職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

海戦想望 こころはろばろ スラバヤ沖 バタヴィアの沖。突然神社に至る。右側の狛犬の土台石に「武運長」

2010-04-23 06:08:24 | Weblog

10.04.23 海戦想望 こころはろばろ スラバヤ沖 バタヴィアの沖


◆現在、このページにおける「学校20X0」の記述がストップしています。
 「もう廃校になったのか?」と思っていらっしゃる方もあるかもしれませんね(*^_^*)。
 「廃校」ではありません(*^_^*)。
 実は、学校20X0として、「学力」をどう規定するか?……について、「確定」は出来ないまでも、その「確定」に向けて「方向」だけは定めておきたいと、現在、「協議」しているところです。

 「協議」内容について記述しはじめると、また延々、ダラダラ、ページが全部、それで埋まってしまいますので、きょうのところは、これでストップします。

◆散歩道。



◆先日も記述したように、散歩Aタイプ「毎回、毎回、10年でも20年でも、同じコースをたどる」のではなく、Bタイプ「毎回、毎回、10日で10通り、100日で100通り、コースを変える」に切り換えました。
 自分が、Bタイプだからか? あるいは、10年でも歩きつづけたい散歩道が見つからないからか?……は、わかりません^^;。


 「人生」だとか「絶望」だとか「孤独」あるいは「生」たとか「死」――そういう言葉を口にすることに、ある種の羞じらいを覚える学生だった。
 それを使いたがる周りの人間が好きでなかったからにちがいないが、それ以上に、やくざな言葉をいくら振りまわしてみても、それは青臭い戯言、ないしは、ママゴト遊びでしかないという意識が潜んでいたところに、その理由の多くがあった。
 気取っていえば、そういうやくざな言葉に対する一種の羞じらい、あるいは、嫌悪の情を自分の生活における「焦点」と感じていた。(『クマーナ族の歌』から)


◆散歩道。




◆突然、神社に至る――右側の狛犬の土台石に「武運長」とあったので、あれ?と思い、ややあって、左側の狛犬の土台石に「久祈願」の文字を見つけました。
 「武運長久祈願」
 当時は、神社の入り口の右と左に「武運長」と「久祈願」を分離して刻むというやり方もあったのでしょうか?
 徳川家康が、豊臣家 から送られた鐘に「国家安康」と書かれていたのを見て、「家康」 の文字を分けて呪っているとイチャモンをつけたという話がありますが、ふと、この話を思い出してしまいました^^;。

 土台石の裏に回ると、「昭和18年3月」と刻まれています。




  海戦想望

 いかばかり御軍(みいくさ)らは
 まなこかがやきけむ
 皎たる月明の夜なりきといふ
 そをきけば
 こころはろばろ
 スラバヤ沖
 バタヴィアの沖

 敵影のかずのかぎりを
 あきらかに見よと照らしし
 月読は
 夜すがらのたたかひの果
 つはものが頬にのぼりし
 ゑまひをもみそなはしけむ
 そのスラバヤ沖
 バタヴィアの沖

(『春のいそぎ』より)





◆昭和18年から平成22年までの68年間の眼差し。
 その眼差しの前に、今、わたしが立っています。

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