富士急行・谷村町駅の近くに「行く駒の麦に慰むやどりかな」の句碑があった。1685年、芭蕉が《野ざらし紀行》の旅の帰途に都留に立ち寄った折りの句で、句碑の隣りに「かつて世話になった谷村藩家老に礼を述べるための来峡だった」と解説してある。この数行で、今は都留市の中核となっている地域に、かつて谷村藩という城下があったことと、来峡という表現に、土地の人がこの山あいの里を《峡谷》と認識していると知れる。 . . . 本文を読む
地図で「富士吉田駅」を探すのだが、いっこうに見つからない。それもそのはずで、2011年に「富士山駅」と改称されていたのだ。どういう狙いからかは知らないけれど、JRであれ私鉄であれ、駅名は街の名刺のようなものだから、安易に変更しない方がいい。ましてや「富士山」では余りに漠然として、街のイメージが結びにくく、「富士吉田」から漂って来る富士講に参じた人々の情念というものが、匂い立って来ないではないか。 . . . 本文を読む