万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

集団免疫の’プラセボ’という選択

2021年03月29日 12時02分34秒 | 国際政治

 人種間の摩擦が今なお社会問題として残るアメリカでは、ワクチン接種に際しても、白人層と黒人層との間には、著しい意識や行動の違いが見られるそうです。報道によりますと、新型コロナウイルスへの感染率や死亡率は黒人層の方が高いものの、ワクチン接種率は低いレベルに留まるというのです。

 

 ワクチン接種が始まった当初、医療保険制度の脆弱性から、低所得層ほど接種に積極的であると報じられていました。発症すれば高額の治療がかかりますが、ワクチンを打って予防すれば、治療費を心配しなくても済むからです。この説明に従えば、黒人層の方に低所得者が多いとされていますので、黒人層の接種率の方が高くなるはずです。しかしながら現実は逆であり、現時点では、両者の間では接種率に2倍ほどの差が生じているというのです(東部ペンシルバニア州で白人16%に対して黒人5%、南部フロリダ州で白人18%、黒人8%…)。

 

 その背景には、大リーグで活躍したハンク・アーロン氏がワクチン接種後に亡くなったことも影響しているのでしょうが、黒人層のワクチン不信の源は、過去の起きた「タススギー実験」に遡るとされます。「タススギー実験」とは、1932年から40年間にわたってアラバマ州のタスキギー市で実施されたものであり、公衆衛生局が、無料で治療や食事を提供すると偽って貧しい黒人の人々を募り、実際には治療をせずに病状の経過のみを観察していたという事件です。人体実験とする批判を受けた事件なのですが、同実験の記憶があるため、黒人層は、今般のワクチンに対しても警戒感が強いというのです。

 

 もっとも、今般のワクチン接種では、白人層の方が高い率で接種していますので、黒人層のみをターゲットとした’人体実験’とする恐れは低いはずです。人種ごとに別のワクチンを使用している可能性はゼロとは言えないものの、「タススギー実験」がワクチン忌避の主たる要因であるのかは疑問なところです(むしろ、白人層の方が無警戒なのでは…)。そして、同現象において、何よりも不審に感じるのは、仮に、黒人層におけるワクチン接種率が低レベルであれば、黒人層の間で感染拡大が起きているはずなのではないか、というものです。

 

 人口10万人あたりの死亡率では、黒人は他の人種より1.4倍高いそうです。この状態でワクチン接種率が低いとなれば、黒人層の感染者数や死亡者数は白人層を大きく上回るはずですので、リベラル派のメディアは黙ってはいないはずです。ところが、黒人コミュニティーにおける感染拡大を伝える報道は殆どなく、ワクチンの接種率と感染や重症化を抑える効果、あるいは、死亡者数を減らす効果との関係は、はっきりとは見えてこないのです。

 

 新たな治療薬やワクチンを開発するに際しては、プラセボによる実験が行われるとされています。患者本人には知らせずに偽薬を投与することで、心理的な効果を排除した’真の実力’を確かめるための必要なプロセスなのです。ところが、ワクチン接種の目的とされる集団免疫については、プラセボを実施することができません。現状を見る限り、どの国の政府も、ワクチン接種に向けて全力疾走しているからです。その一方で、遺伝子ワクチンには中長期的なリスクがありますし、その効果につきましてもワクチンメーカーやWHOによる公表のみでは信頼性に欠けています。今般のワクチンは、何れも治験の全段階を踏まずして緊急に承認されていますので、「タススギー実験」まではいかなくとも、’人体実験’と批判されても致し方ない側面があるのです。

 

 ワクチン、あるいは、集団免疫の効果がはっきりせず、かつ、ワクチンそのものにリスクが認められる今般のようなケースでは、敢えてワクチン接種をしない、あるいは、低接種率に留まる国や集団があってもよいのではないでしょうか。ワクチンを接種したコミュニティーとしないコミュニティーとを比較しなければ、ワクチンの’真の実力’を証明することはできないからです。プラセボのように本人達に知らせない、ということはできませんが、黒人層の大半がワクチン接種を忌避するならば、無理に接種に誘導しなくともよいのかもしれません。そして、日本国もまた、感染率、重症化率、死亡率ともに低く、ワクチン接種に懐疑的な国民が多い国ですので、ワクチンの効果を確かめる上でも、政府が積極的に接種を薦める必要はないのではないかと思うのです。凡そ100%の接種率の国から凡そ0%の国のデータが揃い、人種等のDNA情報の違い等をも考慮した分析が行われてこそ、ワクチンの効果は、正確に評価し得るからです。

 

 ワクチンのリスクも効果も曖昧なまま、一方的にワクチン接種・プロジェクトが推進されている現状は、第二次世界大戦時における狂気をも思い起こさせます。如何に詭弁を弄しても、今般のワクチンには誰もが否定し得ない’人体実験’的な要素があるのですから、ここは開き直り、’実験的に摂取しない’とする選択もあるべきではないかと思うのです。


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