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★古町温泉に到着。わざわざここまでやってきたのは、硫化水素単純泉というのが、このへんではここだけだから。
◆きょうの職員朝会コメント
(1)何度も何度も言うので、もう耳にタコが……といわれるかもしれないが、今(7月)は、生徒指導的にいって「剣が峰」、今後の局面を大きく左右する時期だ。
自分自身の経験からいっても、あとから振り返り、「ああ、あのときの対応がまずかった……」という大後悔のほとんどが、この時期だ。
「超」がつくくらい、仕事に追われる時期だからか?
あるいは、1学期の終わりで、ああ、わたしのような者でも、なんとか、ここまで来ることができた……と、ホッとしてしまうからか?
いったい、対応のどこがまずいのか?
一言でいうと、自分の思いだけを一方的に述べて、その子どもと接っしてしまってはいけないのに、うっかり、そのように接してしまうのだ。
これは危険だ。
慎もう。
子どもの目で見て、子どもと一体になる層を、ぶ厚くしよう。
子どもの味方になり、励ましてやる層を、ぶ厚くしよう。
しんどい時期だが、今、そうして対応してやらなくてはいけない、子どもが、現にいる。
ここでの「実行」と「不作為」の差が、休業中に、あるいは2学期に大きな差になって出てくる。
この時期に、こういうことに対して、ぼんやりとやりすごしているような学校は、最低だ。
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★玄関から旅館の長い廊下を奥へ奥へ、下へ下へと進んでいくと、おお! これって、いわゆる「硫黄の臭い」ではないか?
(2)通信表のコメントについて。
通信表のコメント欄は、学級担任の「思い」を書く欄ではない。
「思い」は、たとえば「生活ノート」にかくべきだ。
わたしたちは「教育目標」達成に向けて、公として組織的に教育行為をおこなっている。
だから、コメントの記述は、「努力目標」「学力向上の5原則」「学年目標」「学級目標」などを視点にして、その子どもの日常の具体的場面をとらえて、評価する。賞める。認める。
「思い」を述べるよりは、簡単そうだが、実は、この「目標」に即して、あるいは関連させて、ひとりひとりの子どもに関してコメントを述べるのは、むずかしい。
プロの技が必要。
くり返すが、学級担任の「思いのオンパレード」を廃す。(これは、教師ごっこ、素人の仕事だ)
それから、常用漢字外の漢字を廃す。
◆4校時の主任会では、
この「剣が峰」と「通信表のコメント」について、具体的なケースをあげ、念を押し、いくつか補足する。
そのうちの1つが「授業という本務が軽くなっている状態に危機感を」だ。
たとえば、出張などが重なることがある。
授業交換で対応できているうちは、まだいいが、それもできなくなり、補欠で対応しなければならないようなことが、本校にもあるが、これが、本務が軽くなっているという状態だ。
授業というはの、そんなに軽いのか?と、なさけなく思うことがある。
これだけは避けたい……という話をする。
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★お湯も、シャワー&カランも、硫黄のにおい、プンプン。やってきたかいがあった。風呂場からの眺めも最高だ。
◆先日のすこやかみなみネット地域情報交換会に関連して、午前中、安協大久保支部長宅、岬・白銀台防犯協会長宅、午後、白銀台町内連合会長宅を訪問する。
はなむけ号(折りたたみ自転車)で行く。
総走行距離は、概算、8キロくらいだが、上り下りが多く、暑かったので、わたしのきょうの総エネルギー量のほとんどを使ってしまう(^_-)。
◆日帰り人間ドック(総合コース)受診結果のつづきだが、体力測定で、突出しているのが「敏捷性」のみ。
このことに対するわたしの感慨。
「ああ、筋力も、瞬発力もない……平衡性も、柔軟性も劣る……せめて、心肺持久性、筋持久力は……と思っていたのだが、これも年相応……自慢できるのが敏捷性のみとは……?!……なんだか、この世における、わたしの存在の仕方そのものやんけ……。」
最近、よく、「文章の質は問わない。いいんだ、いいんだ、ダラダラ記述を通して鍛え直すのだ」といっているのだが、ここでいう「ダラダラ記述」というのが、体力測定の項目でいうと「心肺持久性」&「筋持久力」に相当する。
ダラダラやらないで、「敏捷性」を発揮してパキパキやろうとすると、わたしの場合、はずかしい話だが、他人の理論や知識や解説に頼ってしまう傾向がある。
これを痛恨の思いでふりかえりつつ、「自慢できるのが敏捷性のみとは……?!……なんだか、この世における、わたしの存在の仕方そのものやんけ……」といっているのだ。
だから、ダラダラと記述する。
現在をダラダラ……現在から過去へダラダラ……現在から未来へダラダラ……。
なんどもいうようだが、このダラダラ記述を通して、一から、鍛え直す。
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★おなかがすいたので、きじざるそばを食べる。
◆先日(6/27)、Windows95のことを書いたが、きょう、過去のファイルをいじくっていたら、おもしろいもんやね、ホンマに、ホンマに、偶然に、次の箇所が、目に飛びこんできた。
1997/1/19のダラダラ記述だ。
夜、職員室の隅の、うずたかく積み上げられた印刷物や書物の間に置かれている9821V7の電源を入れ、一太郎7を起動する。
そして、ディスプレイの上に、ノロノロと単語を打ち込む。
《*旭商会ストーブの修理3台。*2校時、○○Tと新入生保護者説明会の打合せ。*給食、珍しく麦飯。○○Tの学級通信『かわら版』は麦飯特集。*○○さん、○○学園合格。*修学旅行の日程決定。国会議事堂・東京タワー・美女と野獣・鎌倉・ディズニーランド・葛西臨海水族園。*松島先生の遺稿集『蒲公英』が届く。……》
生徒はもうだれもいない。
職員もほとんど帰ってしまった。
残っているのは教育課程編成作業の○○T、入試関係事務の○○Tだけだ。
もう電話も鳴らない。
肩から昼間のプレッシャーが少しずつ抜けていくのが感じられるが、やはり疲れているのか、次の行動にはなかなか移れない。
頭もはっきりしない。
そんなときに、ただ「きょうも一日が終わったのだ」という感覚をそのまま受けとめながら、単語で打ち込む、いわば私家版「学校日誌」だ。
霧の向こうに見える景色のように、昨日と今日がおぼろげになっていることもあるが、ひらがな入力→変換→確定を繰り返しながら、ディスプレイの上を這っていくという作業は、視点を変えた場所から現実を見つめ直すことができそうで、結構愉しい。
話があとさきになってしまったが、9821V7とは、現在、鮫中で一番新しいパソコンのことだ。
処理速度が速いし、同時にいくつかのソフトが使えるなど、なかなかの能力だ。
特に私は、そのメモリーの大きさに驚いている。
単純計算だが、一個の内蔵ハードディスクには原稿用紙800000枚分が記憶できる。
書物に換算すると約3000冊だ。
残りの人生では、いや、若い頃から一生書き続けたとしてもハードディスクをいっぱいにすることはできないだろう。
この大記憶容量に関連するのだと思うが、夜、一人で単語を打ち込んでいると、そのディスプレイの向こう側に、無限に広がっている宇宙を感じる。
身過ぎ世過ぎのわずらわしさを飛び越え、自分の身体が宇宙に開かれながら、ここにこうして生きているという不思議さを感じ、ときめきを覚える。
夜の9821V7のディスプレイ、自分が自分自身にかえる「場所」だ。
今は単語を打ち込むだけで精一杯だが、いつかピアニストがピアノを弾くように、心の中の鍵盤を探りながら、明確な文章の形で記述できるようになりたい。(1997/1/19のダラダラ記述 以上)
指を折って数えると、「ピアニストがピアノを弾くように」といってから、11年6ヵ月が経ったことになる。7
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