ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

いつもの手は通じない

2024年07月14日 23時43分23秒 | Weblog
最近プレイしたRPGにおいて、世界観や物語の土台部分の設定は非常に
良く出来ているにもかかわらず、ストーリーがトンチキという事態が割と多い。

ストーリーの流れで戦うことになって、仮に圧勝してもその後の話で結局負けて、
散々な目にあっているのを見るにつけ、そのバトルに意味はあるのか疑問を抱かずには
いられない。ついでにステータスやスキル構成上かなり優秀で、本気で殺しにかかれば
余裕でプレイヤーを血祭りにあげられるはずなのに、ひどい舐めプとしか思えないのも
難点の一つ。
結局ストーリーという、人物が決められた手筈で過たず動かないことには動かない代物を、
プレイヤーという不確定かつ自分勝手な存在に委ねざるを得ない構造にしてしまっている
ことに大きな問題があるように思える。
昔は表現方法が非常に限定されていたし、何だかんだ勢いで押し切れたところもあったように
思えるが、戦闘からシームレスで3Dのキャラがあれやこれや動く昨今においては無理が勝る。

特に見せ場ありきで話を進めるような、日曜朝の特撮物のような方式とは特に相性が悪いと
感じる。例えば実写でも映画と舞台演劇とでは、全く原作が同じであったとしても、表現の作法が
大きく異なる。それは表現側の制約的なものが関係しているだろうが、結果として最適、
もしくは効果的な手法も必然的に異なってくる。ゲームと映画や漫画であればさらにそれぞれに
受け取る手段も異なってくるから、同じ体験や感情を起こさせるにも作法や手法も大きく
変わってくるはずである。
ごく古来から存在する演劇や舞台をルーツに持つ映画などは、非常に長い時間をかけて演出や
表現方法における手法が模索され練られ続け今に至る訳で、比較的歴史の浅い漫画も
そこを土台にして非常に短時間の間に爆発的にその表現力を高めてきた。

ゲームもまた映画や漫画に倣って古来からの流れを汲んで研鑽を続けているが、問題なのは
それ自体の表現力そのものが日進月歩であるという事。ある時までは白黒で二次元だったものが、
やがて色がつき、音が付き、3次元的となり、双方向性も持ち、という有り様そのものが変化する
という存在はこれまでに無かったのではないか。
結局何が正解なのか、正直分からないが確実に言えるのは変化を続けるものを相手に、毎度同じ
やり方で事に当たるのは愚であるという事。うまく行かないのがある程度予測されるのであれば
思い切って捨ててしまうのも一つの手であるという事。そう、結局ゲームは面白さが第一である。
コメント
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