小糠雨が烟る小倉城の庭園で、梅の膨らみを確認している若手造園業者と話す。「小倉は30年ぶりかなぁ」「東京からですか、東京は緑化に成功しましたね」「いやいや、未だに樹木伐採で揉めている街です」「東京の緑化は私らの目標です」「失礼ながら、北九州はどうも粗暴な事件が多い印象があって」「確かにそんな街でした。しかし警察が本気出してくれて、ここ何年かですっかり変わりました」。市から城跡の保全を委託されているのだという。 . . . 本文を読む
門司・小倉・若松・八幡・戸畑の5市が合併して北九州市が発足したのは1963年2月。その半年前、若松と戸畑を結ぶ「若戸大橋」が完成した。東洋一の橋だと喧伝され、遠く離れた新潟の高校生だった私でさえ「凄いなあ」と興奮したものだった。高度経済成長が加速し、所得倍増を掲げる池田内閣が国民に期待を振りまいていた。若戸大橋はそんな時代の架け橋だった。いつか見たいものだと思って60年が過ぎ、私は今、ようやく見上げている。 . . . 本文を読む
神湊(こうのみなと)は玄界灘の小さな港町で、宗像大社の辺津宮・中津宮・沖津宮を一直線に結ぶライン上にある。沖に見える島が中津宮と沖津宮遥拝所がある大島のようで、1日7便のフェリーがこの港と7キロほどの海路を20分で結んでいる。毎年10月1日には宗像大社の神事「みあれ祭」がこの海を賑わす。神輿を乗せた2隻の御座船が大島港から神湊港に向かい、それを守って100隻余の漁船が海上を、華やかにパレードするのだ。
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外来文化の影響を受けていない日本民族固有の宗教といえば、それは「神道」ということになろう。源流の古神道は、この宇宙が「天上の高天原」「人間世界の中つ国」「悪霊蠢く夜見(黄泉)」が垂直に重なってできていると信ずるところから始まる。「天つ神」と「国つ神」が地下の闇と戦い、「中つ国」を光で満たしてくれるから我々がある、というわけだ。神々はいたるところに居るが見えない。私は宗像大社辺津宮の高宮斎場で、神を感じている。 . . . 本文を読む
小平市の中央南部、玉川上水沿いの閑静な住宅街である。庭の一隅に巨大なクスノキの胴部を置く邸宅がある。上部には雨除けの傘が懸けられ、高さは2メートルにもなろうか。胴回りは大人二人でようやく抱えられるほどの太さに見える。98歳でこの地に転居してきた彫刻家が、100歳で購入した木彫用材なのだという。「わしがやらねばたれがやる」と、107歳で没するまで創作意欲を燃やし続けた平櫛田中(1872-1979)の居宅跡である。 . . . 本文を読む
コマキと聞けば反射的にナガクテと続くほど、中世の「小牧長久手の戦い」は耳に馴染んでいる。しかし、では小牧はどこにある? と問われたら、恥ずかしながら私は答えられない。犬山からの帰途、地図を眺めていて途上の小牧駅を見つけ、慌てて下車する。長年の懸案を解消する好機である。440年ほど昔、秀吉と家康が睨み合った10キロほどの距離を、私は15分間の電車の旅で移動した。無残な戦など連想できない穏やかな平野である。 . . . 本文を読む
「現存天守」という言葉がある。天守閣を有する城郭の中で、築城された戦国時代から江戸時代にかけての状態をほぼ維持している天守を指し、それは現在では12城しかないのだそうだ。いずれも重要文化財で、なかでも特段の古建築5城は国宝に指定されている。姫路城、彦根城、松本城、松江城、それに犬山城である。城郭建築の知識も興味も乏しい私だけれど、土地の歴史を感じようとすれば城跡は外せないので、訪れた数はずいぶん増えた。 . . . 本文を読む
東国者の私がこの街の名を耳にするのは、年に一度「航空祭が賑わっています」というニュースが流れる時くらいだ。だがそのおかげでこの珍しい街の名を、知らず識らず覚えたようである。とはいえ「かがみはら」だと思い込んでいた読み方は、正しくは「かかみがはら」なのだとは知らなかった。岐阜から名鉄犬山線に乗り、市役所前で降りて歩く。新築間もない様子の市役所に立ち寄ると、ロビーの隅に展示された小さな立像に「村国男依」とある。
