日を持って、像再建の募金を開始します。今度は盗まれないよう、石像を建てましょう」と挨拶している。牧水が聞いたら喜ぶだろう。それにしても犯人は「生活費の足しにしたかった」と自供する情けない男たちだ。しかも峠を越えた日の牧水と同年代なのである。



峠は晴れ、白雲が東の空へ流れて行く。日差しを浴びる木立は、紅葉への準備を着々と進めている。そんな陽光の中、おばさま方のコーラスに耳傾ける私が思うのは、人間の複雑怪奇さである。旅をして、その才能を文学に刻む者がおれば、その詩をよすがに郷土を愛し、隣人と労り合う人々がいる。かと思えば「生活費の足しに」と像を盗む輩も出る。これは全て、外見は同じような人間の行いである。美しさと怪奇さは何が分けるのか。



貧しさや無知が罪を生むことはあろう。だがその言い訳が成り立たない犯罪の方が、圧倒的に多い。盗人の言う生活費は刹那の遊興費に過ぎず、きちんと働くことを逃げている弱虫の言い分だ。しかし彼らに悔恨や反省は無く「浜の真砂は尽きるとも‥‥」である。何故そうした人格が生まれてしまうのだろうかと考え、私が盗人以上に詐欺師を憎んでいることに思い至る。彼らは人を欺くことを喜びとする、まことに奇怪人格なのである。



何人かの詐欺師から話を聴いたことがある。詐欺が発覚しそうだったり、出所してまた詐欺を企もうと狙っている輩たちである。彼らに共通しているのは、騙すことが快感であり、騙される側への想像力の完全なる欠如だった。だから騙しのネタを考え、小道具を整えることがまるで生き甲斐なのだ。その熱心さを真っ当な仕事に注いだら、そこそこの社会人で通用するだろうにと思ったものだ。しかし彼(彼女)らは人の痛みを感じない。



牧水まつりで人間の罪と罰を考えるとは、とんだお門違いであった。峠ではお開きを前に、なめこ汁が振る舞われている。通りがかりの他所者に過ぎない私は、美味そうな汁を横目に峠を下る。重畳と、牧水が越えて行った山並みが続く。手前の奇怪な山容は有笠山といって、小さな岩山だが「山頂には沼が有り、昔、里の乙女が身を投げた」という言い伝えがあるらしい。そんな哀しい話が「名も寂し暮坂峠」には似合っている。(2016.10.20)



















コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 739 塩沢(新潟県)雪国に縮... | トップ | 741 粕川(群馬県)森の中地... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

群馬・栃木」カテゴリの最新記事