今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

966 深大寺(東京都)幼な児はなんじゃもんじゃと成長し

2021-08-29 01:00:00 | 東京(都下)
「孫はかわいい」とは誰もが言うが、それは当然であって、子供はみんな可愛いのである。それでもさらに孫が可愛いのは、抱っこできる存在だからかもしれない。ジジは孫がやって来ると、もう触って抱いて頰ずりしたくなる。この感情爆発はどこから来るのだろう。「血の繋がり」などと考えてみても、外見からそんなことはわからない。どこか昔の自分に似ているのではと、面影を追い求めるのかもしれない。だがもうとにかく、可愛いのである。



連休の1日、息子二人がそれぞれの子供と一緒に、深大寺界隈にハイキングに行こうと誘ってきた。母親を育児から解放しようという意図もあるらしい。ジジは喜んで、娘と連れ立って合流した。連休の中日といったこの日の深大寺は、ほどほどの人出である。日差しは強く、孫たちは上着を脱いで駆け回っている。ひなた4歳、みちる2歳。神代植物公園ではツツジやシャクナゲ、フジが花盛りだけれど、花々は二人の愛くるしさにたじろいでいる。



孫の側から考えてみよう。普段一緒に暮らしているならともかく、彼らにとっては見慣れぬ年寄りでしかないジジは、破顔して腕を広げられてもなんだか近寄りがたいだろう。蕎麦屋の店先に飾られた鬼太郎やねずみ男のオブジェと似たような存在かもしれない。親に「お爺さんが喜ぶから、ちょっとだけ抱かれてあげなさい」などと言いくるめられているから、一旦は耐えるのだろうが、あとは年寄りが近づけないほど激しく駆け回っている。



かくも僻みっぽい感想が湧いてくるのは、私がジジだからで、ババならだいぶ様子が違うはずだ。孫たちもババにはすぐに安心して、すっぽり抱かれて大人しくするに違いない。どうして女性はあんなに上手に抱っこするのだろうと、いつも私は不思議でならない。真似しようにも孫の小さな肉体に緊張するせいか、腕がぎこちなく固まって、これでは抱かれ心地が悪いだろう。私だって子育てのころは、チビたちを風呂に入れたりしたものだが。



無理に接近することは諦めて、ジジは植物園の緑陰にみんなを誘う。息子たちは家から持ち寄った弁当を広げ、ジジはビールで喉を潤しながら孫を眺めることにする。通りかかったババたちが「あら可愛いわねー。美味しそうねー」と声をかけて来る。ババという生き物は、子連れを見かけると声をかけずにはおられないのだ。私も街で可愛い幼子連れを見かけると、そう声をかけてみたくなるのだが、警戒されるだけだろうから自らを抑えている。



可愛さを発散し、屈託なく成長しているように見える孫たちだけれど、彼らのこれからの人生を想像すると、ジジは必ずしも心穏やかではいられない。温暖化が食い止められなければ、彼らが親になるころには、その生活環境は悲惨なものになっているだろう。また彼らが生まれ落ちた日本という国は、果たしてどこかの時点で衰退を食い止め、希望を抱ける社会になっているだろうか。安穏な時代を生きてきたジジは、何だか済まない気分になる。



深大寺の境内では「なんじゃもんじゃ」が満開である。名前からして聞き慣れない樹花に、大勢の参拝客がカメラを向けている。別名をスノーフラワーというのだそうで、確かに雪が降り積もったかのように真っ白な花が枝を覆っている。「自生している樹が珍しく、これはなんというものじゃ? と訊ねたことからこの名がついた」と解説されている。幼な児にとって、この世はまるで「なんじゃもんじゃ」ということなのであろう。(2019.5.1)



















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