ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

意外な効能

2017年10月08日 23時12分26秒 | Weblog
突然の昔話であるが、買い与えられた最古のプラモデルの記憶はガンプラの
『ジオング』で、それから小学五年生くらいにファミコンへ興味が移るまでに
ガンプラ(SDガンダム除く)→キン肉マンのプラモデル→車、バイク、
戦艦などのスケールモデル(なぜか飛行機には全く手を出さず)と遍歴した。

高校過ぎた辺りからプラモ熱が再燃し、大学の頃は昼間プラモ、夜ゲーム
(シンナー臭を両親が嫌がったので夜には作れない)という、今から考えると
かなりアレな生活を送っていた。

ともあれ、今もプラモ熱が再燃したかのような状態であるのだが、やはり塗装やら
接着後の合わせ目消し、細部改造などは億劫で、1キットを完成させるまでに
数週間かけるようなことはまだ出来ていない。
せいぜい墨入れと部分塗装どまりで、プラモ用塗料も使わずに手元にあるアクリル
絵具や油性ペンで色を塗り、トップコートも吹かない体たらくである。
一応プラモ用の塗料を探したが、大阪に越してくる前からのもので、つまり10年
以上経ったものばかりのためにあらかた死滅していたという事情もあるにはある。

思えば、この程度の工作は上記のスケールモデルに手を出し始めたころのレベルと
大体同じで、器用さと素材が当時より幾分勝っている程度である。
かようにやっていること自体は小学生レベルであるにもかかわらず、出来上がった
ものが段違いである所に、プラモデルの技術的進歩を垣間見た思いになる。

ちなみに最近作ったキットは『メカトロウィーゴ』という架空のロボット的な
もので、出来上がりも手のひらサイズの小さなものであるが、かかる手間とか、
ある程度の完成度に至るために要する作業が色々と程よい具合で、プラモ作りの
感覚を取り戻すのに非常にちょうど良いものだと感じた。
以前も書いたように、プラモ作成時には小さなパーツを指で把持し、デザイン
ナイフでアレコレ(米粒を持ってその上端を切り飛ばすような作業だと思えば
目安になるでしょう)する関係で普段使わない筋肉を使う。
モノがアナログなために失敗できない上に、きわどい刃物の使い方をするために
いきおい非常に神経と集中力を要する。

気が付けば6~7時間は経っていたというような状態ではあったが、その後にどっと
疲れが押し寄せてきたことから、普段PCなどで行っているデジタルでの作業が
いかに適当かつ脱力状態で行えていたのかを実感する。
色々な方面でリハビリにはちょうど良さそうである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の祭

2017年10月05日 23時43分01秒 | Weblog
先日の帰宅時に月に向かってスマホをかざしている人がおり、何かと思ったら
中秋の名月だったらしい。ただその日は連日の目の酷使からくる目の疲れの
ために、その月が満月に見えない程だったので特に気にも留めていなかったが、
ひとまず今週末くらいにはスーパーで団子の安売りがされたりするだろうから、
酒のつまみ代わりに求めるのも良かろうと、捕らぬ狸の何とやらを決め込む。

世間では中秋の名月を盛りとする、月見はいつの間にか扱いが小さくなっている
ように思え、代わりにハロウィンが秋の祭の主役的地位に落ち着いてきている
感がある。日本人は本能レベルで祭好きであるが、その祭が元来何を祝ったり
祀ったり慰撫するものであるのかについては気にしない傾向が強い。
要は楽しげで晴れやかでにぎやかであれば概ねあとは問題ないのである。
なので、粛々とした感のある月見よりも、何やら分からんがとにかくワイワイ
やっているハロウィンの方に人気が集まるのもむべなりと言えよう。

個人的には確かに祭の雰囲気は好きであるが、年に何回も進んで行こうという
気にはならず、そもそも知らない人が大勢いる環境が苦手なので、いつの月で
あっても何やら風流と来ればそれでよく、一人であっても酒があればそれで
十分にお祭り気分である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分からないことは弱くない

