職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

けど、センセ、治者の文学はどないしはったんですか 

2006-01-16 06:16:31 | Weblog
06.01.16 けど、センセ、治者の文学はどないしはったんですか

◆今年の初夢(1/2)も江藤淳氏が登場した。
 舞台は生野区田島にある寿し由だった。
 寿し由には友人の磯橋と一度、恩師の松野先生と一度、行ったことがある。
 押し寿司のうまい店で、主人が、
「うちんところは大阪で一番の大阪寿司なんですわ。つまり世界一やということやね」
 と自慢していたのを覚えている。
 二度ともずいぶん以前の話だ。どうして今回、初夢の舞台になったのだろうか?
 民主党の前原氏の恩師が高坂氏という話を聞き、年の瀬に久しぶりに『海洋国家日本の構想』を手にしたことと関係があるのかもしれない。
 高校時代に『海洋国家日本の構想』をめぐり、磯橋と明け方まで大論争をやったことがある。
 年の瀬には磯橋のことは思い出さなかったのだが、夢の中で磯橋→寿し由と接続したのだろう。

◆寿し由に入り、主人の「いらっしゃい」のかけ声に誘われて目をやると、江藤氏の横顔がカウンターにあった。
 江藤氏のほうもわたしに気づいて、
「やあ、小高さん!」
 と、メガネが弾けるほど笑っていらっしゃる。
「センセ、お久しぶりですね」
 緊張して立ったままのわたしの肩を江藤氏は、
「まあ、座んなはれ、座んなはれ」
 と抱えるようにして隣の席を勧めてくれた。
「センセ、相変わらず大阪弁のマネがお上手ですね」
「いやァ、それを言わんといてんか。わたしのはホンマ、ワンパターンやからね」
 江藤氏は、いわゆる「けったいな大阪弁」をよく使った。その大阪弁がなつかしく、わたしは少し涙ぐんでしまった。
「小高さん、最近はどないしてはりますか?」
「はあ、まあ、どうにかやっております。センセがお亡くなりになった次の年に……」
 教育現場から教育行政に身を転じたこと。
 仕事のテーマが学校教育と社会教育を統合した生涯学習体制の構築であること。
 その具体的な手法として学社連携・融合が有効であると考えていること。
 また、その前提として、保・幼・小・中・高・大の連携が重要であること……

◆わたしが教育行政の職にあり、「学社連携・融合」の仕事をしていたのは数年前のことだ。
 だから、初夢の舞台が現時点ではなく、少し過去にずれていることになる。

 自分の仕事のことを話しながら、しかし、学校・家庭・地域社会の連携や学社連携・融合の方策を、江藤先生に述べるのも何か変な具合だなと思い始めた。
 すると、江藤氏が言った。
「小高さん、それはシンドイ仕事や。よ~やってると思うわ。わたしが見るところ、戦前にしみついた家庭教育、学校教育、社会教育がちゃんと機能しているうちは何とかなってきたけど、今はホンマ、めちゃくちゃやからね」
 何気ない話しぶりだが、眼がわたしの話を真剣に受けとめていた。
 ありがたいと思った。
 とりわけ江藤氏の口から「学校教育」「社会教育」という語が飛び出したのには驚いた。

◆「小高さん、見てみィ、この鯛の皮目、きれいやなァ」
「ホンマですね、センセ」
 カウンターの上に江藤氏が指差したのは、アナゴ、エビ、小鯛、太巻きなどの盛り合わせで、寿し由のいわゆる大阪寿司セットだった。
 盛り台の上で、鯛とアナゴが輝いていた。

◆江藤氏が自殺したのは、1999年7月21日のことである。
 その朝、わたしは勤め先(八戸市立是川中)に向かおうと、ネクタイを締めていた。
 つけっぱなしのTVから「江藤淳氏が風呂場で手首を切って自殺した」というニュースが流れた。
 ネクタイの手が止まり、自分がからだごと一瞬、音のない、静まりかえった空間にはじき飛ばされるのがわかった。
 予感がないわけではなかったが、やはり衝撃は大きかった。
「ひとりオオカミや」(ほんとうは「はぐれオオカミ」)と傲慢もしくは軽率に構え、常に無限漂泊の状態に自分を置こうとするわたしにとって、江藤氏は唯一の道しるべであった。
 その日の夕刊に遺書の文面がのった。

〈心身の不自由は進み、病苦は耐え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。〉

 文字は、小ぶりで丸っこかった。
 わたしは死の報の直後から、自殺と江藤氏の作品とを分離しようと考えていた。
 けど、
「けど、諒とせられよ……はないですよ。センセ、治者の文学はどないしはったんですか……」
 涙がこぼれた。

◆「小高さんは、まだビールでええのんか?」
「そうですね、わたしは今夜はビールをいただきます。センセ、メニューにウィスキーがありますよ」
「そうやなァ、よし、大将、ウィスキーロック、つくってんか」

 このあと江藤先生は、
「ちょっと」
 と席をはずされたあと、いくらまってももう戻ってこられなかった。
 夢から覚めたとき、わたしの目が濡れていた。

画像は保健室前の掲示板。長谷川Tの力作。


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