ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

意思伝達手段

2018年09月24日 22時24分52秒 | Weblog
ウェブ通販の品物を受け取りにコンビニに行ったら、結構な老人が
レジあたりで怒声をあげていた。ただ、店員が何かやらかしたという
感じではなく、手続き的な所に不満があるような雰囲気で、電話を
しながらその向こうにいる相手に怒りを発している様子であった。

とは言え、かなりの勢いの怒声で、さらには台を叩いたりしながらで
あったので、まともに買い物をするような気持ちになれず、早々に
立ち去ることにした。 店員の"もう迷惑だからよそでやってくれ"と
言わんばかりのうんざりした表情が印象的であった。

度々思うことであるが、あの手の、怒りを必要以上に露にする手合いは
一体どういう考えでそれを行っているのか。
怒声をあげたり暴れたりして、ごねた所でそれが事態を好転させる
ことにはならないということは、子供の頃に散々教え込まれることで、
それどころかむしろ事態を悪化させるということを学習するのが
多くの人の通る道だと考えていたが、その環境に恵まれなかったという
ことなのだろうか。

怒りを発してもそれを諭す人もなく、ある程度の年齢になってからは
『何か言ったところで無駄だから適当に躱しておけ』と対応され、結果
無駄だという自覚のないまま、さりとて効果的に事を解決に導く方法も
分からないまま、結構な歳になってしまったということなのだろうか。

憤りを覚えるような場面は、生活していればいくらでもあるものであるが、
最近は伝えるべき所に、しっかりと正しく伝えればそれなりに対応して
くれることが増えた。なので尚更、必要以上に無関係な所に当たり散らす
事が無駄に感じられてならない。

そもそも、怒声を上げたり台をバンバン叩くのは場の空気が非常に
悪くなるので、不特定多数の人が集まるような場所では止めて欲しい。
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