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岐阜市について「賑わいと静寂のバランスが程よく均衡した、暮らし良さそうな街だ」と書いたことがある。JRと名鉄の駅が隣り合う界隈から北へ、金華山通りを行くと柳ヶ瀬の繁華街になり、さらに市役所を過ぎると長良川の清流に行き当たる。長良川橋を渡って金華山を見上げると、陽に輝く稲葉山城が豊かな歴史を語りかけてきて、「いい街だ」と思うのである。ただいつも訪れるのはこのあたりだから、街の全体について語る知識はない。 . . . 本文を読む
雑踏を遠ざかって久しい年寄りには、師走・週末の渋谷はひたすら疲れる。100年に一度の大改造中だという街はガラスのタワーが林立して、その麓を交錯する人々が急流のごとく渦巻いている。そこは単なる「谷」というより、もはや「渓谷」である。知らない街に迷い込んだ心もとなさでビルをめぐり、かつて馴染んだ渋谷はどこに消えたかと目を凝らす。ようやくビルの谷間に張り付く微かな残滓を見つけ、ともに老残の身を労わるのである。 . . . 本文を読む
東松山市を訪れたのは2年前の秋だ。吉見百穴を見物した帰り、吉見町との境を流れる市野川の堤から望まれる富士山が美しかった。今、その日のことを思い出そうとしているのは、国の文化審議会が先日、同市の中心部に鎮座する箭弓(やきゅう)稲荷神社の本殿などを国の重要文化財に指定するよう答申したからだ。神社を訪れたその日、私は「ずいぶん手の込んだ本殿だ」と感じ入ったものだ。そんな縁で、他所者ながらこの指定を喜んでいる。
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テレビをつけていると、やれ何処かの山肌が錦の絨毯だとか、どこそこの庭園の紅葉がまさに見ごろだとうるさいほどだ。晩秋に植物が色づくのは当たり前の自然現象だろうにと、ここは鼻曲りの年寄りらしく部屋で一人毒づいている。ところが「昭和記念公園のイチョウ並木が色づいてきました」と声を弾ませるレポーターの声に、「近いな、そういえば立川で、観たい陶芸展が開催中のはずだ」と耳を盗られ、いそいそと支度をするのであった。 . . . 本文を読む
東京圏は「街」と言うには巨大すぎる。それはいくつもの大きな街の集合体であり、3000万人を超す人々が暮らす世界最大の人口集積地帯だ。そこに鉄道が、網の目のように張り巡らされている。そうした鉄路の一つ小田急線は、学生のころから頻繁に利用してきた私鉄だけれど、それは新宿から多摩川までのことで、その先についてはさっぱり土地鑑がない。だから首都圏で「住みたい街1位」に選ばれたと評判の「厚木」とはどんな街か、知らない。 . . . 本文を読む
年間を通じて、これほど日照・気温・湿度・風力などの指標が快適に揃う日は何日あるだろう。「揃う」とは、私のような街歩きを楽しむ者にとってである。前日「木枯らし1号」が吹いた関東だけれど、今日は間違いなく「勢ぞろいの好日」である。そのせいもあるだろう、初めてやって来た神奈川県西部の秦野の街がとても心地よい。四囲をなだらかな丘陵に囲まれ、西方から富士山が白く輝いて見守っている。豊かな地下水が湧き出す街だという。
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この一輪に出会えただけで、今日はここまでやって来た甲斐があったと、いささか大仰な思いになるほど美しい薔薇である。快晴の陽を浴びる黄金の一輪は、程よく開花し切った瞬間にあり、どの花びらにもまだ一片のシミもない。秋バラが見ごろを迎えている「習志野市谷津バラ園」で、私はうっとりと立ち尽くしている。「世界のバラ800種類7500株」の園内は色彩と笑顔が溢れ、余りにうっとりしてしまった私は、品種名を確認し損ねた。 . . . 本文を読む