職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

生徒会誌の原稿は始業式式辞から 

2006-01-19 06:18:48 | Weblog
06.01.19 生徒会誌の原稿は始業式式辞から

◆生徒指導主任の今田Tからみなみ中の生徒会誌の原稿依頼があった。
 字数2000字。
 今年は今年度の式辞からコピーしようと思い、次の原稿に対象をしぼった。
 2学期始業式〈小子内の盆踊り〉
 2学期終業式〈豊かな人間の条件〉
 3学期始業式〈ウィンナーソーセージ2個ください〉
 「ウィンナーソーセージ」にしぼりかけ、結果として「小子内の盆踊り」を選択した。
 どれも、どれも、魂を込めて語っているが、「小子内の盆踊り」の魂の震えがいちばん際だっていると考えたからだ。


 〈生徒会誌用原稿〉 

 この夏は、わたしは役目とか仕事とかにしばられて、一人の人間として自由な時間はほとんどありませんでした。
 やや苦痛な夏休みでした。
 でも、一つだけ、自分の心が踊ることがありました。
17歳、大阪の高校生だったわたしは、国語の教科書で『浜の月夜』と『清光館哀史』という文章に出会います。
 内容を簡単にいうと、柳田国男という民俗学者が、小さな漁村にある「清光館」という旅館に泊まります。そこの若い主人と妻がたいへん親切にしてくれたそうです。その夜は旧盆の月夜で、浜では女ばかりの静かな淋しい踊りの輪が出来ていました。ところが、数年後、再び訪れると、旅館はあとかたもない。主人は漁に出て死んでしまっている……という話です。
 高校生だったわたしは、この浜を訪ねてみたいと思いました。しかし、大阪からははるかに遠く、どういうところなのかは見当もつきませんでした。
 実は、この夏、この『浜の月夜』の盆踊りを見ることができました。
 よくよく調べてみたら、ここからそんなに遠くない場所でした。JR八戸線に乗って、白銀・鮫・陸奥白浜・種差海岸・大久喜・金浜・大蛇・階上・角の浜・平内・種市・玉川・宿戸・陸中八木。
 8/15 夕方、この陸中八木駅で下車して、南に向かってゆるやかな坂道をのぼりきり、ゆるやかにくだると小子内という漁村があります。ここが『浜の月夜』の舞台です。
        
 小子内に入っていくと、道端の空き地にやぐらがたてられ、既に明るく灯されたちょうちんが飾られていた。
 人影がないので、近くで畑仕事をしていた婦人にたずねると「午後7時からはじまる」ということだった。

 時間があるので、小子内地区を歩く。
 「小川が一筋あって板橋がかかっている。その板橋をカラカラと鳴らして、子どもたちがおいおい渡って行く」(『浜の月夜』)
 高校生の頃、「おいおい」という表現がリアルだなぁと思ったことを覚えている。漢字で書けば「追い追い」。

 清光館跡を訪ねたあと、小子内浜に下りた。
 柳田国男がここを訪れたのが1920年8月下旬。
 大阪の高校生だったわたしが『浜の月夜』を読むのが1966年。柳田が訪れた46年後。
 きょうは、それからさらに39年後。
 この46年の長さと、39年の長さと、合計した85年の長さ。この3つの時間の長さのヒズミの中に、今、自分は存在している。
「3つの時間の長さのヒズミの中に自分は存在しているのだ」と、自分自身の表現にしびれてしまい、何度も何度もつぶやいた。
 この「しびれ」は、伊勢物語の「はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」とも「かぎりなく遠くも来にけるかな」とも次元を異にする。
 では、どう異なるのか?……といっているうちに、盆踊りが始まる時刻になった。

 小さな子どもたちが走りまわっているだけで、なかなか踊りがはじまらない。
 ご高齢の婦人たちが高校生に「太鼓、叩け」「太鼓、叩けばはじまるんだぁ」と、しきりに声をかけている。
 うながされた中・高校生の男女が先頭に立ち、太鼓を叩きながら歩きはじめると、そのあとに踊りの列ができていった。
 「ナニャドヤラ ナニャドナサレノー」と歌っているのは、やはりご高齢の婦人で、適当に、「今度はあんたが歌え」と、マイクを回しているようだった。

 『浜の月夜』に次のような一節がある。
〈翌朝五時に障子をあけて見ると、ひとりの娘が、踊りは絵でも見たことがないような様子をして水をくみに通る。隣の細君は腰にかごをさげて、しきりにいんげん豆をむしっている。あの細君もきっと踊ったろう。まさかあれは踊らなかったろうと、争ってみても夢のようだ。出立の際に昨夜の踊場を通ってみると、存外な石高路でおまけに少し坂だが、掃いたよりもきれいに、楕円形の輪の跡が残って居る。今夜は満月だ。またいっしょうけんめいに踊ることであろう。〉
        
 今回、たくさんのおばあさん、おじいさん、若い人たちとも話ができました。
 17歳のとき追い求めたものに、やっと出会えた。
 自分が小子内浜にやってきたというより、なにかにひきよせられたような気がします。
 運命を感じました。


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