2017年10月03日 23時42分23秒 | Weblog
作業中に適当な洋楽(歌詞が分からないのが適度に集中できて良い)を垂れ流しで
聞いている中、気に入った曲を後から調べて、歌詞の和訳を知ってさらにその曲が
好きになるといういつものパターン。
大体好みの曲調はこんな感じ、というものがあると自覚はしているが、歌詞まで
傾向があるのは何とも不思議な話である。無論英語は分からず、辛うじて雰囲気で
読める程度。ヒアリングは特に苦手なので、上記の曲について、初めは英語だと
分からなかったほど。

さておき、件の曲はMatchbox Twentyの『How Far We've Come』。
歌詞の大意としては"世界は毎日終わっていって、本当に全部終わるんじゃないかと
思う時もあるけれど、そんな毎日をずっと重ねて今(と明日)があるんだぜ"という
ような内容、というように個人的には捉えた。
やけに漠然とした言い回しなのは、英語が分からないからというのもあるが、
訳者によって訳が結構違っており、それこそ意味合いまでもが変わるようなものまで
あったことが大きい。
そこの辺りを個人的に咀嚼してまとめたのが上の内容で、それで何やら雰囲気ばかりが
先行したものになっているという寸法である。

あまり洋楽には詳しくないので、何とも言えない部分もあるが、洋楽の歌詞は
多義的というか、あえて抽象的であったり、主語をぼかしたりして、同じ句であっても
文脈で意味が逆転したりするような、そんなものが多い印象がある。
日常の言葉感覚レベルで英語を扱える人が分かるレベルの言い回しなのか、それとも
素人でも感覚で受け止めて問題ないレベルの受け皿の広いものなのか、どちらかなのか
分からないが、個人的には後者なのかと思っている。

なればこそ、広い範囲で多くの人に共感をもたらすのではなかろうか。
"何か良く分からんけど言いたいことは分かる"くらいのメッセージ精度のほうが、
もしかしたら心に訴えかける強度は高いのかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かくて人は老いてゆく

2017年10月01日 23時23分06秒 | Weblog
近所のコンビニに行く途中の学校で運動会をやっていたので、遠巻きに
少し眺めてみるが、明らかに児童数が少ない。その学校はもとよりそれほど
大きくなく、近いうちに閉校するらしいのでそのせいもあるが、こうして
目の当たりにすると少子化という現実がもの凄い説得力をもって迫ってくる
心地がした。
前住んでいた所の近くの小学校も、結構前に閉校していたし、散歩ルートの
本屋の途中にある中学校もグラウンドが見事に野原になっていると思ったら
かなり最近閉校していた。それ以外にも色々と店やら公共の施設やらが軒並み
駐車場や廃屋と化しているから、今住んでいる市は何か坂道を転げ落ちるが如き
状態なのかも知れない。

話は変わり、久し振りに手を動かしたくなりプラモデルを作る。
いきなり積んであるものに手を出すには腕が鈍り過ぎているので、特に塗装
しなくてもある程度の仕上がりが保証される、今時のプラモを組む。
適当にさっと組んで終わりにしようと思っていたが、細部のエッジにもう少し
手を入れようとしたら、いつの間にか日が暮れていた。
学生の時分は毎日のようにプラモを作っていたが、思えばプラモデルは時間は
あるがあまりお金のない人のための趣味であって、お金はあるが暇はないという
人にはあまり向かない趣味だということを今更思い知らされる。
あと、夕方くらいになると窓明かりだけでは手に持ったパーツの細部がよく
見えなくなるということにも気が付き、悲しい気持ちになる。
他にも、これまた久し振りに接着剤を使用したが、昔は平気だったあのにおいが
少々きつく感じ、やはり悲しくなる。

老後の楽しみとして積まれたプラモ達に手を付けるころには、ルーペや老眼鏡、
マスクや換気できる作業ブースが必須になるのかも知れない。
先のことなど分からないし、あまり細かく気にしても仕方がないが、健康診断
や上記のような現実を突き付けられるたびに気にせずにはいられなくなる。
若いつもりでいるだけではダメで、積極的に若くあろうとせねばダメなのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする