万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ワクチン接種と「ワクチン・パスポート」との矛盾

2021年03月06日 11時52分21秒 | 国際政治

 ワクチン接種と時を同じくして、ワクチン・パスポート導入への動きが活発化してきています。ワクチン接種率が世界一となるイスラエルでは、既に同制度が開始されており、’ニューノーマルのモデル’とも目されています。また、中国でも、ワクチン・パスポートの発行が、全人代で提案されたとも報じられています。しかしながら、この制度、非現実的なばかりではなく、ロジカルに考えてみますと、ワクチン接種そのものと矛盾しているのではないかと思うのです。

 

 新型コロナウイルスの免疫逃避能力を有する変異株の出現は、ワクチンによって産生された抗体が短期的な効果しか期待できない点と並んで、ワクチン・パスポートが非現実的な試みであることを予感させています。ワクチン接種証明書を得たとしても、その有効期限は凡そ半年から1年となりましょうし、変異株が出現する度に、’免許更新’をする必要にも迫られます。混合ワクチンのアイディアもありましょうが、一般的なワクチンとは違い、RNAウイルスである新型コロナウイルスに関しては、変異体は突然、かつ、新規に出現してきますので、’いたちごっこ’とならざるを得ないのです。また、抗体の産生能力や保持期間には個人差がありますので(肥満型の人ほど抗体産生能力が低いらしい…)、ワクチン接種証明書は、同証明書の保持者が100%感染力を有さないことを示す免疫証明ともなりません。ワクチン・パスポートの試みは、医科学的な見地からその依拠する基盤が崩されかねないのです。

 

 そして、非現実性に加えて問うべきは、その論理性です。そもそも、集団ワクチン接種の目的は、集団免疫の実現にあります。人口の6割程度の人々が抗体を有する状態に至りますと、猛威を振るっていた感染症も自然に終息に向かうとされています。このことは、集団免疫が実現すれば、然したる感染対策を必要としない状態に戻れることを意味します。ワクチン接種派の人々は、集団免疫状態に達したいからこそ、ワクチン接種に慎重な人々に対して、同調圧力をかけてまで懸命に接種を迫ろうとしているのでしょう。政府の立場も、同様のものと推察されます。

 

 しかしながら、仮に、集団ワクチン接種⇒集団免疫⇒経済・社会の正常化の流れを想定するならば、何故、敢えてワクチン・パスポート制度を導入しなければならないのか、という疑問が生じます。集団免疫の確立によって通常の生活に戻れるとすれば、論理的には’ニューノーマル’な制度の導入など要らないはずなのです。それでは、一体、何を目的として政治サイドでは、ワクチン・パスポート導入を目指しているのでしょうか。

 

イスラエルでは、ワクチン・パスポートは、「グリーン・パスポート」と命名され、デジタル技術による管理システムとして開始されています。もっとも、現状では利用範囲は限られており、スポーツジム、プール、イベント会場などの入場に際して提示が義務付けられていそうです。このため、イスラエルのケースは、接種者に優遇措置を設けることで非接種者を接種へと誘引する政策ではないかとされています。つまり、集団免疫を達成するためのステップであり、仮に、接種率が目標の人口の6割を越えれば根拠を失い、廃止される制度ということになりましょう。また、仮に、ワクチン接種率を高めたいのであれば、安全性の医科学的な証明以外にあり得ないのですから、無駄な努力となりましょう(中長期的な安全性については誰も証明できない…)。

 

その一方で、各国政府のみならず、ダボス会議などでも検討されている「ワクチン・パスポート」は、国境を越えた人の移動の再開を想定した文字通りの‘パスポート制度’であり、出入国に際してのチェック機能が想定されています。このケースでも、集団免疫が成立している国における必要性は見当たりません。何故ならば、国民の殆どが抗体を有していますので、たとえウイルス保有者が入国したとしても、集団免疫が働いて、国内で感染がクラスター状に広がる可能性は極めて低いからです。また、自国民が出国する場合でも、相手国にあって集団免疫が成立していれば、「ワクチン・パスポート」を所持していない非接種者であっても出国を拒む理由とはなりません。相手国にあっても抗体保持者が多数に上りますので、自国民が感染を広げるリスクは小さいからです。また、水際対策であれば、変異株の出現、抗体持続期間、並びに体質的個人差の問題を考慮すれば、ワクチン・パスポートよりも、PCR検査や抗体検査等の従来方式の方がはるかに精度もウイルス流入阻止能力も高いとも言えましょう。あるいは、全国民を接種者の対象とせず、国境を越えて移動する人のみを接種対象とする、あるいは、PCR検査とワクチンとの選択制にするという方法もありましょう。

 

以上に述べたことから、「ワクチン・パスポート」は、必要性があったとしてもそれは過渡的で代替可能な制度に過ぎず、その永続的な導入には必然性がないように思えます。そして、この論理矛盾からしますと、政府、あるいは、超国家権力体には、別の目的があるとする推測も無碍には否定できなくなりましょう。つまり、新型コロナウイルス禍を機にITによる国民、否、全人類の全面的管理体制を構築しようとする思惑が潜んでいるようにも思えてくるのです。集団免疫を目的として掲げたワクチン接種とは、デジタル管理を人々に受け入れされるための‘口実’なのかもしれません。今日、ウイルス、並びに、ワクチンそのものの危険性、そして経済活動への制約に加えて、政治・社会面においても、人類は重大、かつ、深刻なリスクに直面しているように思えるのです。

コメント (2)
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