ハワイは大海原に生まれた火山列島だ。500万年前から50万年前にかけて隆起した海底が、8つの島になって2400キロの弧を描いている。太平洋に「ポイント・ネモ」という地点がある。世界の海で、最も陸地から離れた地点のことで、南半球のチリとニュージーランドの中間点あたりがそれに当たる。もし島になっていなかったら、ハワイは北半球の「ポイント・ネモ」だったかもしれない。それほど日本からも米国からも遠く、孤立している。 . . . 本文を読む
山並みを遠望する時、山上の風景や山麓の暮らしは連想するのだけれど、では「山の向こう側はどんな世界なのだろう」と考えることはあまりない。新幹線で栃木・福島県境あたりを通過する時がそうだ。雄大な那須連山の風景を楽しみながら、思いを馳せるのは那須高原の記憶であり、向こう側のことはと考えた試しがない。そこは奥会津と呼ばれる広大な山地が広がっているらしいのだが、行ったことがないから想像しようがない。地図を開く。
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緑に埋まる大山塊の、伊南川(檜枝岐川)の谷をわずかに引っ掻いたような平地に営まれる檜枝岐村。集落の中程に架かる前川橋に「オコジョの母子像」が置かれている。オコジョはイタチ科の哺乳類で、尾瀬にも生息しているものの準絶滅危惧種に指定され、尾瀬ビジターセンターは目撃者に発見証明書を発行している。檜枝岐村はロゴマークにこの山の人気者を採用し、大自然と共に生きる暮らしの意気込みを示している。今日も山は快晴である。 . . . 本文を読む
紅い頭巾と涎掛けのお地蔵様が並んでいる。その前を駆けて行く子供たちは村の中学生だろう。揃いのトレーナーには大きく「桧枝岐」の文字が見える。ここは福島県の最南西端、尾瀬の麓の檜枝岐村だ。奥只見・奥利根・奥日光と、奥山に抱かれた「秘境」についにやって来たのである。いったいどんな歴史と暮らしがあるのだろうと興奮を噛み締めながら歩いている私に、子供たちは明るく軽く「こんにちはー」と挨拶を送ってくれるのである。 . . . 本文を読む
湿原の水の溜まりに初夏の白雲が映り込み、濃い緑の中に真っ白な光を放って水芭蕉が群生している。私が撮ったこの写真を観れば、誰もがここは「尾瀬」だと解るであろう。そう、尾瀬なのだ。だからといって「尾瀬に行ってきた」とは、いくら図々しい私でも言いそびれる。福島県側の尾瀬への登山口である「御池」から木道を500メートルほど歩き、「田代」と呼ばれる小さな湿原に分け入っただけなのだから。それでも尾瀬である。空気が芳しい。
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群馬の人は東の赤城、西の妙義、そしてその中程に聳える榛名を、親しみを込めて「上毛三山」と呼ぶ。このうち榛名山は、今でこそ最高峰が1449メートルの、さほど高山とは呼べない山容を県域の真ん中に横たえているけれど、50万年前には標高が2500メートルに達する富士山のような火山だったらしい。秀麗な姿はその後の噴火や山体崩壊で、悪い歯並びの見本のような姿に落ち着いてしまった。せめて山頂に登って榛名富士を眺める。 . . . 本文を読む
ブログ『すずめ通信』の読者から「このブログが開設されて20年になりますね。こんなに続くとはすごい」とご指摘をいただいた。確かに創刊は2004年7月だから、いつの間にか20年を経たことになる。「すごい」と言われると面はゆいけれど、雀たちに「これを機に20周年総会を開催しようか」と呼びかけた。Nagano雀とChiba雀は即座に「いいね!」の返信。Tokyo-e雀からは「群馬あたりの温泉に浸ってみたい」と提案があった。 . . . 本文を読む
「芝山町」の位置が知りたくて、銚子駅と千葉駅・船橋駅をそれぞれ直線で結んでみる。「房総半島の付け根」と言う場合、東端は銚子だろうが、西端がどこになるのか迷ったからだ。すると芝山町は、みごとにその2本のラインの中間位置に収まった。つまり「芝山町は房総半島付け根の真ん中」と言っていいのだろう。北総台地の南端が九十九里平野へと降っていくあたりの半島深部で、北側は成田空港が食い込み、町の中央を「はにわ道」が貫いている。 . . . 本文を読む
