こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第22主日(マタイ16:21-27)「私の十字架もきっと両手の長さより長い十字架」

2023-09-02 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/9/3(No.1254)
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年間第22主日(マタイ16:21-27)
「私の十字架もきっと両手の長さより長い十字架」
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「あなたは・・・神のことを思わず、人間のことを思っている。」(16・23)このお叱りをペトロがイエスから受けた時、ペトロは「え?」と思ったのではないでしょうか。ペトロは直前に、イエスに対する立派な信仰を言い表していました。少なくとも、弟子たちの中でいちばんイエスのことを理解していると思っていたはずです。

それなのに、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」(16・23)といさめると、叱られたのです。立派に自分の信仰を言い表し、イエスのことをいちばん理解しているのは自分だと思っていたわけですから、叱られたのは予想外のことだったでしょう。

「神のことを思わず、人間のことを思っている。」よくよく考えたら、ペトロが考えを巡らせたのは「人間のこと」だった。だからイエスに叱られたわけです。イエスがエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺されるというのは考えたくないシナリオです。それはきっと私たちが同じことを打ち明けられても同じでしょう。

ペトロはのちに、どのような形で死を迎えるかを予告されたことがありました。「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」(ヨハネ21・18)

「行きたくないところへ連れて行かれる。」この経験を通してようやく、人間のことを思うだけでは最後までイエスに付き従うことはできないと悟るのです。「神のことを思わず、人間のことを思っている。」神のことを思う人にならなければ、よりイエスに従うことはできません。

その、神のことを思う最も優れた方法がイエスの次の命令です。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(16・24)私たちは年齢を重ねるにつれて何かを背負う必要が生じます。ただ、何を背負うかをよく考えなければなりません。

自分のしたいことだけ、自分の気に合うことだけを背負うならば、その人は「自分の命を救いたいと思う者」であり、結局は命を失うことになります。しかし、自分に与えられた十字架を背負うならば、それは神のことを思う生き方なので、最終的に命を得ることになるのです。

しかし、神から与えられる「自分の十字架」は、なんと重く、大きな十字架なのでしょうか。祭壇の十字架を見てください。イエスの両手より長く、その背丈よりも長いのです。イエスの十字架がそうなのですから、きっと私たちの十字架も同じでしょう。

もともと「背負いたい十字架」などあるはずがありません。「この十字架は私の背負うことのできる限度を超えている」誰もがそう思うでしょう。「主よ、とんでもないことです」と言いたくなります。しかしここで、「神のことを思う」のか、「人間のことを思う」のかが問われるのです。

次のように考えてはいかがでしょうか。私たちは自分の十字架を背負い、苦しみを通してイエスに近づく経験も必要だということです。イエスは必ず苦しみを通って三日目に復活すると言われたのです。私たちも苦しみを通ってイエスに近づき、復活の栄誉に与ります。誰であれ、イエスに従う道は、喜びと苦しみ、両面が用意されているのです。

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‥次の説教は‥‥
年間第23主日(マタイ18:15-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼朝鮮王朝ドラマを観ていると、王になる人物にはすぐれた「策士」「ご意見番」がくっつく。「すぐれた」と言っても「聖なる人になるため」という意味ではなく、「権力者になるため」ということだが。
▼ときおり、自分よりすぐれた見通しを持った人、自分より広い視野を備えた人と出会う。その人はめったに現れない人であることが多く、どうにかしてその人を味方に付けておきたいと思う。
▼ただ、「策士」に選ぶ権利がある。その人と出会った時、私は選ばれるだけの何かを持ち合わせているだろうか。

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今週の1枚
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第861回目。五島産業汽船。司祭ソフトボール期間のダイヤに要注意。

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† 神に感謝 †
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