日本が行っている南極大陸での極地観測。
もし誰かが、エクスペデッションとは何ですか?
という問いを発したならば、
日本の南極極地観測隊がそれだよ。と答える。
JARE (Japanese Antarctic Research Expedition)
車を使用した遠征だけが、エクスペデッションではない。
南極大陸という広大な大陸、その存在はその厚い氷の下に何があろうとも我々の日常生活には全くと言っていいほど縁がない故に無視してもよさそうな存在である。しかしその大陸は第一次南極観測隊の超冬生活での地質の観測結果で、地球最古の大陸だと照明されるきっかけとなったのである。地球の太古においては密林のジャングルであり、複数のピラミッドも存在するこの南極大陸には地球の先史文明の遺産と、気の遠くなるような時間の中で天体と自然の変化を刻んだ地球という惑星のまだ我々が知らない領域が存在している。
...らしい。
日本のエクスペデッションは1956年から今日まで継続している。
日本の本来の目標は1957年の国際地球観測年にアメリカ、ソ連、イギリスなど当時の戦勝国と対等な立場に立ちたいとする、日本の意地であった。国力というのは武力や経済だけではなく知においても比較され、また科学界における前向きな姿勢が結果、戦後の新興国として盤古な地位を築いて来た基礎となった。そして南極の大地に基地を設けた事は日本人の自信と誇りに貢献したのである。
第一次南極地域観測隊(ファーストエクスペデッション)の副隊長を務めた西掘榮三郎氏は超冬隊員のリーダーであった。風速50メートルのブリザードによる基地の破壊、食糧倉庫の破損と食料の紛失、そして観測小屋の火事など実に多くの試練を超えた。
その西堀氏が残した一つの言葉。
人にとって最も恐ろしいのは、
惰性で日を送る事である。
自然の驚異を体験する事や未知の地への進行は恐怖心との葛藤である。しかし、それ以上に恐ろしいものが存在していると伝えている。
西堀榮三郎氏は “雪山賛歌”の作詞者でもある。