千葉駅午前6時30分発の総武本線各駅停車銚子行きは、パラパラと空席が残る程度の混み具合だった。佐倉で隣のボックス席が空になったので移ろうと腰を上げると、前方から小走りにやって来た小柄な女性が、手にした袋をサッと放り投げ、私を押し退けるようにして席を占めた。そして靴を脱ぐや両脚を前の座席にドサッと延ばし、残った席をコートやバッグで塞ぐ。おもむろに汚れた紙の束を取り出し、足元に並べて1枚1枚点検し始めた。 . . . 本文を読む
日本中が快晴だというこの日、銚子市の屏風ヶ浦海岸は穏やかな潮風が吹き抜け、散歩者の気分を心地よく弾ませてくれる。剥き出しの地層が巨大な崖を形成し、10キロも太平洋と対峙して続くという屏風ヶ浦の景観を見に来た私は、崖下の遊歩道をゆっくり進みながら地球の歴史に耳を傾けている。だが聞こえてくるのは微かな潮騒くらいで、たまに名も知らぬ野鳥が飛んで来てチチッと鳴いて去って行く。地球の歴史は大きく余りに遠い。
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「正面の山並みは安達太良連山で、中央の山頂が尖っている峰が安達太良山です」。私は「二本松 春さがし号」という市内循環の臨時バスに乗り、一人だけの乗客であることをいいことに、運転手さんとの会話を楽しんでいる。道路の先を塞ぐお城山を、淡いピンク色に染めているのは満開の桜だ。まるで丘にたなびく霞か雲で、二本松城が霞ヶ城と呼ばれる所以がよくわかる。二本松は「智恵子の街」である。だとすればあの空が「ほんとの空」か。
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「樹齢千年以上」という推定が正しければ、芽吹いたのは紫式部が源氏物語を書いていたころになる。福島県三春町の滝桜である。それから150年ほどして、奥州・平泉を目指す西行が近くを歩いて行った。「花の下にて春死なん」と願ったほどの桜好きの西行だから、評判が高まっていれば立ち寄ったかもしれないけれど、そうした記録はない。まだ特段目立つベニシダレザクラではなかったのだろう。そして滝桜は今、私の眼前で咲き誇っている。
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勝沼について、正確な街の位置も、今では甲州市と名前が変わっていることも知らない、いかにも山梨県に不案内な私であるけれど、「勝沼といえばブドウとワイン」ということはしっかり刷り込まれている。国内におけるブドウ栽培とワイン醸造のそれぞれの発祥の地だそうで、ブドウは1300年、ワインは130年の歴史があるのだという。だから駅名に「ぶどう郷」を加えなくてもわかるのに、などと思いつつ、「勝沼ぶどう郷駅」で下車する。 . . . 本文を読む
私はこの日、笛吹市東端の丘に立ち、遥か西方を塞ぐ南アルプスの銀嶺と向き合っている。陽光に温もる甲府盆地は、ところどころ桃色の布団に埋もれて眠っているような静けさである。「この日」を選んだのは「花々が晴天のもとに咲き揃う日」を慎重に選んだ結果であって、4月10日が市が定める「桃源郷の日」なのだとは知らなかった。元日から100日目の「百=もも」に当たるから、桃の作付け日本一の街として10年前に制定したのだとか。 . . . 本文を読む
再建中の首里城に行く。焼失した正殿などは大きな覆屋が組まれ、2026年のお披露目を目標に工事が進められている。標高140メートルほどの首里の丘に建つ城跡は、実に見晴らしがいい。全国的に暖冬だとはいえ、5日間滞在して名護市の路傍でヒマワリを眺め、読谷村で満開のコスモスに埋もれた。陽光の沖縄は、色が溢れて旅人の季節感を狂わせる。だが島は、基地問題だけでなく、根深い問題を抱えている。隅々まで蔓延る「貧困」である。 . . . 本文を読む