職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

グレーゾーンの「掃除」がむずかしいのだ。グレーゾーンは黒だ。白ではない。ここにリスクが潜んでいる。

2007-08-10 06:50:44 | Weblog


にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ★ブログ村教育ブログランキングに参加しています。ランキング状況はこのバナーをクリックすると見ることができます。ジャンジャン見てくださいね。

 ■昨日、安倍自民大敗後の新聞、怒濤の一気読みの話をした。
 いくつかを切り抜き、それらを再読・精読後、ゴミ箱に捨てたが、ひとつだけ小さな切り抜きが手元に残った。

 読売の「編集手帳」だ。

◇「掃除の下手な大工は仕事もアカン」と語ったのは、大阪万博の日本庭園をはじめとして生涯に120余りの茶室を手がけた数寄屋大工の中村外二さんである。◇駆け出しの職人は木の削り屑に肌で触れ、道具の使い方や仕事の段取りなどを先輩大工から盗む。掃除が下手であることは基本の学習を怠ってきた証しであり、いい家が造れるはずもない、と。(中略)掃除下手の棟梁に社会保障や外交・安保という大建築が手に負えるか、疑問を感じた有権者もいただろう(後略)

夏に鍛える 1学年学習会

■わたしは前回「今回の参院選で、もし憲法改正や改正教育基本法、あるいはそれに基づいた教育の改革(教育再生)が、安倍自民を信任するかどうかのシンボルになり得ていれば、年金問題や閣僚の不適切な言動、政治とカネのスキャンダルなどは、ぶっとばすことも可能だった」とややあらっぽい言い方をしたが、編集手帳に「いや、いや、そうではありませんよ」と釘をさされた格好だ。

■(安倍自民の話から離れる。本職に戻る。)
 正しくはない、まちがっている、けど、これまでもやってきたことだし、よくあることだし、おそらく言い分もあるだろうし、だから、いちいち「ダメだ」「改めろ」「やり直せ」というのも大人げない、ま、目をつむっておこう、しばらく様子をみよう……という、いわばグレーゾーン。

 生徒のグレーゾーン。
 保護者のグレーゾーン。
 地域のグレーゾーン。
 教職員のグレーゾーン。
 そして、なによりも自分自身のグレーゾーン……。

 このグレーゾーンの「掃除(処罰的掃除・育成的掃除)」がむずかしいのだ。
 グレーゾーンは黒だ。
 白ではない。
 ここにリスクが潜んでいる。
 自分の過去をふりかえると、いきなり危機に直面したというより、グレーゾーンの処理にあやまり、危機に陥ったことのほうが多い。
 中村さんの「掃除が下手であることは基本の学習を怠ってきた証しであり、いい家が造れるはずもない」は肝に銘じたい。

突然の雷雨に避難するソフトボール部員

■3学年の夏季学習会が終了した。
 夏休みの前半が終わり、これからは後半に入る。
 各自、ひとりひとりが自分の手で舵を切りながら受験勉強に励む期間だ。
 「夏を征するものは受験を征す」というが、これはほんとうだ。
 夏に鍛えた決断力、集中力、持続力、そして基礎学力は、秋、冬に効いてくる。
 大きな自信になる。
 夏に鍛えよう。
 3学年、ひとりひとりの奮闘努力に期待する。

突然の雷雨



消費者の「努力」を具体的なかたちにする装置をつくりだす力量を経営者が持っているかどうかが問題なのだ

2007-08-09 03:56:53 | Weblog

 
にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ★ブログ村教育ブログランキングに参加しています。ランキング状況はこのバナーをクリックすると見ることができます。ジャンジャン見てくださいね。


■安倍自民党の歴史的な大敗後、ほとんど新聞を読んでいなかったが、多少、時間を見いだせたので、怒濤の一気読みをした。

 読売「どうなる安倍政権」:30日午前、公明党本部の会議室に太田代表、北側幹事長ら党幹部が集まった席で、漆原良夫国会対策委員長が「憲法や教育基本法も大事だが、安倍さんは自分がやりたいことに重点が行きすぎており、そこに国民が不満を感じている。生活重視の姿勢を取るように首相の言ってほしい」と述べている。

