万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

異民族支配と人種差別問題は紙一重

2021年03月11日 12時36分10秒 | 国際政治

 先日、アメリカでは、人気司会者オプラ・ウィンフリー氏が主宰するインタビュー番組にヘンリー公爵とメーガン夫人が出演し、英王室の人種差別的態度を暴露したとして関心を集めています。特に問題となったのは、「アーチーが生まれる時、肌の色がどれだけ濃くなるかについての懸念と会話がヘンリー公爵との間であった」とする件です。同夫妻は、エリザベス女王夫妻ではないとしながらも、英王室内にあって人種差別的発言があったことを仄めかしたからです。

 

 同夫妻の発言に対して英王室は即座に反応し、’悲しみ’を表明しつつ「提起された問題、特に人種に関わるものは懸念される」とし、「記憶が異なる部分もあるかもしれないが、真剣に受け止めている」として‘反省’とも受け止められる言葉で対応しています。お茶を濁しながら、英王室は、これ以上事を荒立てないよう、軟着陸の地点を探っているように見えます。メディアが一斉に英王室を人種差別主義者とのバッシングすることを恐れているのかもしれません。

 

 しかしながら、英国王がかつては同国の統治者であり、’君臨すれども統治せず’の時代を迎えつつも、今日なおも象徴的ではあれ政治に関与し、社会的影響力を保持している点を考慮しますと、人種差別問題は、’差別反対’の一言で済まされるような単純な問題ではないように思えます。何故ならば、立憲君主制を維持し、かつ、それが世襲の身分制である限り、王家の血統の無条件、即ち、無差別な開放は’異民族支配’を意味しかねないからです。メーガン夫人は、母親はアフリカ系アメリカ人であり、父親はオランダ・アイルランド系とされていますので、一般のイギリス人とは血統的な共通性が殆どありません(否、父系がアイルランド系であれば、歴史的には積年の対立関係も…)。すなわち、王族と国民との間にアイデンティティーが共有されていない場合には、一般の国民は、外国の軍隊に征服されたわけでもないのに’異民族’に支配されているような感覚に捉われないとも限らないのです。

 

 人種、民族、宗教といったあらゆる属性を要件から取り除いた’無差別の婚姻’を全面的に認めれば、近い将来、バッキンガム宮殿のバルコニーにあって、アジア・アフリカ系の国王が国民に向かって手を振ることもあり得ます。この時、どれ程の国民が宮殿前の広場に参集し、国王の’お出ましを’歓声を以って迎えるのでしょうか(演出はあるかもしれませんが…)。階級社会とも称されるイギリスでは、公式の称号が取沙汰されるように、王族や貴族と国民との間には、身分的なヒエラルヒーとして公的な上下関係が設定されています。つまり、’異民族’を上位者として認めなければならないのですから、この状況にあって一般の国民の中には不快感を露わにする人、忠誠を拒絶する人、屈辱を感じる人、うんざりして無視する人などが現れても不思議ではありません。同夫妻の発言に関する世論調査にあって、メーガン夫人に対してアメリカでは同情的である一方で、イギリスでは批判的とする結果があるのも、両国間の国民が置かれている立場の違いに起因するのでしょう。

 

 なお、ヘンリー公爵夫妻の一件がどこか掴みどころがないのは、メーガン夫人が、人種差別には強固に反対しても、身分差別についてはこれを認めるに留まらず、王族や貴族としての特権を要求しているからなように思えます(王制や貴族制に反対とは絶対に言わない…)。つまり、自らを特権階級の一員と位置付けつつ、同階級の内部において人種差別の被害を受けた(特権階級として扱われなかった…)として同情を求めたとしても、一般の人々にとりましては、その差別に対するダブル・スタンダードに違和感があって共感できないのでしょう。そして、同要求を認めることが‘異民族支配’への道を開くとなりますと(もっとも、既に英王室の血脈はユダヤ系とも…)、人種差別問題は、俄かに政治問題として浮上してくるのです。

 

今のところ、英王室は、’これは君主制度や王室とは全く関係のない家族内の問題‘としているそうですが、一般の英国民にとりましては、英王室の内輪だけの問題では済まされないはずです。否、国民の多くは、同問題を君主制や王室と切り離して扱おうとする王室に対して不信感を抱くかもしれません。何故ならば、この問題の本質を突き詰めてゆけば、否が応でも世襲君主制の問題に行き着いてしまうからです。異民族支配と人種差別問題は紙一重なのです。

 

実際に、イギリスのみならず、同国国王を元首とする英連邦諸国の若年層にあって君主制廃止論の再燃が懸念されるとする指摘も見受けられます(アフリカ系のメーガン夫人との婚姻は英連邦諸国を意識してのことであったかもしれませんが、その一方で、心理的には英王室の権威や威光、即ち 求心力が失われる要因にも…)。民主主義国家にあっては、国民こそ国家体制の決定者ですので、両者は一つの繋がった問題として論じられるべきこととなりましょう。しかも、世襲君主制の永続性については、婚姻の問題の他にも様々な側面から疑問や問題点が呈されてきております。王族も皇族も曲がり角にある今日、日本国も含めこれらを有する国は、善き国家の在り方について国民が共に議論すべき時が訪れているように思えるのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする