万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

「ウマ娘」最大の問題点は’奴隷ゲーム’では?

2021年03月10日 11時26分02秒 | 社会

 最近、「ウマ娘プリティーダービー」というネットゲームが流行っているそうです。競走馬を少女に擬人化し、プレーヤーが調教師となって育てるという育成ゲームです。同ゲームは、かわいらしい少女たちが競馬場で一等を競って疾走しているイラストがネット上でも宣伝されていましたので、多くの方々が目にされたのではないかと思います。人気ゲームとなったようなのですが、このゲーム、海外から’日本の男性は気持ち悪い’とする批判が寄せられたのを機に、国内のフェミニストからも女性蔑視として糾弾され、炎上する事態となったそうなのです。

 

 折も折、3月8日は世界女性デーでしたので、とりわけ、女性蔑視の側面が強調されたのでしょう。確かに、プレーヤーの大半は男性と推測されますので、男性が少女たちを飼育したり、調教する姿は、女性の立場からしますと少女監禁事件などが思い起こされ、自ずと嫌悪感や恐怖感を覚えるのも頷けます。海外からの’気持ち悪い’、あるいは、’悪趣味’という批判も、’男性にペットのように飼われている女性’というイメージが同ゲームから浮かんでくるからなのでしょう。

 

 もっとも、「ウマ娘」の核心的な問題点は女性蔑視や女性差別にあるのかと申しますと、そうではないように思えます。漠然とした嫌悪感がどこから来るのか、より深く考えてみますと、それは、性差というよりも、人と人との関係性にあるのかもしれません(実際に、少女ではなく、青年がウマとして描かれているアニメもあるらしい…)。アニメという非現実的な世界とはいえ、競走馬を少女化してしまいますと、プレーヤーと少女との関係は’人と人との関係’になります。仮に、現実世界にあってプレーヤーが少女たちを所有、あるいは、思い通りに管理し、ダービーでの勝利を目指して調教・飼育するとなりますと、少女たちには、’人格’というものが認められていないこととなるからです。つまり、主人と奴隷の関係になってしまうのです。

 

 この視点から見ますと、’ウマ娘’たちは、古代ローマの奴隷剣闘士、即ち、剣奴に最も近い存在であるのもしれません。剣奴たちの多くは戦時において捕らえられた敵軍の捕虜であり、自らの意思や人格を持たない奴隷として扱われました。そして、コロッセウムに集まったローマ市民を前に、命がけの決闘を強いられていたのです。つまり、剣奴たちは、娯楽のための’消耗品’に過ぎなかったのです。古代の剣奴たちも、人々を熱狂させる闘いを演じさせるために、トレーナーによって、屈強な剣闘士に育つよう激しい訓練に毎日耐えさせられていたことでしょう。一方、「ウマ娘」たちも、ダービーという娯楽のために生かされている存在であり、レースに勝つためのトレーニングや能力アップが課されています。そして、仮に、プレーヤーの狙った通りに勝負に勝てなかった場合には、キーボードのワンタッチで無慈悲にもデリートされてしまうかもしれないのです。

 

 現実の歴史では、古代ローマの剣奴たちは脱走を図り、ローマ史上最大の奴隷反乱、即ち、スパルタクスの乱を起こします。同反乱はローマ軍によって鎮圧されますが、国家を揺るがす程の大反乱に発展したのも、自由を求める剣奴たちの魂の叫びへの共感が一般の人々にも広がったからなのでしょう。そして、人類は、やがて人と人との関係の対等性を求めてゆき、人が他者の人格や権利、そして、自由を一方的に否定し、‘物’として所有する奴隷という存在は、人道や倫理に反するとして歴史から消えてゆくこととなるのです(もっとも、現代にあっても非合法的な存在として奴隷が散見される…)。

 

 「ウマ娘」はバーチャルな世界にありますので、スパルタクスの乱とは真逆に、少女たちは、ダービーで勝利するとダンスを披露してプレーヤーにサービスするそうです。’ウマ娘たち’は、この世離れした従順さの持ち主なのです。しかしながら、「ウマ娘」の世界をそのまま現実の世界に持ち込み、主人と従順な奴隷の思考回路で少女たち、否、他者に接するとしますと、予想外の反応に戸惑うこととなりましょう(今日、現実とバーチャルな世界との境界線が曖昧になっている…)。これまで経験したこともない、’大反乱’に直面するかもしれないのですから。なお、ゲームの最後に、「ウマ娘」からの反抗や反乱、あるいは、プレーヤーからの逃亡シナリオを加えますと、僅かなりとも現実に近づくかもしれません…。

 

現代が奴隷制を克服した時代であるとしますと、「ウマ娘」というゲームは、プレーヤーにとりましてはおもしろくとも、バーチャルな世界であれ、奴隷容認思想を復活させかねないリスクがあると同時に、人と人との関係性において重大な問題を含んでいるように思えます。善き人と人との関係、そして、善き社会の基盤が人格の対等性、並びに、他者の権利や自由の尊重にあるとしますと、「ウマ娘」型の’奴隷ゲーム’は、やがて善き社会の一員となるべき青少年の心の成長においてやはり有害なのではないかと思うのです。そして、「ウマ娘」批判に反発しているプレーヤーの人々にこそ、性差を超えた同問題に気が付いていただきたいと願うのです(自らも他者から’奴隷’扱いされるかもしれない…)。


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