グローバリズムでは、企業規模であれ、市場規模であれ、規模に優る側が圧倒的に有利となります。スケールメリットが強く働く限り、中小規模の企業は淘汰されるか、規模の大きな側に買収されて消え去る運命が待ち構えているのです。グローバリズムにおける主要な勝因は‘規模’ということになるのですが、この側面からしますと、ロジカルに考えれば日本と中国との間の互恵関係はあり得ないという結論に達せざるを得ないのです。
日本国と中国とを比較しますと、市場規模において凡そ10倍程の差があります。人口14億人を擁する中国にあっては、生産量、消費量、労働人口、貿易額など、あらゆる数値において日本国を上回ります。グローバル時代ともなれば、モノ、サービス、労働力、資本などが国境を越えて自由に移動できますので、自国の国内市場を基盤として政府主導でグローバル企業を育てた中国は、市場規模をさらに広げることができるのです。
また、広大な領土を有する中国は、レアアースなどの鉱物資源にも恵まれていますし、面積の広さは、インフラ事業等においてもスケールメリットを追求することができることを意味します。例えば、高速鉄道の事業にしても、中国企業は、自国内における高速鉄道網建設プロジェクトに際して構築した大量生産体制を以って、海外諸国に対しても安価に輸出することができます。工業生産品のみならず、中国は、インフラ事業においても強がみを持つのです。
以上に簡単に述べたように、グローバル時代にあって、中国は、その自然条件からして圧倒的に有利な立場にあります。市場規模において中国に匹敵するのは、人口が同国と同程度の14億人に迫るインドぐらいしかないかもしれません。言い換えますと、グローバル時代にあって、日本国は、中国に対して勝ち目はなく、‘互恵関係’が成立するとすれば、それは、決して両国対等なものではなく、中国中心の‘グローバル経済圏’において日本国に対して一定の下請け的な分業が割り当てられた状況を意味するのでしょう(たとえ、画期的な技術を日本国のスタートアップなどが開発しても、資金力に優る中国企業に買収されてしまう…)。おそらく、中国側の構想としては、国際分業における日本国の役割とは、中国人向け観光地、高級農産物の生産地、並びに、ハイテク製品の素材提供地(もっとも、中国が内製化できるまでの間…)なのかもしれません。実際に、日本国政府も、この方向に向けて動いているように見えます(インバウンド歓迎、農産物の輸出拡大政策、並びに、プランテーション化を想定した?移民労働者の受け入れ拡大…)。
規模を軸にグローバリズムの行く先を予測しますと、日本国の将来は暗いとしか言いようがないのですが、こうした悲観的な予測に対しては、中国が自国市場を完全に開放し、中国企業と他国の企業との間に競争条件を等しくすれば問題はない、とする反論も返ってくるかもしれません。しかしながら、中国は、今日、最先端のITを用いて徹底した国民監視体制を敷いていますので、一党独裁体制の崩壊はますます見込みが薄くなっています。また、イデオロギーにあって政経が一致していますので、中国共産党が、経済に関する権限、否、利権を放棄するはずもありません。しかも、中国の技術力に裏打ちされた経済力は軍事力と直結しているのですから、日本国は、軍事的な脅威にも直面することとなりましょう。つまり、グローバリズムを推進すればするほど、権力と富は共産党、並びに、中国に出資している国際金融組織に集中し、‘暴力とテクノロジーとマネー’によって同体制が強化されてしまうのです。
言い換えますと、‘日本国は経済分野にあっては中国との結びつきを強化すべき’と唱えている親中派の人々は、‘中国は変わらない’が現実であれば、日本国に対して、自滅に向けてアクセルを踏むように勧めているようなものです(もっとも、中国から特別に‘分け前’をもらっている少数の人々や企業にとりましては、‘私的な互恵’が成りたつ…)。日本国の未来は中国と結託したグローバリズムの先にはなく、むしろ、中国とのデカップリングを含む保護主義的な方向への転換こそ模索すべきではないかと思うのです。