★時間をみて、先日5/15、花巻市太田山口の高村山荘詩碑前で開かれた「高村祭」のアルバムを整理したい。 整理の骨組みの中心は、当日の高村祭のプログラムに沿った画像。 それに、付録的に、ひとつのプログラムに対して、ひとつの短い短い、ホンマ、つぶやくようなコメント(^_-)。 字数はtwitterの140字がいいかなぁ~。 もっとコメントしたいからツイートを追加していくというのではなく、1プログラムに1ツイート。 新聞記者的でなく、文芸評論家的でなく、僕の「行動」と「思い」。ま、 「思い」より「行動」重視やね。 ★高村祭・詩碑に献花&献茶――献花の2人(太田小児童)の「はじめてのおつかい」的な動作と、はちきれる笑顔に、草むらのゴザに座った参加者(岩手日報=400人?)から「かわいいィ~」と声があがった。 ホンマ、かわいかった。 光太郎も心底「ここに来てよかった」と思ったことだろう。 ★高村祭・全員による詩碑「雪白く積めり」朗読。 先導、花巻市立西南中学校1年67名―― 今夕の炉辺に一椀の雑炊を暖めんとす。/敗れたるもの却て心平らかにして/燐光の如きもの霊魂にきらめきて美しきなり。/美しくしてついにとらへ難きなり(終わり4行抜粋)。 提案=先導はひとり。大人がいい。 ★高村祭・来賓祝辞=花巻市長 大石満雄。 代理ではなくご本人が元気な姿を会場に見せ、かつ、中座ではなく最後までプログラムに参加する。 ホンマにおおきにィ~。 願わくは、光太郎と東日本大震災を市長の頭の中で(勝手に)処理してしまうのではなく、光太郎に「語る」「問う」カタチが望ましかったのではないかと思う。 この点は違和感をもった。 ★高村祭・太田小2年25名の演奏。 旧「山口小学校校歌」がよかった。 高村光太郎も作詞にかかわったとされている。 子どもたちは覚えるのがたいへんだったろう。 「八方山の雲近く/清き流れの 水くみて/緑の大地 拓き来し/心をうけて 一すじに/学ぶわれらに 光りあり/伸びゆく若葉 山口校」 ★関連記事 ・高村光太郎の遺徳を偲ぶ高村祭。光太郎が大東亜戦争中、花巻に疎開したのが、昭和20年5月15日。この日を記念して、毎年、5月15日に開かれている ・2009高村祭の準備風景 ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
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