 いかにも公明党議員らしい発言だし、当然、党の戦略としてこういうものの言い方をするだろう。
 自民党議員のなかにもいる。
 しかし、これはとんでもない考え違いだ。
 「やりたいことに重点が行きすぎ」たから敗北したのではない。
 その反対だ。
 安倍首相自らの信念を明らかにし、突破すべきを突破し、やるべきことを貫徹しえなかったから、敗北したのだ。

■これは志塚氏とも話したことだが、今回の参院選で、もし憲法改正や改正教育基本法、あるいはそれに基づいた教育の改革(教育再生)が、安倍自民を信任するかどうかのシンボルになり得ていれば、年金問題や閣僚の不適切な言動、政治とカネのスキャンダルなどは、ぶっとばすことも可能だった(もちろん、これらがどうでもいいという意味ではない)。
 だから、今、大切なのは、なぜやれなかったのかということを喫緊のテーマとすることだ。
 また、当然、参院選の争点となるべき「教育再生」がかすりもしなかったのはなぜかということを喫緊のテーマとすることだ。

 8/7の代議士会で石波氏が安倍首相に「どこを反省しているのか、具体的に明らかにしてほしい」と迫っているが、首相には、わたしのいう「なぜやれなかったのか」を喫緊のテーマとして、そのことを明らかにする勇気をもってほしい。
(例=連立のあり方。これはもう限界。勇気ある決断は安倍氏にしかできない。例=教育再生会議の失敗←これは赤城問題以上の失点でっせ。教育再生会議がなぜ、こうもみっともない井戸端会議になってしまったのかということの反省。)

■「どうなる安倍政権」はさておき、怒濤の(←あいかわらず「居眠りしながら」の)教育資料読み込み作業だが、おもしろいものがあった。

 『正論』の「高校教師が語る『生徒指導は蘇るか』」(喜入克氏)だ。
 昨年末にあいついだいじめによる「自殺予告」について氏は、子どもだけでなく保護者も教員も多様な「消費者」となってしまった現代では、「生命の尊重」だけが唯一の共通価値となる。卑劣な行為である「自殺予告」が批判されることなく、「とにかく生きていてほしい」という大合唱になってしまったのは、社会すべてが「消費者」となったわたしたちの価値観をみごとに突いた出来事であったと氏は言う。

 不謹慎かもしれないが、生命の尊重だけが唯一の共通価値……というところはふきだしてしまった。

 このあと、氏は、現在の学校が抱える問題を解決するためには、子どもたちを「消費者」でなく「学ぶ者」であると自覚させる装置を機能させることだと提言する。
 そして、その「装置」として……と展開する。

 このあたりからわたしの見解とズレが出てくるし、「装置」に関する提案内容はいささかおそまつである。

■わたしは、子どもや保護者の消費者的な視点はむしろ歓迎する。
 みなみ中では、学期ごとに子どもの授業評価、保護者の授業評価を実施しているが、これは消費者的な視点で評価してもらっている。
 ただ、その消費者にも努力してもらわなければならない部分があるとわたしは考えている。
 その「努力」を具体的なかたちにする装置をつくりだす力量を経営者(あるいは教育行政にあたる者)が持っているかどうかが問題なのだ。
 この「装置」についは、後日、わたしが実際につくりだしたシステムを中心に述べてみたい。

■画像は森Tの模擬授業風景


「空間」「方法」「時間」「コミュニティ」の4要素から包括的行動的戦略を立てるという発想がいい

2007-08-08 16:32:51 | Weblog



にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ★ブログ村教育ブログランキングに参加しています。ランキング状況はこのバナーをクリックすると見ることができます。ジャンジャン見てくださいね。


■ときどき居眠りしながら、怒濤の(←「居眠りしながら」といいつつ、この修飾語は変だが)教育資料読み込み中に「子どもを元気にする環境づくり戦略・政策検討委員会」(委員長・仙田満放送大学教授)の報告書「我が国の子どもを元気にする環境づくりのための国家的戦略の確立に向けて」に出会った。

