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" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

今年もまた秋がやってきた

2014年10月10日 | 日記

 日本人の平均寿命は女性が86歳、男性は80歳である。意識はしてはいないのだけれど、年齢に関わる数字というのは頭に入ってくると流れてしまわないで、しばらく意識の中に留まっている。そしてそれは、後どれくらい生きれるのかと、 年齢を引き算的に考える習慣にもなった。

 

 先月ニューヨークヤンキーズを現役引退したジーター(Derek S. Jeter)内野手。ジーター選手の一つの数字の記録は通産3463安打。選手としての現役の20年間で安定したプレイを継続した。彼は特に、ここぞ、頼むぞ!という時の祈るような期待時に人々を湧かしてきたので、記録と記憶の両方を残した名選手と呼ばれている。彼は今年40歳である。この40歳という数字がジーター選手の引退記事の中で最も意識に残るのは何故だろうか?

 40歳は80歳のちょうど半分である。40歳という歳を野球の現役の選手からの観点では、もう40歳だがら終わり、と捉えるのかも知れない。しかし、終わりは始まり、これからの40年の人生が始まるのである。そして、これからの40年が彼にとっては本当の自分の人生となるのであろう。そういった意味で、彼の今後も応援したいと思っている。

...

 

 先月9月の最後の週。自宅から車で2時間程西方に走ってトウモロコシ畑が続く畑園の光景を楽しんだ。夏は深緑であったトウモロコシ畑はその成長を止めて、褐色と黄土色に姿を変えた。この光景を眺めながら、秋とか、青春の終わりとか、人生の後半、収穫などという事を感じたのである。

 

 森に確実に浸透しつつある秋の気配。少し、寂しさがかった感情もある、それは成長ではなく、その先にある終わりを示唆する景色でもあるからだ。それを秋の心(愁)秋意というんだね。

 

 秋を待ちわびていたのは少年時代だったと思う。青年時代は暑さからの逃避という意味合いが強かった。涼しい秋の風は服装のコーディネートなども増えて嫌いではなかった。

虫があちこちで、ガチャガチャ鳴いている。

 

 最近は秋になると寂しい気配を感じる。これはきっと、自分の年齢と秋という季節が同化した為に起こる現象ではないだろうか?つまり、自分の意思ではどーにもならない天候とか、寿命、宇宙の定め、というものがある、という事を認識させられた結果ではないだろうかとも思う。

 

おっ!山葡萄、めっけ、

すっ!ぱーっ!

 秋の森は色々と刺激もあるものだな。

 秋という気配には終わりを感じさせられるが、まだ終わりではない。それはちょうど、全力で走った後の息継ぎでもある。人は生きていれば誰にでも秋は来る。その秋からの生き方というのが実は本当の自分自身であるんじゃないだろうか?という事を、今年のこの季節に強く感じさせられている。

 

コメント
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