◆以前は(25年くらい前のことだ……)、勤務終了後、あるいは、夕食終了後、400字詰めの原稿用紙にして、10枚くらいは、軽く書けたと思う。
土曜・日曜も(もちろん、今のように週休2日制ではなかったので)土曜の夕刻から取材に出て、日曜日は、その取材をもとに一日中、閉じ籠もり、原稿用紙に向かっていた。
その10枚の内容も、(ま、過去の文章そのものを提示しないで、こんなふうにいうのはイヤだが)、今、書いているように、軽く書き殴る……薄く書き流す……浅くぶっ飛ばすという感じではなかったように思う。
最近は、夕食後も、土曜・日曜も、からっきし、ダメで、ほんとうに、もう、どうにもこうにも、ひどい状態だ。
◆なにがダメなのか?
問題の正しいありかがわかっているわけではない。
しかし、今、自分が何に苦しんでいるのかは、なんとなく検討がついている。
日曜日は、やはりニュースやそのニュースに対する、いろいろな人々のコメントが気になるので、たとえば、午前7時頃~午前10時過ぎまで、TVで、
・おはよう日本
・新報道2001
・サンデーモーニング
・ザ・サンデー等を、リモコンを使って、チョンチョンと渡り歩いている。
あるいは、先々週の日曜日だったが、同じ要領で、
・日本カーリング選手権大会 女子決勝「チーム青森VS.常呂高校」(午後1時5分~午後4時30分)
・ドラマ「逆転夫婦の珈琲ワルツ~思い出カフェ、閉店の危機」(午後2時~午後3時30分)、チョンチョンと行ったり来たりした。
前者については、いつも、この渡り歩きをやっているわけだが、これが可能になるのは、それぞれの報道番組が、小さく分割した時間の単位で構成されているからだろう。
後者は、カーリングの結果も気になったし、ドラマの展開も気になったので、たまたま、こういう格好になった。
カーリングという競技も、「思い出カフェ」のドラマも、ともに悠然、悠揚とした展開だったから、可能になったのだろう。
前者については、いってみれば、わたしが、小さく分割した時間の単位を組み合わせて、「わたしの報道番組」を創っていることになる。
後者についても、カーリングとドラマを融合させて、わたしが「別種のドラマ」を創っていることになる。
今のわたしの苦しみは、この「わたしの報道番組」なり、「別種のドラマ」なりを、単にパック旅行のフリータイム程度のおもしろさ(わかりにくいかもしれないので説明すると、カーリングがパック旅行で、ドラマがフリータイム……)にとどまり、わたしが、新しいかたち、あるいは、原理として(要するに、文字作品として)表出できていないところにある。
先の問題のありか=この苦しみ……といえるかどうかはわからないが、たぶん強い関係があるのだろう。
文字作品として表出するために、文字と文字を、積み木のように組み立てていく執念……体力……粘り……いや、能力?(^_-)
◆きょうは、3校時、1年2組の道徳(指導者=折原T)を参観した。
本時のねらいは、「相手へ気遣いながも自分の主張が伝わる発言を考え、ロールプレイを通して、その発言が相手にどのように受けとめられるかを知る」。
授業の展開は、「テスト前の友人の長電話」に対して、自分ならどう言うかを考え、4人グループでロールプレイを行う。
参観の感想をアトランダムに述べる。
(1)教室に指導者と生徒たちが醸し出す(←やや、あいまいな表現だが……)「品」(←上品の「品」、気品の「品」……)が充満していることに、感激する。
(2)導入段階で折原Tが、授業開始後、即、シート①「だめになった家族旅行」を音読して、スカッと本題に入ったのは、高く評価したい。
(3)ただ、そのシートの内容、お父さんの仕事の都合で家族旅行がだめになったことに対して、隣の生徒を相手に自分の思いを言わせる場面について。
①作業の説明・指示が、一本調子で、生徒が理解したり、思考したりする間が、ほとんどない。
説明・指示は、もっともっと、聞いている生徒の立場で、あるいは、生徒の思考(←これも重要な「作業」)に即して。
②隣の生徒とのロールプレイが、次の段階である自分を表現するときの3つのタイプ(A=ズケズケ型 日=ひっこみ型 C=さわやか型)の学習に、うまく接続されていない。
(4)A・日・C3つのタイプについて、グループ討議をさせ、発表させるときに「いいのは、このタイプかこのタイプかで話し合い、結果として、このタイプに決めました。理由は~です」という発表の型を提示したのは、生徒の発表力をつけるうえで、効果的である。
(5)折原Tの語る姿勢がいい。
ほとんどの場合、生徒と正対するかたちで語っている。
(6)展開場面で、「テスト前の友人の長電話」に対して、自分ならどう言うかを考え、記述させる場面で、当たり前だが、
①時間=2分間
②相談するのではなく個人でやる……と、きちんと指示ができている。
③ただ、主題である「自分も相手も尊重できる『さわやかな自己主張』を練習しよう」の「自己主張」は、もっと強調したい。
(7)作業終了時「ペンを置きなさい」という指示のあと、即、次の説明に入ったが、もちろん折原Tは机間指導で、作業の進み具合をきちんと把握していたと思うが、その把握とは別に、挙手などで作業の1人1人の達成状況を確認すべきである。机間指導による把握と、生徒自らの挙手による把握は、別のもの。
(8)4人グループ内での発表のさせ方(発言者1名・相手役1名・観察者2名×4回)がすばらしい。
(9)「はい、顔をあげて」と、生徒の作業をやめさせて、次の作業説明・指示をして、「では、1分間です。はじめましょう」と、(わたしのようにブツ、ブツと途切れるのではなく)流れるように進んでいくことに驚いた。生徒がほんとうによく育っていると感じた。
(10)終末段階の教師の「まとめ」は、本時についていえば、サラッと、オープンエンドでよかったのではないか。
(11)突然、変な表現で恐縮だが、自分のうちに、いい短編作品を読んだときのような感動が残った。自分もこんな授業がしてみたい。
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