職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

肩を抱き合って互いの健闘を祈念し、弘高下駅近くの土淵川の橋のたもとで別れた。あれから20数年

2008-10-28 16:46:45 | Weblog

★魂の函館旅行 五稜郭公園前に向かう市電


◆昨日、「学社連携」が、第3の教育改革の中心理念でありながら、実質的な進展はほとんどなかった……と述べたあと、その原因として2点あげた。
 1点は、連携のためには、それぞれの努力を「つなげる」エネルギーが必要なのに、そのことに対する認識が、ほとんど、あるいは、まったくなかったこと。
 もう1点は、学社連携(学校教育と社会教育)のためには、義務教育学校である小学校と中学校がガッチリと手を組むことが前提なのに、この認識も、ほとんど、あるいはまったくなかったこと。

 このあと、この課題に対する本校区の小・中PTA、教職員、地域団体の取り組み内容を復習し、「今後、さらに小・中の教職員として……学校の教育丸抱え体制と悪口をいわれるくらい荷を多くかかえている教職員として……」というところで紙幅が尽きたのだった。


★五稜郭入城

◆職員会議が終わったあと、頭の中で、今後、学社連携(学校・家庭・地域の連携)を推進するための、教職員としての取り組みを粗く整理しているうちに、遅々として進まなかった原因、すなわち上記の(1)と(2)に加え、(3)として、「小・中教職員の教育丸抱え体質」もあげなくてはいけない……と思い至った。

 昭和60年頃の話だ。
 もう具体的な中身は忘れてしまったが、なにか生涯学習のイベントのあとだった。
 わたしと、弘前大学の社会教育学担当教員と、秋田県の社会教育担当者と、スナックで飲みながら雑談中、わたしが不用意に「学社連携の『大号令発布』から、もう10数年たったけれども、学校教育現場に身を置く者には、ただの一般論にとどまっていて、具体的な進展は、ほとんど、いや、まったく感じられませんね。社会教育の側から、もう少し強い働きかけがほしいと思っています」と言った。

 そうすると、秋田の社会教育担当者から、やんわりと反論があった。
 「もちろん、わたしたちとしても忸怩たる思いがありますよ。(……このあと、彼は、社会教育側の実際の取り組み状況を説明し、そして……)でも、学校側の壁って高いんですよね。先生方って、なんでもかんでも抱え込みたがるんですよ。離したがりませんね。」

 これを受け、わたしから、学校教育現場(特に中学校)が社会教育に期待している余暇活動の内容と、社会教育側が実際に展開している活動のとズレ……生徒指導上の心配……などについて説明し、またそれに対して、彼が(だんだん酔いがまわってきたのか、結構、強い口調で)「それはわかりますよ。しかし、そういう教員の狭い了見が、今の教育危機(ちょうど校内暴力の嵐が吹きまくっている頃だった)を招いているんではありませんか?」と反駁した。

 わたしも社会教育関係者の一員だったのに、気がついたら学校教育側の人間として発言しているのが、不思議だった。
 2(大学教員と秋田)対1(わたし)の議論は深夜までつづき、最後には、肩を抱き合って、互いの健闘(大学教員は社会教育学の博士論文の完成、秋田の社会教育関係者は地域ネットワークの形成、わたしは教育現場の意識改革)を祈念し、「ひろこうした駅」近くの土淵川の橋のたもとで別れた。

 あれから20数年がたった。




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