職員室通信・600字の教育学

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王寺のこの地点に自分の身を置くことにこだわったのは、昭和61年頃、柿本家のある信貴山をモデルに地図を

2010-01-22 13:49:00 | Weblog

10.01.22 魂の底に沈む白い貝殻・王寺

◆信貴山・柿本家の若女将に見送られて下山し、王寺に向かいました。
 今回の、水平(空間)軸上の移動は、粗く、①信貴山→②奈良のどこかの町(*^_^*)→③大阪生野区へ。
 この生野区を旅の終着点として、大阪環状線・寺田町駅→大阪駅→新大阪駅から新幹線……という計画でした。

 残された時間から、③大阪滞在の時間を引くと、②奈良滞在は、わずかな時間しかありません。

 そこで、王寺・斑鳩・大和郡山の3つを選び出しました。
 年の暮れに、ぼんやりと考えていた「桜井の大神神社から三輪山を眺める」は、とても時間が足りないので、次回、桜井に特化した水平移動を設定することにして、今回は、あきらめました。

 大和の元旦に、一番多くの人の詣で集まる大祭りは、大神神社だった。
 元旦の暗闇の中で、三輪の神主は、三輪山に向かって祝詞を奏上する。
 この神社では、神の象徴や神位や御神体を祭る本社神殿はなく、御山がそのまま神にましましたから、御山に向かって祝詞を奏上する。
 こうして大和一国の年は始まるのである。(保田與重郎「日本人の『美的生活』ということについて」)




◆王寺から眺める信貴山です。
 中腹まで住宅地(大和川を挟んで接する三郷町)が広がっています。




 王寺のこの地点に、自分の身を置くことにこだわったのは、(ずっと以前に紹介したことがありますが)昭和61年頃、柿本家のある信貴山をモデルに「地図」を作り、「地図」の中で暮らし、「地図」の中から大館中学校に出勤していた頃のDiaryの、大館中の教職員や生徒たちとのやりとりの記述と記述のあいだに、次のような箇所があり、その箇所が、魂の底に沈んだ白い貝殻のような痕跡を残していたからです。


 お天気のいい日だった。
 平岡たちの家族は、王寺の町に出かけていった。
 買い物に行く細君と駅で別れた平岡は、子どもたちといっしょに駅前のペットショップをのぞいてみた。
 店には大小の水槽が積みあげられていた。
 「ちっちゃい金魚だ」
 千早が平岡の手を振りほどいて駆けだした。
 「ちっちゃい金魚だ」
 光太郎も駆けだした。
 グッピーの群れがページをめくるように泳いでいた。
 「お父さん、こっちこっち」
 うしろの大きな水槽の陰から千早が顔を出した。
 「ほら、変な顔の金魚」
 「ヘンな顔の金魚ッ!」
 2人はシーラカンスに似た熱帯魚の前で、自分たちの頬を両手で押しつぶすようにして、平岡の顔を見た。
 店の主人は、小鳥の産道につっかかった卵をとりだそうとして悪戦苦闘しているらしかった。……(後略)


 当時のDiaryに「王寺」を登場させてから、こうして実際に身を置くまでに、25年の歳月が経過しています。
 あのときは、架空の地図(信貴山)から、架空の父(平岡)が、実在の千早&光太郎を連れて、架空の王寺を訪れたのです(*^_^*)。
 今回は、わたしは、いったいどこから、ここにやってきたのだろうか?と考えたら、頭がクラクラッとしました^^;^^;^^;^^;。

◆斑鳩町のあと、奈良の最後の滞在地、大和郡山に到着。




 お好み焼き・千房の看板が目に入りました。
 ちょうど、お昼時でしたから、もちろん侵入することに(*^_^*)。
 いつもの豚玉と思いましたが、せっかくの大和郡山なのだから……と奮発して、黒豚玉を注文。
 「焼きはりますか? 焼きまひょうか?」
 もちろん、プロの腕で焼いてもらうことに……。






 わたしが追究している、外サックサック、中ホッカホッカからは、完全に外れて、全体がホカホカの、ごく普通のお好み焼きでしたが、(ま、わたしがグルメレポーターのような言い回しをするのは、すごく抵抗がありますが^^;)、しっかりとしたキャベツの歯触りがありながら、気がついたら、トロけているのには驚きました。(これは……この部分だけは……参りました(*^_^*)よ。)

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