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今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

063 五條(奈良県)・・・五條にはつわものどもと八角堂

2007-07-21 22:14:06 | 奈良・和歌山

このところ続く雨のせいか、奈良の五條を思い出している。あの街を再訪した日、台風の接近に伴う驟雨に終日、降り込められたのだ。それでも私は、濡れ鼠になって栄山寺まで歩いた。いつかはその八角円堂の前に立ちたいと願っていた寺である。濃い緑が煙っているような雨の中、私だけの八角堂は、それはそれは美しい建物だった。いくら濡れようとも、それは念願かなった興奮が鎮まるようでかえって有り難かった。

栄山寺は「養老三(七一九)年、藤原武智麻呂が創建、藤原氏の氏寺として多くの寺領を有し、高野山と争ったほど」の大寺だったというが、戦国期に八角堂を除いてことごとく炎上し、以後、衰退したらしい。住職さんは「八角堂は国宝指定だから国が修理してくれますけど、本堂は自力で維持しなければなりまへん。荒れていますが、個人の資力ではこれが精一杯です」と、初対面の私にさかんに嘆いた。

隣接する国民宿舎に一泊し、翌朝、五條の市街地を目指す。通学の子供たちが「おはようございます」とあいさつしてくれる。JR五条駅前を通り過ぎると、通勤の大人の集団に巻き込まれた。その先の市役所へ向かう職員たちらしい。子供たちと違って皆黙々と、眉根にしわを寄せた怖い顔をして先を急いでいる。

その市役所の前庭で、私は楠の大木を見上げた。小説『橋のない川』で、運動に関わる主人公が奈良刑務所五條分監に収監される場面がある。その気分を味わったのである。五條市は奈良盆地の東南端の、紀州との接点に位置する街だ。

紀伊半島の奥地から流れてきた「吉野川」は、この地を過ぎると県境を越えて「紀ノ川」となる。県などの出先機関が多く置かれた土地なのであろう。

現在は人口3万5000、高齢化率20%超の典型的な地方都市だ。「新町」という地域に迷い込むと、長い板壁が続く造り酒屋や、重要文化財という碑を建てた「日本最古の民家」というツワモノが甍を競っている。奈良県では橿原市の今井町と並ぶ、全国屈指の伝統的建物群らしい。江戸時代には水運を利用して吉野の物資を集め、ずいぶんと栄えたのだという。

五條は天誅組決起の地でもある。幕末、土佐脱藩浪士らは代官所を襲い、桜井寺を本陣に倒幕の旗を揚げた。天誅組である。寺はいま、現代風に建て替えられ、国道交差点で排気ガスに包まれているが、そこから吉野の深い山並みを望むと、浪士たちの思いが理解できるような、妙な気分になる。

というのも吉野川を越えると、そこにはいまも「皇居」が残っているからだ。南北朝時代、南朝方の皇居が置かれた賀名生(あのう)である。時代を早とちりした浪士たちは幕府に追われ、山塊深く落ちて捕らえられ、刑死して行く。吉野は敗残の地なのだ。

私は吉野川の堤に腰を下ろし、そのさらに奥を眺めた。山また山の世界である。国道に沿って山に消えていく不思議な道筋が見える。大正から昭和まで建設が続いた、五條と新宮を繋ぐ「五新鉄道」の夢の跡であった。

五「條」市は五「条」市ではないことを栄山寺の住職に教えてもらった。旧国鉄がどうしたわけか駅名を「五条」としてしまったのだ。似たようなケースに岩手県の「一関市」と「一ノ関駅」がある。市名に合わせた方がいいのにと考えながら、細々と続くアーケード商店街を登っていくと、駅の近くに出ていた。(1993.9.7-8.)

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