こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第19主日(ルカ12:32-48)「通り過ぎる」はずが「そばに来て」世話してくださった

2022-08-06 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/8/7(No.1192)
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年間第19主日(ルカ12:32-48)
「通り過ぎる」はずが「そばに来て」世話してくださった
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8月6日、広島原爆の日。8月9日、長崎原爆の日。多くの犠牲者、今も苦しみ悲しみを背負って生きておられる方のことを心に留めて、説教に務めたいと思います。私たちは平和な世界を決して諦めません。一人一人が平和のためにできることを、今週の福音の中で持ち帰りたいと思います。

生まれて初めて、ギックリ腰かな、という痛みに襲われました。座椅子に座っていて左を向いたときに、経験したことのない痛みが腰に走ったのです。痛みは通り過ぎず、今もずっとそばにとどまっています。周りの皆さんに迷惑がかからないか心配しております。

福音朗読では、「目を覚ましている僕」という箇所が選ばれました。用意を怠らず、婚宴に招待されている主人が帰ってきて戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさいと勧めます。

この物語では、主人と僕の行動に注目する必要があります。時代背景を考えれば、主人にとって、僕は身分の低い存在です。婚宴の席から主人が帰ってきて、家の戸をたたいた時に僕に開けてもらったとしても、それをいちいち感謝したりねぎらったりする必要はありませんでした。

ここで主人が仮に、ねぎらいの言葉もなく僕のそばを通り過ぎたとしても、主人に特別難される点はありません。また僕が、主人に不平を漏らすべきでもありません。黙って通り過ぎるのがむしろ普通のことだったかもしれません。しかしイエスは、この主人が僕の心がけを高く評価して、予想もできない形でねぎらってくれるだろうと言うのです。「はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。」(12・37)

当時の時代背景だけでなく、現在に至るまで、「主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましている」(12・38)そうであっても主人が僕に給仕してくれるということは考えられません。ねぎらいの言葉はあったとしても、ここまでのねぎらいは普通では考えられないことです。ではなぜ、イエスはこのような姿をたとえの中で語られたのでしょうか。この地上で考えられないとすれば、このようなたとえに意味があるのでしょうか。

この地上では、主人の帰りを常に目を覚まして待つ僕に特別な待遇が与えられなくても、天の国では同じとは限りません。そうだとすれば、このたとえは天の国での報いを教えているのではないでしょうか。通常であれば、通り過ぎるだけで終わる場面に、そばに来て給仕してくださる。この特別な出来事が天の国の姿なのです。

この姿を、地上で垣間見せてくれた場面があります。皆さん見当がつくでしょうか。最後の晩餐で、イエスが食事の途中で弟子たちの足を洗う場面です。地上では起こりえないこと、「先生」とか「師」とか呼ぶその方に、通常では考えられないもてなしをしてもらうこと。これはイエスを通してすでにこの世で始まっているのです。

私は今週の福音朗読と、広島長崎の原爆投下の出来事を少し重ねてみました。原子爆弾を投下した兵士たちの行動は、上空を通って爆弾を投下した、その一瞬の出来事です。投下された原子爆弾がさく裂したのも一瞬の出来事です。惨劇に巻き込まれた多くの人は、自分のことで精いっぱいで、誰が誰を見たとしても通り過ぎてしまったことでしょう。

しかしその中に、通り過ぎるだけで終わらず、そばに来て世話してくださる人々が少なからずいたのです。通り過ぎることなく、そばに来て給仕してくださった。そばに来て何かしら世話してくださった。自分以外誰も助けられなかった残酷なこの世の現実の中で、通り過ぎずに近寄って世話をする。そこに、神の国の出来事がすでに始まっていたわけです。

原子爆弾が投下された惨状の中、長崎では、永井隆さんや秋月辰一郎さんなどの医師が被爆者の治療に奔走したことが知られています。彼らに代表されるような勇気ある人々が、絶望の中にある人に近寄ってお世話をすることで、どんなに希望の持てない現実の中でも、神の国は始まっている。神は必ず、心ある人を使って出来事を一過性のものにせず、絶望の中に希望を与えてくださると証明してくださったのだと私は考えました。

どれだけ忠実に務めを果たしても、それでも当たり前のこととして通り過ぎてしまうことが多い世の中です。そんな中で、私たちは世の中を変える術を今週の福音朗読から読み取ることができます。この世では考えられないお世話をすれば、私たちは神の国の出来事をすでにこの世で始める者となるのです。

ルカ福音書第6章35節に次のような勧めがあります。「しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。」天の国は、敵を愛し、何も当てにしないで行動する人々からすでに始まっています。

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‥次の説教は‥‥
年間第20主日(ルカ12:49-53)
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ちょっとひとやすみ
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▼長崎県も新型コロナ感染者が2千人を超える日々が続くようになった。10万人当たりの新規感染者数の上位に九州がずらり並んでいて、いつ長崎がこの中に入るのかと冷や冷やしながら眺めている。
▼8月6日午前8時15分、長崎市ではサイレンが鳴り、黙祷が呼びかけられたという。しかし平戸市ではこの時間のサイレンは鳴らなかった。長崎県でも、対応が違うのだと改めて感じた。サイレンが鳴らなくても広島のことを片時も忘れたことはない。

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今週の1枚
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第799回目。三年ぶりに地区でカテキスタ養成講座が始まる。使用するテキスト。

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