万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

チベットやウイグルは’平和裏’に併合された―日本国が抗中一択な理由

2021年03月27日 12時38分11秒 | 国際政治

 ハイテク兵器により軍事力を飛躍的に増大された中国は、今や、国際社会における平和への脅威として認識されています。その一方で、14億の市場の魔力に惹きつけられてか、チャイナ・マネーに篭絡されてか、あるいは、共産主義に染まってか、自由主義国にあっても、中国に対する融和を唱える勢力は少なくありません。つい数年前には、’中国から攻められたらお酒を飲み交わして話し合えばよい’と発言し、世間を驚かせた学生団体もありましたし、中国とは戦わずして白旗を掲げるのが平和的解決とする意見も散見されます。

 

 こうした対中融和派の人々は、中国との間で戦争にさえならなければ、日本国民の命だけは救われると主張しています。戦争ともなれば、先の大戦のように日本国民の多くは命を失うが、戦争を回避して素直に降伏すれば、生きることだけはできるのだから、それで満足すべし、としているのです。たとえ日本国が中国の支配下に置かれる、あるいは、主権を失って属国となったとしても、命に優るものはない、と…。しかしながら、この見解、甘いのではないかと思うのです。

 

 今日、ウイグル人に対する中国による弾圧は、アメリカにあってジェノサイド(民族浄化)として認定される程、残虐極まりないものです。イスラム教徒の人々は棄教を迫らせ、漢人の大量移民、並びに、強制的な混血化や不妊化等によるアイデンティティー抹殺政策も報告されています。’ウイグル人’そのものがその存在を許されておらず、かの地では、特定の民族を丸ごと消去しようとする’民族浄化’が行われているのです。ウイグルのみならず、チベットにあっても、多くの人々の命が虐殺によって無残に奪い取られてきました。それでは、ウイグルやチベットは、中国と戦争をした結果として、このような悲惨な境遇に置かれることになったのでしょうか。

 

 歴史は、この問いに対して、’否’と答えています。世界史の教科書を開いても、中国とチベット、並びに、ウイグルとの間に戦争があったとする記述はありません。中国政府は、新疆ウイグル自治区を東トルキスタン政府との合意により、同地を合法的に併合したとしています。しかしながら、この併合、毛沢東の謀略によって遂行されています。大戦の混乱期にあってイリに拠点を移していた東トルキスタン政府の幹部が毛沢東の招きで北京に向かう途中で行方不明となり、イリに残っていた幹部の一人であるセイプディン・エズィズィという人物が北京にて共産党政府への服属を表明したことで、併合されてしまったのです。チベットもまた、軍事同盟条約、あるいは、保護条約に近い内容であった『十七協定』が詐術的な手法で締結されたのを口実として、中国が併合してしまった国です。両国とも、中国と武器を以って闘ったわけではなく、‘平和裏’に併合されているのです。

 

 人々の目を欺くような’合意’を演出した後、中国は、これらの諸国に人民解放軍を侵攻させ、一切の抵抗を廃してしまいます。チベットでは、土足で踏み込むような人民解放軍の進駐軍を前にして’熱烈歓迎’の横断幕が掲げられたそうです。そして、戦いなき’平和裏’における併合の結果こそ、今日のウイグルであり、チベットなのです。中国にとりましては、孫氏の兵法そのものを実践したこととなり、他国支配の成功例なのでしょう。

 

 そして、これらの成功体験に味を占めた中国は、日本国にも対しても同様の方法を試みることでしょう。近い将来、国民の合意を得ずして、もしくは、民意を無視して、日本国内の政治的混乱に乗じた政府内部のとある親中派の政治家、もしくは、国権と近い関係にあるとある勢力の’特使’が北京に赴き、習近平国家主席を前にして服属を誓うかもしれません。日本国には、自らを人民解放軍の野戦司令官と称した政治家もおりましたし、菅政権にあっても、親中派の政治家が幅を利かせています。あるいは、平和的な解決の名目で、日中間にあっても『十七条協定』が締結されるかもしれません。無法国家である中国に対しては、国際法も無力なのです。

 

 歴史に刻まれた忌まわしい事実は、日本国による対中融和政策が無駄であることを物語っています。融和政策は、中国に対して民族浄化のチャンスを与えるに過ぎず、中国は、’日本人’という存在を決して許さないからです。戦っても融和しても命を失うのであれば、前者の方が遥かに’まし’というものです(かつてモンゴル軍の侵攻を受けたフランスでは、国王が、座して死を待つよりも、戦うことを選択して国民を鼓舞したことにより形勢が逆転)。正義のために戦うのですから。このように考えますと、日本国の対中政策における選択肢は、抗中一択なのではないでしょうか。そして、今日、主権者である日本国民は、有権者でもあるのですから、政府が対中融和政策に傾かないよう、しっかりとその方向性を制御してゆかなければならないと思うのです。

 

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