 目が覚める。

 子どもの現状をめぐっては「世界でも先端的な危機状況にある」と強い危機感を示しつつ、「空間」「方法」「時間」「コミュニティ」という4つの要素が相互に影響し合いながら、成育環境が悪化の循環に陥っていると分析。
 そのうえで、この4つの要素に沿いながら、包括的行動的戦略を立てることを、内閣府および関係省庁に求めている。
 いくつかピックアップしてみる。


〈子どもの育成空間の再整備〉
・駐車場地下化による地上の自然の空間と遊び場の確保
・身近な自然体験の場としての校庭・園庭の整備
・都市型自然体験施設の整備

〈子どもの育成のための道具や方法の適切な使用およびその学習〉
・電子メディアと子どもの適切な接触
・親の電子メディアとの適切な接触
・外遊びの方法の学習と継承
・自然遊びの方法の学習と継承

〈子どもの育成時間の健全化〉
・子どもの生活時間の健全化
・親の生活習慣改善の運動
・労働時間の適正化

〈子どもの育成コミュニティの再構築〉
・多年齢交流の促進
・寄宿制の評価
・施設における人的・社会的環境の整備
・入院する子どものための人的・環境的アメニティの整備
・禁煙の徹底
・食育の推進
・次世代育成支援の住民会議
・幼児教育・学校教育における地域と連動した体験教育の実施
・学社融合型の学校の推進
・地域の思春期医学提供体制の整備

■「空間」「方法」「時間」「コミュニティ」の4要素から包括的行動的戦略を立てるという発想がいい。

 ふりかえれば、わたし自身、教育現場、教育行政を通じて「空間」以外のすべての要素についてタッチしてきている。
 その過程で、こういう包括的視点を、自分自身が持ったか持ち得なかったかは微妙だ。
 行政職にあった頃、包括的視点で施策を行使できない自分の立場と力量に絶望し、こんなんだったら現場に帰ろうと思った記憶があるから、視点はもっていたのかもしれない。

 この発想を現在のわたしの(人口11412人の南地域での)取り組みに役立てたいと思っている。

■包括的行動的戦略で目が覚めたところで、八戸市総合政策部の職員2人が来室。
 8/9に開催する住民自治推進懇談会の打ち合わせのためにみなみ公民館に来たついでに寄ってくれた。
(1)昨年の懇談会と今年の懇談会のねらいの違いや、
(2)この事業の意義、
(3)戦後の社会教育のやり方と今の総合政策部のやり方の違いなどについて話しあう。


実はこのU子さんが、男の人に多い「自己の時間的・歴史的連続性タイプ」なのだ

2007-08-06 21:37:18 | Weblog



にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ★ブログ村教育ブログランキングに参加しています。ランキング状況はこのバナーをクリックすると見ることができます。ジャンジャン見てくださいね。 


■以前、歳のとり方には、アイデンティティの方向によって粗く2種類ある、と書いたことがある。
 1つは、自己の時間的・歴史的連続性にアイデンティティを求めるタイプ。
 もう1つは、所属する社会との連続性にアイデンティティを求めるタイプ。


 前者の自己の時間的・歴史的連続性タイプは、たとえば40代になったときに、30代の自分も、20代の自分も、10代の自分も、地層の断面や樹木の年輪のようにくっきりと跡を残している。
 だから、10年、20年へだててあっても「よう!」「おお!」という感じで、2人が時空間を共有していた時代にもどれる。
 どちらかというと男の人に多い。
 女の人は、所属する社会との連続性タイプが圧倒的に多い。
 ま、イメージ的には、〈30代〉になるときに〈20代の自分〉を融合させてしまう、〈40代〉になるときに〈30代の自分〉を融合させてしまう……というふうに、常に新しい自分を創出しながら歳をかさねていく。
 「よう!」と言いかけたものの、まったく別人のその人が眼前にいて、ドギマギして、その「よう!」をグッと飲みこんでしまうことが、何度もあった。
 ほとんどが女の人で、「よう!」をグッと飲みこんでいる自分が、哀れっぽくて、はずかしく、ホンマ、哀しい。



 


■前置きが長くなった。(たぶん、きょうは「前置き」で終わってしまうだろう。)
 U子さんとお好み焼き屋でお好み焼きを食べた。
 実はこのU子さんが、男の人に多い「自己の時間的・歴史的連続性タイプ」なのだ。
 ただ、そのU子さんのことを書く前に、もうひとつ、またまた前置きを……。


