ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

定番は洗練されているか

2015年01月13日 23時25分12秒 | Weblog
よく祝典などで、立食というスタイルがある。特定の座席を設けず、
大きめのテーブルに食べ物と飲み物が置いてあり、めいめい好きなものを
とって歓談するという形式である。
しかしこの形式、大体テーブルには皿と箸などが置いてある事が多く、
そうなると飲み物が持てず、どうして良いのか分からなくなるという、
重大な欠陥があるように思われる。一旦置いた食べ物や飲み物を覚えて
おきながらでは、気もそぞろで歓談もままならない。
なぜかような形態が、特に改良の検討もされずに放置されているのだろうか。

と言う事で、こうすれば良いのではなかろうかという案を書き出してみる。

・手に余ったものをその場に捨てていけるようにする。
要所要所にバケツを設け、手に余ったものはそこに捨て、常に飲むか
食べるかの二択しかない状態にする。飲み物はコップ一杯など、ちびちび
飲まないようにしたり、皿や箸などの食器を大量に用意する必要がある。
一口に言って大変に罰当たりでバブリーなスタイルになる。

・皿や箸などの食器を用意しない。
そもそも両手がふさがる根源である皿と箸を一切用意しない。出す料理も
ベーグルサンドやサンドイッチ、おにぎり、クレープのように片手で
持てて、手が汚れにくいものに限定する。

・飲みかけの飲み物を安定して置いておける仕組みを用意する。
立食において大抵困るのが飲みかけの飲み物のやり場である。安定を失い
やすく、簡単にこぼれるため、そうならないために例えば脚に飲料を
突っ込んでおけるホルスターのようなものを着用するとか、支給される
皿にコップや缶が丁度はまる穴を開けておく等の仕掛けを作っておく。
この場合、飲料用のコップや缶のサイズは全て統一しておく必要がある。

個人的には立ちながら、食べながら、飲みながら話すなどという、
マルチタスクめいた器用な真似は出来ず、仮に上等な料理が出てきたと
しても(落ち着かない環境のため)その味は半減し、大変残念な気持ち
になる事ばかりに思う。
立食というと何か貴族然とした、そこはかとなくセレブの香り漂う印象
があるが、出てくる料理や飲み物にいちいち気をとられて結局何にも
できずに損したような気持ちになる、我々庶民にとってはもう少し最適化
する必要があるように思われる。
コメント
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