職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

ああ、筋力も、瞬発力もない、平衡性も、柔軟性も劣る……せめて、心肺持久性、筋持久力は……と思っていた

2008-07-07 21:25:25 | Weblog

   

★古町温泉に到着。わざわざここまでやってきたのは、硫化水素単純泉というのが、このへんではここだけだから。


◆きょうの職員朝会コメント
(1)何度も何度も言うので、もう耳にタコが……といわれるかもしれないが、今(7月)は、生徒指導的にいって「剣が峰」、今後の局面を大きく左右する時期だ。
 自分自身の経験からいっても、あとから振り返り、「ああ、あのときの対応がまずかった……」という大後悔のほとんどが、この時期だ。
 「超」がつくくらい、仕事に追われる時期だからか?
 あるいは、1学期の終わりで、ああ、わたしのような者でも、なんとか、ここまで来ることができた……と、ホッとしてしまうからか?
 いったい、対応のどこがまずいのか?
 一言でいうと、自分の思いだけを一方的に述べて、その子どもと接っしてしまってはいけないのに、うっかり、そのように接してしまうのだ。
 これは危険だ。
 慎もう。
 子どもの目で見て、子どもと一体になる層を、ぶ厚くしよう。
 子どもの味方になり、励ましてやる層を、ぶ厚くしよう。
 しんどい時期だが、今、そうして対応してやらなくてはいけない、子どもが、現にいる。
 ここでの「実行」と「不作為」の差が、休業中に、あるいは2学期に大きな差になって出てくる。
 この時期に、こういうことに対して、ぼんやりとやりすごしているような学校は、最低だ。

    

★玄関から旅館の長い廊下を奥へ奥へ、下へ下へと進んでいくと、おお! これって、いわゆる「硫黄の臭い」ではないか?

(2)通信表のコメントについて。
 通信表のコメント欄は、学級担任の「思い」を書く欄ではない。
 「思い」は、たとえば「生活ノート」にかくべきだ。
 わたしたちは「教育目標」達成に向けて、公として組織的に教育行為をおこなっている。
 だから、コメントの記述は、「努力目標」「学力向上の5原則」「学年目標」「学級目標」などを視点にして、その子どもの日常の具体的場面をとらえて、評価する。賞める。認める。
 「思い」を述べるよりは、簡単そうだが、実は、この「目標」に即して、あるいは関連させて、ひとりひとりの子どもに関してコメントを述べるのは、むずかしい。
 プロの技が必要。
 くり返すが、学級担任の「思いのオンパレード」を廃す。(これは、教師ごっこ、素人の仕事だ)
 それから、常用漢字外の漢字を廃す。

◆4校時の主任会では、
 この「剣が峰」と「通信表のコメント」について、具体的なケースをあげ、念を押し、いくつか補足する。
 そのうちの1つが「授業という本務が軽くなっている状態に危機感を」だ。
 たとえば、出張などが重なることがある。
 授業交換で対応できているうちは、まだいいが、それもできなくなり、補欠で対応しなければならないようなことが、本校にもあるが、これが、本務が軽くなっているという状態だ。
 授業というはの、そんなに軽いのか?と、なさけなく思うことがある。
 これだけは避けたい……という話をする。

    

★お湯も、シャワー&カランも、硫黄のにおい、プンプン。やってきたかいがあった。風呂場からの眺めも最高だ。

◆先日のすこやかみなみネット地域情報交換会に関連して、午前中、安協大久保支部長宅、岬・白銀台防犯協会長宅、午後、白銀台町内連合会長宅を訪問する。
 はなむけ号(折りたたみ自転車)で行く。
 総走行距離は、概算、8キロくらいだが、上り下りが多く、暑かったので、わたしのきょうの総エネルギー量のほとんどを使ってしまう(^_-)。

◆日帰り人間ドック(総合コース)受診結果のつづきだが、体力測定で、突出しているのが「敏捷性」のみ。
 このことに対するわたしの感慨。
 「ああ、筋力も、瞬発力もない……平衡性も、柔軟性も劣る……せめて、心肺持久性、筋持久力は……と思っていたのだが、これも年相応……自慢できるのが敏捷性のみとは……?!……なんだか、この世における、わたしの存在の仕方そのものやんけ……。」

