こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第33主日(マタイ25:14-30)あなたは何を差し出して「御覧ください」と言いますか

2023-11-18 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/11/19(No.1265)
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年間第33主日(マタイ25:14-30)
あなたは何を差し出して「御覧ください」と言いますか
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私は寝ていると夢を見ていることが多いです。どこで寝ていても夢を見るのは才能と言えるかも知れません。何せ世界史の授業中に寝ていて、すばらしい光景を見ていたら、山中寛先生から頭をゴツンとたたかれて授業に戻されたことがあるくらいです。

夢は見ても、寝言は言わないと思っていたのですが、どうやらそうでもなさそうです。30代頃の記憶になるでしょうか。地区の司祭たちで泊りがけのお出かけをした時です。翌朝の食事中、先輩方が私の顔をのぞき込んで深刻そうに言うのです。「おい。昨日はどがん夢ば見たとや?『ごらんください!』って叫びながら万歳しよったぞ。」先輩方がそう言うのですからそうだったのでしょう。しかし当の本人は、どんな夢だったか思い出せませんでした。

そこで自分なりに想像してみました。すぐに思い付きました。まさに今週の、タラントンのたとえです。預けられたお金をうまく運用して、ご主人にこう言っている場面です。「御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。」(マタイ25・20)

しかし、「忠実な良い僕」だけが「御覧ください」と言ったわけではありません。「怠け者の悪い僕」も、「出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です」(25・25)と言っています。

私が夢で叫んだのはどちらか。「喜んでください」のほうの「御覧ください」だったに違いないと思っていますが、いずれにしても私は何かを差し出して、主人に「御覧ください」と言ったのです。これを今週の学びにしたいのです。

人は皆、命の主人から能力に応じて預けられたものがあります。命の主である神が、「忠実な良い僕だ。よくやった」そう答えてくれる人生を期待されているのです。預かったものはそれぞれですが、決してそれを土の中に埋めて放置し、主人の思いに背いてはいけないのです。

私は、「タラントン」を「才能」に結びつけて考えることが多かったと思いますが、今回は違う見方を示したいと思います。人によっては大きな十字架を背負わされている人もいるでしょう。何かしらの障害や、長く続く病気などは、できれば避けたいものかも知れません。

しかしその人が忠実に十字架を背負い、または病と常に向き合うなら、その生き方は「御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました」これに匹敵するのではないでしょうか。それを見て神様は「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(25・21)と言ってくださるのです。

病や障害が、決して「少しのもの」でないことはそれを与えた神様が十分承知です。その苦しみ、痛みも知った上で「主人と一緒に喜んでくれ」と答えてくれます。人が羨むような才能でも、神様の期待に背を向けて、神様の喜ぶ使い方をしなければ、それは土に埋めて活用せず過ごすことと同じです。才能も、十字架も、神が預けてくださったものです。要は預けられたものに忠実であったかということです。

お一人お一人、命の主である神様が精算を求める時が来ます。その時に私たちは何を差し出して「御覧ください」と言うでしょうか。「置かれた場所、境遇の中で神の期待に忠実に生きる」この思いを持ち続けましょう。「御覧ください」と、正直に自分の一生を報告する。そのために日々を大切に生きることにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
王であるキリスト(マタイ25:31-46)
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ちょっとひとやすみ
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▼「素で笑う。」これがなかなか難しい。自分自身がそうなのだから、誰かを「素で笑わせる」のはさらに難しい。大笑いできるようなネタができたらぜひショートムービーで使いたいが、果たしてその日はいつ来るだろうか。
▼ミサの式次第と奉献文が新しくなって一年が経とうとしている。堅信組に口頭試験で「栄光の賛歌」を唱えさせたことがある。すると中学生がこう提案してきた。「神父様、ぼくは歌でしか栄光の賛歌を唱えることができません。歌っても良いですか?」「あーもちろんいいよ」
▼「歌い出しは神父様がしてください。」この子のペースに乗せられて「天のいと高きところには神に栄光」と歌ってあげた。するとこの子はその続きを完コピして歌った。もちろん合格である。次に同じようなことがあれば、「天には神に栄光」と歌ってあげたい。

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今週の1枚
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第872回目。こんな「変顔」で、腹の底から笑ってくれる人がいるだろうか。

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† 神に感謝 †
コメント
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