ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

顔面感情伝導率

2017年06月06日 23時02分56秒 | Weblog
『野望の王国』の悪役、柿崎憲の台詞が若本規夫氏の声で脳内再生される。
氏は随分前からネタキャラ的な芸風が板についてしまった感があるが、本来
渋めで一癖ある大人の男を好演する人だったように思える。
まあ、柿崎は一癖どころか狂い切った悪魔であるのだが。

話は変わり、個人的に思い出し笑いをこらえるのが苦手で、何か良い手は
無いものかと思う。今のご時世、天下の往来で熱唱しながら自転車を走らせる
人や、半ば怒号交じりに歩きながら通話する人も居るくらいなので、
一人や二人くらい顔面の箍が緩んで福笑い失敗みたいになった顔をした人が
居ても良かろうものであるが、どういうわけかその笑いが自分に向いていると
勘違いして気を悪くする人が相当数いるために、思い出し笑い勢は肩身が
狭い思いをしているようでならない。

ともかく、思い出し笑いをこらえるために、心に仏を召喚して平静を
もたらそうと努めてみたり、顔面を手で押さえて物理的処理を試みたりも
しているが、その行為自体が既に異常の域に踏み込んでおり、言い訳が
必要になるレベルという、何かが間違った状態で、どうにか面の皮を厚く
出来ないものかと考える。面の"皮"とわざわざ形容するくらいだから、
筋肉のように動かして鍛えるものではなく、とにかく痛めつけないと強く
ならない類のものかも知れない。

面の皮が薄いということは、いきおい不満や邪心めいたものもダダ漏れして
いると思われる。他人を不快にさせるよりはマシかも知れないが、無用な
心配をかけさせるのも難なので、もう少し何とかしたい。
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無いなら作るの精神

2017年06月04日 23時38分47秒 | Weblog
今住んでいる部屋には結構なすき間がある。
机なり、カラーボックスなり本棚なりを一通り部屋に設置して、その上で
生じる"あまり"のような空間である。

そもそもモノを置くには、既に今ある収納で十分に足りているどころか
持て余し気味ですらあり、向こう何年か住んでいくうちに嫌でもその辺は
充実していくと思われたので、今まで特に気にしていなかったが、
季節の変わり目で片づけるものが生じたこともあり、今更のように気になり
始めた次第である。

いつものようにウェブで望むサイズのものを探してみるが、当然のように
なかなか見つからない。この部屋が規格外なのか、皆そこまで詰め詰めで
家具を置かないからなのか、絶妙に大きめのものばかりがヒットする。
果ては散歩がてらに寄ったホームセンターで板やら何やらを買って自分で
作ってしまおうとも思ったが、存外高くつく(材質的に考慮すればかなり
お得にはなる)のと、この手の工作には相当なブランクがあり、最適な釘の
サイズすら分からない等の不安要素が大き過ぎたために、結局断念する。

やるにしてももう少し単純な小物、例えば画集サイズの本がちょうど入る
位の木箱を作るとかから始めた方が良かろう。
思えば実家で、小学生くらいの時までは父親が本棚やら木箱を日曜大工的に
作っていた。しばらくしたら家の中が飽和状態になったこともあり、作らなく
なったが、ともあれ少し懐かしい気持ちになる。
そう言えば、学生の時も100号のパネルを(買うと高いので)自作していた。
何だか遠い昔のことのように感じる。
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やりかたは色々

2017年06月01日 23時16分10秒 | Weblog
もう六月。そんな折にちょうど外は急な雷雨。いかにも夏が近づいている
感じである。

さておき、この前書いていた絵を描く速度を向上させる計画であるが、
大体半分くらいまでは減らせた。もちろん細かい所は諦め、早さ重視で
あれもこれもと欲張らないという方針であるが、これと割り切りを心掛ける
だけでも随分早くなるように感じる。

あとは使う色やレイヤーの構成などをあらかじめ決めておいたり、資料は
なるべく使わない(使い出すと割り切りづらくなる)という、至極基本的な
策を講じるだけで結構短縮できた。あとは更に効率化を追求していけば
もっと減らせるはずである。

今回色々やっていて、予備校時代をふと思い出した。
美大の受験は時間との戦いなので、いきおい予備校で教えることも時間の
有効活用法が結構な割合を占める。それなりにどんなテーマが来ても
柔軟に組み込めるようにしつつ、絵の構成やスタイルを決めておいて、
使う色や手順を固めて、それを洗練させ、得意な分野があればそれを伸ばし、
出来れば絵の中心にそれを持ってこれるように画策する…
というのが大まかに美術系予備校でやってきたことであるが、画材やテーマは
変われど今回と目的が通ずることもあり、同じと感じたのだろう。

あとは予備校でも度々注意されることでもあったが、こうして生まれた『型』
にとらわれ過ぎないように、元々の目的といつでも壊す覚悟をしておくことを
忘れないようにしたい。

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