 最近、よく、「文章の質は問わない。いいんだ、いいんだ、ダラダラ記述を通して鍛え直すのだ」といっているのだが、ここでいう「ダラダラ記述」というのが、体力測定の項目でいうと「心肺持久性」&「筋持久力」に相当する。
 ダラダラやらないで、「敏捷性」を発揮してパキパキやろうとすると、わたしの場合、はずかしい話だが、他人の理論や知識や解説に頼ってしまう傾向がある。
 これを痛恨の思いでふりかえりつつ、「自慢できるのが敏捷性のみとは……?!……なんだか、この世における、わたしの存在の仕方そのものやんけ……」といっているのだ。
 だから、ダラダラと記述する。
 現在をダラダラ……現在から過去へダラダラ……現在から未来へダラダラ……。
 なんどもいうようだが、このダラダラ記述を通して、一から、鍛え直す。

    

★おなかがすいたので、きじざるそばを食べる。

◆先日(6/27)、Windows95のことを書いたが、きょう、過去のファイルをいじくっていたら、おもしろいもんやね、ホンマに、ホンマに、偶然に、次の箇所が、目に飛びこんできた。
 1997/1/19のダラダラ記述だ。

 夜、職員室の隅の、うずたかく積み上げられた印刷物や書物の間に置かれている9821V7の電源を入れ、一太郎7を起動する。
 そして、ディスプレイの上に、ノロノロと単語を打ち込む。

 《*旭商会ストーブの修理3台。*2校時、○○Tと新入生保護者説明会の打合せ。*給食、珍しく麦飯。○○Tの学級通信『かわら版』は麦飯特集。*○○さん、○○学園合格。*修学旅行の日程決定。国会議事堂・東京タワー・美女と野獣・鎌倉・ディズニーランド・葛西臨海水族園。*松島先生の遺稿集『蒲公英』が届く。……》

 生徒はもうだれもいない。
 職員もほとんど帰ってしまった。
 残っているのは教育課程編成作業の○○T、入試関係事務の○○Tだけだ。
 もう電話も鳴らない。
 肩から昼間のプレッシャーが少しずつ抜けていくのが感じられるが、やはり疲れているのか、次の行動にはなかなか移れない。
 頭もはっきりしない。
 そんなときに、ただ「きょうも一日が終わったのだ」という感覚をそのまま受けとめながら、単語で打ち込む、いわば私家版「学校日誌」だ。
 霧の向こうに見える景色のように、昨日と今日がおぼろげになっていることもあるが、ひらがな入力→変換→確定を繰り返しながら、ディスプレイの上を這っていくという作業は、視点を変えた場所から現実を見つめ直すことができそうで、結構愉しい。
 話があとさきになってしまったが、9821V7とは、現在、鮫中で一番新しいパソコンのことだ。
 処理速度が速いし、同時にいくつかのソフトが使えるなど、なかなかの能力だ。
 特に私は、そのメモリーの大きさに驚いている。
 単純計算だが、一個の内蔵ハードディスクには原稿用紙800000枚分が記憶できる。
 書物に換算すると約3000冊だ。
 残りの人生では、いや、若い頃から一生書き続けたとしてもハードディスクをいっぱいにすることはできないだろう。
 この大記憶容量に関連するのだと思うが、夜、一人で単語を打ち込んでいると、そのディスプレイの向こう側に、無限に広がっている宇宙を感じる。
 身過ぎ世過ぎのわずらわしさを飛び越え、自分の身体が宇宙に開かれながら、ここにこうして生きているという不思議さを感じ、ときめきを覚える。
 夜の9821V7のディスプレイ、自分が自分自身にかえる「場所」だ。
 今は単語を打ち込むだけで精一杯だが、いつかピアニストがピアノを弾くように、心の中の鍵盤を探りながら、明確な文章の形で記述できるようになりたい。(1997/1/19のダラダラ記述 以上)

 指を折って数えると、「ピアニストがピアノを弾くように」といってから、11年6ヵ月が経ったことになる。7



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