 お好み焼きのことだ。
 わたしはいつも自分の鉄板でお好み焼きを焼いているが、そのうえで、あちこちのお好み焼き屋にも行く。
 お好み焼き屋には粗く2種類ある。
 ひとつは、その場所で10年、20年と営業している個人のお好み焼き屋(露天も含む)だ。
 もうひとつはチェーン店だ。
 もちろん、プロの味に出会えるのは前者だ。
 ローカルな話になるが、長横町の明石。
 ここは外サクサク、中ホカホカのサクサク度が深い。
 これは自分には焼けないよぉ~と思ったので「スゴイ、スゴイ」とほめたら「何十年もやってまんねんでぇ~」と返ってきた。
 大阪・堺の人だった。
 ただし、もう廃業した。


 それから根城一丁目の金華楼。
 ここは外サクサク、中ホカホカのホカホカ度が厚い。
 別な言い方をすると、サクサクとホカホカが融合している。
 これも自分には焼けないよぉ~と思ったので「スゴイ、スゴイ」とほめたら、照れくさそうに笑っているだけだったが、目は「プロやからあたりまへでんがなぁ」と言っていた。
 大阪市の人だが、過去はあまり語りたがらない人だった。
 人生のピンチのときにはよく励ましてもらった。
 ここも、もう廃業した。



 


 それから、お祭り、夜店などの露店も軽くみてはいけない。
 焼いて焼いて焼きまくった腕だ。
 流れるように通りすがる人の足を、見た目と香りで、グッと止めなければならない。
 だから、なかには超名人もいる。


 しかし、U子さんといっしょに行ったのはチェーン店だった。


 きょうはこれで終わり。
 「自己の時間的・歴史的連続性タイプ」のU子さんとの話は、機会があったらつづけることにしたい。
 きょうは前置きと前置きで終わってしまった。

■画像は上から、宿戸の人々、小子内の人々、平内の人々。


16:00種市駅着。 唄と拍子をとる太鼓の音が聞こえると、目まいも頭痛もふっとんだ。

2007-08-06 21:05:58 | Weblog



にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ★ブログ村教育ブログランキングに参加しています。ランキング状況はこのバナーをクリックすると見ることができます。ジャンジャン見てくださいね。


■みっともないので、あまり認めたくないが、夏バテ&軽い日射病のようだ。

 8/4、8/5のソフトボール大会。
 安協主催、中体連後援の大会だ。
 具合が悪いので、あいさつや表彰、講評はソフトボール協会の方にお願いして欠席しようかとも考えたが、実施要項をよく読むと、責任者がわたし(=小高)になっている。
 高校総体のように競技中にテントが飛ぶかもしれない。(事実、台風が接近していた。)
 選手が熱射病で倒れるかもしれない。(実際、夏の大会ではよく倒れる。)
 ということで、結局、はじめから終わりまで競技の運営に携わった。
 1日目も2日目も風が強く、途中でテントを撤収するハメに。
 これがわたしには堪えた。
 台風一過、真夏の太陽が照っている決勝戦の最中、目まいと頭痛を覚えた。
 吐き気もあった。
 まわりを見回したら、帽子をかぶらず、背広姿というのはわたしだけだった。
 「これは危ないぞ。選手が倒れていないのに自分が倒れるのはみっともない……」と、周囲に気取られないように、パイプ椅子をもって木陰に移動した。



 ■口がカラカラに渇いて講評を述べるのには厳しいものがあったが、無事大会を終えた。

 これで休めばよかったのに、15:23鮫発の八戸線に乗車。
 どうしても種市のナニャドヤラ流し踊りがみたかったのだ。
 種市全町内・集落のナニャドヤラがみられるのは年に1回、きょうしかない。
 16:00種市駅着。

 唄と拍子をとる太鼓の音が聞こえると、目まいも頭痛もふっとんだ。

 「有家」「宿戸」「八木」と、各町内・集落のプレートを先頭に登場する。
 次々にあらわれるプレートの文字をみると、はじめてその駅のプラットホーム(たとえば、有家駅、陸中八木駅)に降り立ったときの興奮と同じものを覚えた。



■08:15 広島平和式典。
 TV画面に原爆慰霊碑の碑文「過ちは繰り返しませぬから」がアップになる。 主語が不明確なこの碑文を書き換えようという意思(勇気)をもたないうちは……(>_<)う~む。
 久間氏の「しょうがない」発言以前の……(>_<)う~む。

 安倍首相のあいさつのあと、TVを消す。



「授業中、舘田Tと目が合った人は挙手してください」といったら教室の最後の列にいた1名を除いて全員挙

2007-08-04 04:36:14 | Weblog


にほんブログ村 教育ブログ 中学校教育へ★ブログ村教育ブログランキングに参加しています。ランキング状況はこのバナーをクリックすると見ることができます。ジャンジャン見てくださいね。

■8/1 模擬授業大会を開催した。
 模擬授業者は前回も紹介したように、?舘田T(国語) ?森T(数学) ?田名部祥T(家庭) ?本田T(音楽) ?和田T(英語)の5人だ。
 1つの授業が10分間、協議が5分間、合計15分間。
 これを5つやるわけだから、15分間×5=75分間。
 ただ授業と授業のあいだには、どうしても準備・移動時間が必要だから、トータルで90分間。
 午前9時にスタートして10時半に終了した。

 模擬授業のメリットの1つがこれだ。
 いつでもどこでも授業研究がやれる。
 1コマ(15分)だと職員会議のあとや教研タイムの中でもやれる。
 だから「どこ模」と呼んでいる。

■さて、今回わたしは、わたしの原点に帰ろうと、8/1の模擬授業に臨んだ。
 わたしの原点は『研修通信』ないしは『研修通信』を核にした『職員室通信』だ。
 授業を克明に記録して、コメント(考察)を加える。
 これを1つ1つ積み重ねていく。
 これが、教育実践者(あるいは学校経営者)としてのわたしの原点だ。
 最近の不調は、この地味な作業をパスして、ものだけ言おうとしているところにあったと思っている。
 ただ、断っておくが、原点=克明な記録そのものがまだできていない。
 後日のアップになる。
 以下の記事は、「模擬授業大会を実施したよ」というお知らせ程度の記事だ。

■トップバッターの舘田T(国語)。 
 特筆すべきは舘田Tの目線。
(1)模擬授業中、指定発言者(須藤T・今田T)とわたしは、生徒役にならずに教室の窓側の席にいたのだが、それでも何回も舘田Tと目があった。
 コメントするとき、わたしが「授業中、舘田Tと目が合った人は挙手してください」といったら、教室の最後の列にいた1名を除いて全員挙手した。

(2)授業スタート時の発問。
 向田邦子と板書して「なんと読みますか? 自分がこうだと思う読み方でよろしいです」はよいが、それにつづく「この人はなにをした人か?」や向田氏のプロフィールの説明は、不適当。
 子どもの意欲がプツンと切れる。
(きょうの「模擬授業」に関する記述はこれで終わる。少しずつアップしていくことにする。)

■梅雨明けと同時に八戸も暑くなってきた。(といっても、最高気温が30℃にいくかいかないか……だが。)
 掲示板にこんなカキコミがあった。

題:あああああああああああ 投稿者:星 投稿日:2007/08/03(Fri) 09:23 No.158
 今年わあつすぎる!!!勉強に集中できん(@_@;)
 だれかなんかいい勉強のしかたと集中のしかたおしえてください

〈わたしの返信〉
 いやぁぁ~、ホンマ、暑いですねぇ~
 帰宅のとき、折りたたみ自転車で、北高→デンコードー→新井田→類家→千葉学園→長横町→荒町→根城……というルート(10?)で帰るのですが、先日は、はじめて、途中(千葉学園付近)で熱中症気味になりましたよ。
 しかし、受験生はこの暑さにまけたらアキマヘンよ。
 宗教的修業と思って、この暑さを克服してください。
 このがんばり&ねばりが、これからの夏後半→秋→冬の決断力や集中力や持続力につながりまっせ。
 奮闘努力を祈ります。