自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

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ボケてもがんでも 死ぬまで我が家   3   がんの自宅療養

2022-04-27 05:41:40 | 介護


p.70 がんと聞けばだれもが自宅でもベッドで横になっている姿を
   想像する・・・・・(中略)
   確かに常識では、「病気=安静」が当たり前になっていますが、
   そこが病院と在宅の大きな違いでしょう。

   確かに夫はがんという深刻な病をかかえているものの、
   夜は充分に寝ているし、安静にしなければならないほど
   衰弱しているわけでもなく、横になりたくなるほど体調が
   体調が悪いわけではない。

著者の夫君は引退されたお医者さんで、蓄積された豊富な経験があり、
医療を知り尽くしていた方です。自らが認知症となり、がん患者となっても
医療とのかかわりは、自ら納得し、選択して決められた方針にゆらぎは
なかったそうです。

p.73 食道患部がふさがって思うように栄養をとれない情況になって
   いるにもかかわらず、水分の点滴だけは受け入れていますが、
   高カロリー輸液を入れることは(直接、胃に栄養を入れる胃ろうは
   いうに及ばず、太い血管から入れる中心静脈点滴でさえも)承知
   しません。高齢者の行き過ぎた延命治療を否定してきた夫らしく、
   自らも延命処置につながる医療は受けないと決めているのです。

誰でも、満腹で何も食べたくないときに、無理やり栄養成分を
押し込まれたり、水分をとらされたりするのは嫌な筈です。
でも、栄養不足で干からびていく病人を見ることは辛いので、
「せめて点滴だけでも・・・・・」となってしまうらしいのです。
この辺のことは、しっかりと、書面にしたためておく必要がありそうです。

しかし、医療技術は日進月歩ですから、「良かれ」という情報の
取捨選択、または拒否する信念はとても大切なことのようです。

p.99 私たちは症状が改善されるなら治療は受けたい。
   しかし、最後は病気との闘いに敗れて亡くなるのではなく、
   できるだけ穏やかで自然な最期を迎えたいものである。

   そのためにもふだんから「病」とその先にある「死」への
   心構えは重要である。「死」を見据えたうえで、どこまで
   医療と関わるのか。大事なのは医療の限界を知ること。
   
   医療は「死」に対して無力であることを肝に銘じ、それを
   忘れたときに医療は有害にもなりうると理解するべきなのだろう。
コメント
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