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善光寺の本尊「一光三尊阿弥陀如来像」は、本堂最奥部の瑠璃壇に安置されている、ということになっているが、秘仏であるから確認しようがない。ただその床下に回廊があって、仏の足元を一周することはできる。途中、あるものに触れると御本尊と結縁を果たしたことになり、往生する際には阿弥陀如来にお迎えに来ていただけるという。さっそく潜ってみたのだが、情けないことに絶対の「暗闇」に圧倒され、何に触れたか覚えがない。
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そんなことより私は、「闇」の存在力に押しつぶされた。闇とは恐ろしい。色がないのだ。無い色を見ようと見開いているのか、目が痛くなる。六感全てが狂い出し、沸騰しそうだ。
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久しぶりに長野市内に宿を取った朝、街は本降りとなった。善光寺の本堂大屋根が、黒い雨雲を何とか支えているといった風情である。大人たちが険しい顔つきでそれぞれの「戦場」に向かう中を、子どもたちは屈託ないおしゃべりで学校に向かう。子どもがいないと街は暗くなる。これはどこの街でも同じだ。
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内部は小奇麗に工夫が凝らされ、長野土産やおしゃれなカフェで溢れているのだろう。それはそれで結構ではあるが、なぜ白壁に瓦屋根の蔵造りなのか。そして気恥ずかしくも「ぱていお」ときた。倉造りの街をヒットさせた倉敷は偉い。しかしそれから、あの街もこの街もみんなが真似て、いまやどこに行っても蔵造りである。地方分権とは、独創性を競うことを言うのだ。
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新幹線の駅に、巨大な五輪のエンブレムが掲げてあった。こんなことができる街は日本に3つしかない。善光寺のある街に生まれたことを、子どもたちは喜んでいるか、オリンピックを開催した街で暮らしていることを、子どもたちは誇りにしているか。質問してみたかったけれど、乙女たちは、おじさんを無視して学校を目指すのだった。雨は上がった。靴の中までびしょ濡れである。(2008.6.22-23)
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