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今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

989 富士(静岡県)いつもそこにある富士と煙突の煙

2021-11-14 22:01:05 | 静岡・山梨
静岡県は遠江、駿河、伊豆の3つの国が合体した大きな県だ。真ん中の駿河国の東に「岳南」と呼ぶエリアがあることを、静岡に転勤した30年前に初めて知った。富士山の南麓に広がる、東の愛鷹連山と西の富士川に挟まれた地域のことで、南は駿河湾の最奥部にあたる。広大な富士の裾野に古くから営まれた多くの村々が合併を繰り返し、明治になって「富士郡」に編入された。その後も合併は続き、現在は富士市と富士宮市に収斂している。



その岳南を少し歩いて富士川を遡り、身延山に登って甲府に出ようというのが今日の旅だ。30年前、静岡に遊びに来た高校生の息子が、身延線の各駅停車で帰ったと聞いて以来、いつか私も同じ風景を見ようと思いつつ30年が過ぎてしまった。東京からは富士山を時計回りに一周する旅になるので、低気圧が雨を降らせた直後の晴天になる予報の日を選んだ。狙い違わず、この日は終日、富士とともに歩いた。午前8時、新富士駅を出発する。



富士市は人口25万人。静岡県の街の規模は浜松市と静岡市の政令2市が突出しているものの、製紙産業が盛んな富士市はそれに次ぐ賑わいを維持している。駅前から北へ延びる県道は「富士見大通り」という名に違わず、まっすぐ富士山に向かって行く。この街の特色を捕らえる写真として、工場プラントと富士の威容を1枚に収めてみたかった。「美しい風景の中の富士」はもう見飽きたから、「街の鼓動と共にある富士」を眺めたいのだ。



岳南地域の中心は、古くから北部は浅間大社が鎮座する大宮町、南部は東海道の吉原宿だったのだろう、それぞれの街を核にして富士宮市と富士市が形成されるのだが、現在の富士市発足は富士宮市にだいぶ遅れ、戦後になってからだ。この地域が製紙産業の一大拠点になったのは、「駿河半紙」で知られる江戸時代以来の伝統があった上に、近代の洋紙生産に欠かせない「水」が豊富だからだ。地元資本の製紙会社が次々興され、大手も工場進出した。



だがその急成長が田子の浦港のヘドロ公害を生み、市民は長い間大気汚染などに苦しんだ。10年余のヘドロ浚渫で、公害はなんとか抑え込まれたようだが、長期不況とペーパーレス化の直撃を受ける日本の製紙生産量は、もう20年も減少を続けている。富士の製紙業もその流れには逆らえず、多くの製紙メーカーが淘汰され、かつての雄・大昭和製紙は社名すら残っていない。市の製造品出荷額は落ち込み、人口の伸びも減少に転じ始めている。



いささか元気を失っている「街の鼓動」であるが、冒頭の写真は「そうした街を見つめ続ける富士山」ということになる。写真の中で富士と高さを競うように立つ塔は、TOSHIBAの空調機器工場だ。製紙業の停滞傾向に対し、これからは「業種に偏らない多様性に富んだ産業構造を構築していく必要がある」としている富士市にとって期待の企業だろうが、この2日後、東芝は「事業分割して再建を目指す」と発表した。企業経営とは実に難しい。



富士見大通りを蓼原大橋で東海道線を越え、富士駅に向かう。酸っぱいような、パルプ製造工程特有の臭いが微かに漂う。中核市の指定を目指しているという富士市が、活発な自治を展開することによって岳南地区を奥駿河湾経済圏へと盛り上げ、静岡県の第3極として発展して行く姿を見たいものだ。この街をもっと知るには、吉原地区の商店街や田子の浦港あたりを歩いてみるべきなのだろうが、次の機会(あるだろうか?)に譲る。(2021.11.10)





(富士市沖の駿河湾より=2007.2.11)





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